VOL2−6
テッサは、毀れた玩具のように放置された。 十人近い男たちに慰み苛まれた体は傷つき、血と体液にまみれ、痛みは執拗にいぶり続ける。だが。裸で床に横たわったまま、テッサは放心したように壁に燃える松明を見つめていた。 やがて。 夜が更け、寒気に肌を噛まれて、テッサは起き上がった。小部屋の櫃からとり出した服をまとい、萎え痺れた下半身を引きずるように壁を伝い、食堂に這い戻った。 暖炉で燃え落ちた薪が、赤く、周囲を照らしていた。扉は開け放たれたまま、その前に横たわるものたちも、ひっそりと、血のなかに浸っていた。 痛みと疲労に深く体を折りながら、テッサはイクルの背から矢を抜こうとした。肉の巻いた矢を、抜くことはできなかった。渾身の力でイクルの体を起こしシェラムの傍らに横たえる。大きく息を喘がせながら、顔に乱れかかった髪をはらい、虚ろに開かれた双眸を閉ざした。手に、その肌が冷たい。 そうして、ようやくにシェラムの前に蹲る。 振り向きかけたところに矢を射込まれたシェラムは左脇を下に、軽く体を曲げた姿で倒れていた。 目を閉ざした顔は、眠っているように見えた。意外なほどに若い顔だった。 初めて会ってからわずかに二日。その間、暗い、自嘲に陰る鉄灰色の双眸が閉ざされたときを、テッサは知らなかった。向けられる顔は冷たくテッサを拒む。それでも―― この人は、あたいを人として、あつかってくれた‥‥ もう、涸れ尽くしたと思っていた涙があふれだし、とめどなく頬を伝い落ちていった。 卑しい、旅芸人で淫売のあたいを‥‥身分もある人なのに‥‥ テッサはシェラムの上に、体を重ねた。腕を回しその肩を抱く。 「あんたに‥‥抱かれたかった‥‥」 頬をかさね、唇を重ねようとして、テッサの動きが凍った。 冷たく‥‥ない‥‥ 冷えきってはいた。決して死者のそれではなかった。イクルとは、違っていた。 「シェラム‥‥」 体を起こしたテッサは夢中でシェラムの肌をまさぐる。 「‥‥暖かい‥‥。暖かい‥‥。生きているんだ‥‥」 新たな涙に頬を濡らしながら、その喜悦をかみしめるように閉ざした目を、テッサはだが、次の瞬間、弾かれたように見開いた。 このままでは‥‥死んでしまう‥‥ 恐怖に、強ばった顔で闇を振り仰ぐ。 「助けて――だれか‥‥助けて‥‥生きているのに‥‥せっかく、生きている‥‥」 震える脚を踏みしめて立ち上がったテッサは、闇のなかによろめき出た。夕刻、館に向いながら日没のなかに見た村に、救いを求めようために。 そして、数歩を行く間もなく、闇のなかにわき起こった足音に身を凍らせた。 「誰だ? 誰が生きている――」 「イクル様は無事か――」 浴びせられる声に、テッサはその場に崩れるように坐り込んだ。 「お前様‥‥殿様が連れなさった人だな‥‥何が‥あったのだ‥‥」 一人をテッサの前に残し、足音が背後に、館の戸口に向う。呆然と、テッサは屈み込む人影を見上げた。 「どうして‥‥」 「暮れてから‥‥王の兵士が村に来てな。館のことを聞きだしていった。今はイクル様しかいないとな‥‥突然、殿様が帰られたところだ‥‥何事かと案じていたが、兵たちが引き上げていったので様子を見にきたのだ」 テッサは最後まで聞いてはいなかった。立ち上がりシェラムのもとに戻ろうとしてよろめく、その体を逞しい腕が支えた。 開いた扉の奥から明かりが射した。 明かりの中に三人の男がいた。シェラムを中に運び入れようとしていた。 一人が闇の中を村に駆け戻っていく。 運び込まれるシェラムの後について寝室に入ったテッサは無言のまま壁ぎわにしゃがみこみ、男たちのすることを見守る。明かりの中で、頬を血に染めたテッサの凄惨な有様に気づいて、支えてきた男が息を呑む。まとった衣服も血に塗れていた。 「これは‥‥お前様にも手当てが必要だ‥‥」 テッサは聞いてはいなかった。 寝室には凌辱の跡が生々しかった。好奇と憐愍のないまぜられた視線がテッサに注がれる。テッサは気にとめもしなかった。 やがて。 村に駆け戻った男に伴われて、医者と一人の百姓女が駆け付けた。 テッサが口を利いたのはシェラムの手当てを済ませた医者が前に立ったときだった。男たちは室から去り、女が布で頬の血を拭っていた。 「お前様も、手当てをしよう」 医者の声に顔を上げる。 「シェラム様は‥‥」 一瞬の逡巡の後、医者は吐息した。 「矢は‥‥どれも急所は、かわされておいでだが‥‥かなり血を失っているのでな‥‥朝まで‥‥持ちこたえられればよいが‥‥」 その言葉に、テッサの顔が凍りついた。だが。拭われた頬の傷を見る医者の口には安堵の息が這う。 「血は止まっている。跡は残るだろうが‥‥浅い傷だ。痛むかね?‥‥」 小瓶からすくいとった膏薬を塗りながらテッサの顔をうかがった。 「体の傷も、手当てをせねばな‥‥血だらけだ‥‥」 テッサは動こうとはしなかった。 「シェラム様の血だ‥‥」 ただ、頑なに身を強張らせる。女が脇に手を差し込み抱え起こした。驚き抗うテッサを有無を言わせず押しやる。 「奥で着替えなさるといい。あたしはここで使われていた。それは奥方様の服だ。別のをいただいても咎めはなされまい‥‥」 櫃のある小部屋にテッサを連込んだ女は一人出ていったが、すぐに手桶と燭台を手に戻ってきた。 女の強引な親切に思いもせず従っている自分に戸惑い立つテッサの、服を脱がせ、こびりついた血を拭いはじめる。その手が下半身に及んだとき初めて、女は手を止め、眉をひそめた。 「酷いことを、されたね‥‥」 その言葉に、テッサの目から、不意に涙がこぼれ落ちた。 女は立ち上がりテッサを抱きしめた。 「安心おし‥‥傷はたいしたことない。じき、よくなるよ‥‥」 「なんで‥‥あたいは、ただの旅芸人だ‥‥こんな‥‥」 「つまらないことを言うんじゃない。お前様は、シェラム様が連れてきたお人だ‥‥」 再び、テッサの前に膝をつきその体を拭いはじめる。 「シェラム様も、ミシャナ様も、あたしの乳で育ちなされたんだ。それが‥‥奥方様が亡くなられ‥‥ミシャナ様があのようなことになられて‥‥大殿様も追うように去かれてしまってから‥‥人が、変わられた‥‥偉ぶらない‥‥よい方々だった‥‥」 奥深いところまで、手が差し入れられるのも意に止めず、テッサは女の言葉に聞き入っていた。 「とうとう、仕えていたものたちにも暇を出され、いなくなられて‥‥みんな、案じていた‥‥。‥‥それが‥‥。‥‥せっかく、戻られたのに‥‥こんなことになられて‥‥王が‥‥憎いよ!‥‥」 押し殺されてはいた、その言葉の激しさにテッサが一瞬、息をつめた。 「ああ‥‥驚かせたね‥‥すまなかったね‥‥でも、お前様は何も案じることはない‥‥シェラム様がどのようなことになられても、もしもの時は‥‥あたしのとこに来るといいんだ‥‥こんな百姓女だが、うちのものはみんな気のいい連中だ‥‥」 「あたいを ‥‥」 驚きの声はだが、どこかうわの空に、テッサはシェラムの眠る寝室の方を見た。 「お前様‥‥ずいぶんと血が流れてたから、どうかと思ったが‥‥ほんとに、傷はみんなどれもたいしたことはない‥‥」 拭いおわった体に薬を塗り、櫃から取り出した服をまとわせた。 「あたしはモーラだ。お前様は?」 「テッサ‥‥」 何かに思い凝らせた視線を向けて、テッサは答えた。 「テッサ‥‥いい名だ‥‥」 女はテッサを抱きかかえるように寝室に戻った。できるだけのことはしたか、医者の姿はもうなかった。そのまま、行き過ぎようとする女に、テッサが脚を止めた。 「お前様も休まなけりゃ‥‥ミシャナ様の部屋を‥‥使わせていただきなさるといい‥‥」 宥め押しやるように促した。 「いやだ――」 全身を強張らせて、テッサは抗った。 「シェラム様にはあたしがついている。一晩中、おきているからね‥‥」 身をくねらせたテッサが女の腕を振りほどいた。その、切れ上がった双眸に凝った強い光に、一瞬、脚を竦めた女はやがて、深く吐息して首を振った。 「わかったよ‥‥ここにいなさるといい‥‥毛布をもってこよう。他に、欲しいものはないかね‥‥」 テッサはただ、身を硬くして身構える。諦めたように女は首を振り、背を向けた。寝室を出かけたその背を、だが、思い返したように、怖ず怖ずと声が追った。 「ミルクを‥‥熱い、ミルクを‥‥飲みたい‥‥」 振り返った女は、励ますように笑みかけた。 「わかったよ。熱いミルクだね――」 VOL2−6 − to be continued − |