VOL3-3





 禍々しい座像の前に下ろされた少年はようやくに解放された膝を胸に引つけ胎児のように体をまるめすすり泣く。痛めつけられた股間は疼き続ける。だが、痛みに戦く体を休める暇は、少年には与えられなかった。足首をつかむ荒々しい力に、抗う間もなく床に這わされる。
 金属の噛み合う音が硬く響き、少年の足首は左右に割り開かれ、首にはめられた鐶と同様の分厚い帯状の鐶で石像の足首に繋がれていった。
 何をされるのか‥‥ずしりと重く引き据えられ、床に這わされた細い体が新たな戦きにとらえられる。啜り泣きさえ絶えた静寂のなかに、微かに、鎖が鳴った。
 少年の身を繋ぐには過ぎた、鎖と鐶――それは、鉄ではなかった。
 磨き上げた鉄に似ていたが、より深い青味を帯び、微細な金砂を散らしたような不思議な光をまとった金属だった。
 目を凝らせば、石像を形づくる黒御影の、その肌理のなかにも小波立つような光の粒子が散っている。繋がれた身でなければ美しいと思ったかもしれない、その石像の股間に、
 ムゴルは、片手で首鐶をつかみ猫の子のように軽々と少年を引き起こした。
 吊り上げられ、わずかに丸みを帯びた硬く尖ったものの上に腰を落され、少年は喘いだ。
 狭間をつき上げる鈍い痛みに、思わず腰を浮かせようともがく、細い体がたわむ。前方に投出すように大きく割り開かれ、石像の左右の足首に繋がれた足が力なく像の台座を蹴った。
 首鐶をつかむ腕は、揺るぎもしなかった。
 自らが石像と化したかのようなムゴルの片手だけが動き、首鐶から垂れ落ちた鎖をつかみ上げる。連なる鐶の一つを石像の喉元、少年の頭上に植え込まれ青黒い鎌首をもたげる鈎に通し、輪をなして床に這っていた長い鎖を細い首に巻き絡めた。節立った指を股間に差し込み、容赦なく割り開いた傷つき血を流す体を石の屹立の先端にあてがい、突き落とすように、手を放した。
 少年は鋭く息を呑み、硬直する。
 身を裂く痛みが背筋を突き上げ、噴き出した脂汗が全身を濡らしていく。
 脚から力が抜けた。途端にずるりと腰が落ち、閃光となって激痛が視界を晒した。
 悲痛な音に喉を鳴らし、必死の思いで、震える脚に力を込める。
 首鐶と、幾重にも巻かれた鎖の重みが、ずしりと少年を押さえ込む。逃れようもなかった。激痛に噛まれたまま、迸るように涙が流れ落ちる。身を悶えさせることさえできなかった。ただ、荒い息に胸を喘がせる。
 痛い‥‥
「痛‥‥い‥‥」
 苦しい‥‥
「苦‥‥し‥い‥‥」
 大人の体にさえ太い石の屹立、少年には高い石像の座部だった。それでも無理な姿態に繋がれた脚に力を込め、石像の腹に倒れかかった背を支えて体を引き上げようとした、その背が、石の腹の上でぬるりと滑り、
 捩れた。
 かすれた悲鳴が弾ける。
 みしり‥‥と、肉が裂けていく、その痛み、痛みに勝る恐怖、に。
「ああッ‥‥ッ‥‥」
 磨き上げられた石像の腹を濡らすものは冷たい汗だけではなかった。
 両脇から中心に向って斜めに落ちる深いうねりが彫り連ねられている、その腹一面をてらてらと光らせて塗りたくられた油、それは、そそり立つ怒張にも塗られ、腰を落すまいとする少年の力を削ぎ落す。
 力尽き、わななきだす脚に、かせられた鎖の重みに、首鐶と鈎の間の残酷な弛みをずるずると滑り落ちていく、その股間に、柔らかな肉を割り裂いて石の怒張は苦もなく呑み込まれていった。
 腰の後ろでくくり合わされた手が、ひっかかりを求めて、力なく石像の腹を掻く。
「痛‥‥い‥‥苦し‥い‥‥痛‥‥‥‥」
 譫言のように少年は繰り返す、その菫色の双眸はすでに虚ろだった。
 再び、石壇に腰を下ろした王は、何故か、もうその養い親を呼べとは強いなかった。表情を消した顔は柔和に静もる。ただ。暗い双眸の底に狂おしいまでの期待を滾らせて、無残に喘ぐ少年を見据えていた。
 王の足元に蹲ったムゴルは、その王の顔に貪るような視線を這わせていた。この男の関心は王以外にはないと知れる、ねつい、太々しいまでに執拗な視線だった。
 やがて、
 昂ぶり上がる思いに押し流されるように、ムゴルは身を屈めた。
 床に下ろされた王の左足、足首までを被う夜着に重ねた豪奢な綾絹の上着の裾にのぞく優美な素足に己が口を運び、しなやかにのびた指を銜え、舐り、狂おしく吸い上げた。刹那――
 帯に挟んだ短剣を鞘ごと抜き取り、王は無言でムゴルの顳?を打ち据えた。
 王の手は容赦がなかった。
 肘を上げ己れを庇いながら恨めしげな視線を投げ上げる、ムゴルの半面は肉が裂け、しぶいた血に染まっていた。
 王はだが、冷ややかな一瞥を与えただけで視線を戻す。そして、
「おお‥‥」
 王の口を漏れる嘆声に、その視線の先に思わず顔を振り向けたムゴルの手が弛んだ。
 闇の玉座の前に立つ、ものに――
 仄青い燐光に包まれた、その姿に。
「これは‥‥ミスリンガ‥‥」
 呆然と見つめるムゴルの前に、
 背に艶やかな黒銀の髪を波うたせた、人ならぬものが、低く、呻く。
 いつか、微かな怯えを滲ませる唸りがムゴルの喉から漏れ出ていた。
 王の思惑のままに、
 獲物は、罠に、かかった。闇の玉座にかけられたつまらぬ餌におびき寄せられ――また無き、ものが、
 今、目の前に立っているのだった。
「リュール‥‥」
 玉座の前に屈みこむ、そのものの声を、ムゴルはうつつに聞く。
「なぜ‥‥エリエン‥‥な‥‥ぜ‥‥いけない‥のに‥‥きては‥‥いけないのに‥‥王が‥‥あなたを、つか‥‥まえるよ‥‥」
 戸惑ったような、不思議そうな、声が応えていた。弱々しく震え、絶え絶えに問いかける、声は、切なげな、すすり泣きに変わっていく。
「逃げて‥‥エリエン‥‥逃げ‥て‥‥」
 だが。人ならぬものは逃げようとはしなかった。
 開かれた脚の間に片膝をつき、差し伸べた手で無残に刺し貫かれた体を静かに抱え上げ、首に巻かれた鎖を解き外した。
 無慈悲に、少年をとらえた鎖が鳴る。
 束の間、背を震わせながら、抱え上げた体を胸に抱きしめ、腰を落した。
「わたしは来た‥‥この子を、解き放って、欲しい‥‥」
「いや。それは――できぬな」
 王は、嗤った。
「青金の鎖は、己れ等の力を封じ、その身を繋ぐことはできる。だが、その心を従えるには――時は与える。癒してやるがよい。その後は――己れがこの身に従うかぎり、そ奴は手荒にはあつかわぬ。かけがえのない質だ。死なせるわけにはいかぬからな――」
 告げ終えた王は、己れの足下に呆然と蹲るものを不快げに蹴り離した。
「行け。見届けよ――」
 ムゴルは。夢から醒めたように、王を見、そして玉座に向った。
 少年の――手首を括った綱は消えていた。
 少年は、抱きしめる腕のなかにぐったりと力を失った体を委ね、白い衣に被われた肩に頭をもたせかけ、泣いていた。
 目を閉ざし、ただ静かに涙を流しながら、
「逃げて‥‥エリエン‥‥逃げて‥‥」
 つぶやき続ける。
 少年の背に回されたそのものの手首から仄かに光る青い血が流れ落ちていた。
 血は背を伝い、脚の付根を抱えたもう一方の手に溜まり、惨たらしく裂け、血を流す体を浸していた。
「リュール‥‥」
 包み込むように、深い声がささやきかける。
「わたしは‥‥間違っていた‥‥お前を、行かせたくはなかった‥‥これからは‥‥ずっと‥‥共に、いよう‥‥」
 深い眼窩の奥に小さな燠火を宿し、ムゴルは、見据える。
 やがて。
 力なく垂れていた腕が上がった。
「エリエン‥‥」
 そのものの体に腕を回し、しがみつく。
「エリエン‥‥」
 静かに泣きじゃくる細い体を、エリエンと呼ばれたものは、さらに深く、抱き返していた。
 その肩に、ムゴルが手をかける。
 憎々しげに、握り拉ぐように爪を立てた、刹那、仄青い燐光が腕を包みあげ、その体が弾け飛んだ。
 獣じみた悲鳴が迸る。
「どうやら。終わったようだな――」
 揶揄を絡め、王の声が促した。
 己れを抱きしめていた腕が解かれ、押し離そうとする気配に脅かされて、少年は必死でしがみつく。
「エリエン――」
 その額に乱れかかった髪を掻き上げ、エリエンなる竜人はそっと己が額を押しあてた。
「エリ‥‥エ‥‥」
 優しい菫色の目が閉ざされ、
 しがみついていた腕から力が抜ける。
 少年は、眠りに落ちていた。





VOL3-3
− to be continued −

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