VOL4-5





 雇主を求めて、身一つで流れ歩くありふれた傭兵の、ありふれた訪いだった。明日には口を求めて城に行くだろうが、運よく雇われでもしないかぎり、また、別の口を求めていずこかへ吹き流されていくだろう。
 そのようなものに、誰が気を止めるのか。
 日の暮れた街にでた男は城下の家並みをおおった雪に埋もれるように、行交うまばらな人影に紛れ軒並み酒楼をひやかし歩いていたが、その一軒でようやく脚を止めた。
 人目に立たぬ隅の席に、身を潜めるように腰をすえる。外套も脱がず幾重にもまいて顔の半ばを隠した襟巻をわずかに押し下げ、給仕人の運んできた酒を口に含む。
 陰気な姿だった。
 伸び放題の髪に翳る鉄灰色の双眸を宙に据えたその顔は凍てたように表情がなかった。
 端正な顔といえたであろうが、落ち窪んだ眼窩、削げ立った頬に見る影もない、だがそれは、シェラム・オーヴに、他ならなかった。
 広間の喧騒に背を向けるように卓上に屈みこんだシェラムの耳に、またレベックの音が響いてくる。軽い旋律に乗せてさびた声が歌いはじめる。
 この酒楼に脚を踏み入れたときも歌っていた声だった。その声に、ふと引き込まれ、脚を止めたシェラムだったが。やがて、気を取り直すように踵を返したその背で歌が終わった。囃し立てる声に交じって、その名が聞こえた、それが、扉にかけたシェラムの手を止めた。テッサはどうした――と。
 酷なことを、聞くもんじゃない――別の声が応じる。逃げられたのに、きまっていようが――そう言われりゃ、お前には過ぎた娘だったな、アモン――
 馴染みの客同士であろう、気安げな掛合いに笑声が弾ける。
 まことに、酷ないわれようだ――アモンと呼ばれた、さびた歌声の主が笑い紛らした。
 だが、あの夜以来じゃないか――あの、城者に掠められたか――
 シェラムの間近で、ひそめた声がささやいた。それとも、しこたま儲けたか――
 思い直したように足を戻し、陰気に酒を啜っていた客が腰を上げたのは、夜もだいぶ更けたころだった。その少し前、歌い納めたアモンは革袋に納めたレベックを外套の下に抱え酒楼を出ていた。
 シンと凍てた雪を踏んでねぐらに向かう、背に足音が響く。
 アモンが脚を止めたのは、宿にしている厩の壁が黒々と雪明かりのなかに立ちはだかる路地に踏み込んでじきだった。追い立てるように続く足音は止まらなかった。
 半身を向けるアモンの目に、暗い人影が迫る。その手元に白く光るものがあった。
「金が、欲しいのかね‥‥」
 さして大柄ではない、影が脚を止めたのはアモンの眼前だった。手を延ばせば肩をつかめる。その手に握られた短剣から相手の顔に視線を上げたアモンは、逃げようという気配も示さなかった。ただ、
 わずかに、悲しげな顔を傾げる。
「俺は。物取りではない。お前が売った娘、相手の、名を聞こう」
 顔を被った布越しの声はくぐもり、空洞を吹き抜ける風のように、虚ろに響いた。
「あの娘は‥‥買われていったわけではない。むしろ、救けられたと‥‥わたしは思っているがね‥‥」
「救けられた‥‥だと‥‥」
 威嚇するように短剣を突き付ける相手に、アモンは、不意に息を詰めた。
「お前さんが‥‥そうか‥‥市でリューという子供を買おうとした‥‥お人か‥‥」
「何 ――」
 わずかに声を上擦らせた影がゆらりと、身を引いた。
「ここは寒い‥‥来なさるといい‥‥」
 返事も待たず、アモンは背を向けていた。ためらうようにたたずむ影を、数歩を行ったアモンが誘うように見返った。
 影は、その数歩の距離をつめようとはしなかった。
 両開きの大きな扉の隅のくぐり戸を抜け、番人に声をかけたアモンは厩の二階に上がる。遅れて続いた影は梯子の頂に片足を掛けたまま床に腰を下ろした。
 明かり取りの窓を閉ざした闇に、互いの姿は見えなかった。微かに伝わる気配にアモンはそれを知る。
 レベックを傍らの藁山にたてかけ外套を脱ぎ、靴を脱ぎ、馴染んだ藁のなかに身を落ち着けた。
「子供が連れ去られたことで、あの娘は、ずっと自分を責めていた。酒場で踊っていたのも消息を知りたいためだったろう‥‥酒場には城の者も出入りする‥‥連れ去った王の近衛も、いずれ現れる‥‥」
「違う‥‥」
 苦しげな声だった。アモンの言葉が途切れる。
「テッサの咎などではない‥‥わたしの‥‥下らぬ思い上りが‥‥招いたことだ‥‥」
 押し殺した呟きは、辛うじて、耳に届くほどのものだった。
「それで‥‥あの娘を探しに、きたのか‥‥」
 応えは、沈黙だった。アモンは吐息し、数日前の出来事を語った。
 語り終えて再び、沈黙が下りる。
 影はもはや何も言おうとはしなかった。やがて気配が動く。
 扉が開き、また閉ざされる音が遠く響き、アモンは影が立ち去ったことを知った。

 薄曇りの空が頭上を被っている。寒々しい日差しが雲間をもれ、地上の雪にとける。どこまでが空で、どこからが地か、
 人も家も、白く沈んだ画布に浮かぶ暗いしみだった。
 なかで、とりわけて大きなしみが王の城だった。それは白い闇の中空に、浮かぶように、そびえていた。
 今、城門に続く長い傾斜路を、一つのしみが這うように登っていく。
 城の巨大さに蟻のように見える人影は、やがて城門にたどりつく。衛士との短い遣り取りの後、外郭をなす中庭に通された。
 いくつもの群れに別れた兵達が剣を打ちあい、弓を引いている。その喧騒を縫って、案内してきた衛士は来訪者を一隊の長と知れる騎士の前に導いた。
 騎士は尊大に身を反らせ、衛士の言葉を聞きながら値踏みするように来訪者の全身を眺め回した。
 さして大柄ではない、まだ若い顔は削げ立ち、血の気がない。くたびれた外套に痩せた全身を包み、首にはほつれた布を幾重にも巻きつけている。みすぼらしい姿だった。
 騎士の目のなかにあからさまな嘲りの色が浮かぶ。
「兵は足りている。が、たってと願うならその腕、見てやらぬでもない。気の荒いものばかりだ。不具になるかもしれぬ、覚悟があるか――」
 男――シェラムは無言でうなずき、外套を脱ぎ落した。腰に、頑丈さだけが取得のような無骨な剣を下げている。
「よかろう――」
 騎士は嘲嗤に唇を歪め、一人の兵士を呼ぶ。応えて、進みでた男を、シェラムは陰気な顔つきで見上げた。己れより頭一つ高い魁偉な兵士は小馬鹿にするようにシェラムを見下ろしていた。
「思い直すなら今のうちだぞ――」
 いつのまにか、対峙する二人を取り巻いて大きな人の輪ができていた。その人垣から野次が飛ぶ。黙殺して剣を抜く。シェラムはだが自分から打ち込もうとはしなかった。
 どうした――何をしている――四方から飛ぶ声のなかで、ふと小首を傾げ一歩を引いた。
「聞き忘れたが、俺がこの男を不具にしても、咎めはあるまいな――」
 その言葉に、対峙する兵士の顔が朱に染まった。
「何――」
 ことを裁量していた騎士の片眉が大仰に吊り上がる。
「お前が――このドルヴォを不具にする――だと――」
「真剣で渡り合えば、無傷で終わらせるとは保障はできん――いいのだな――」
「かまわんぞ――」
 横手からの声に、並ぶ顔が一斉に振り向けられた。
「シヴォー様‥‥」
 声が、ささめいた。
 シェラムはそこに、ドルヴォと呼ばれた兵士よりさらに一回り大きい、深紅の巨漢を見た。
 では‥‥これが‥‥
 昨夜、アモンから聞いた名だった。思わぬ早さで出会えたことは吉兆なのか――その、
 エゴウ・シヴォーのまとう赤は、深紅の胴着、だけではなかった。夜の灯火のもとでは暗い褐色に見えるであろう髪が、薄い日差しの下で燃えるように赤い。その下の太い眉、赤銅色の肌。苦笑を含んで細められた双眸だけが抜けるように青い。晴れた日の蒼穹を思わせる。陽気な気配を漂わせる男だった。
 そのエゴウが、唇を歪めた。
「――と、言いたい、ところだが――腕を見るのに、いちいち真剣はあるまい。木剣で十分だ――ではないか。ラムザス」
 試合を命じた騎士が気まずげにうなずいた。
「貸してやれ」
 傍らの兵士に顎をしゃくる。
 木剣に替えて対峙しなおす、相手にシェラムは片頬を歪めてみせた。
「命拾いしたな――ドルヴォ」
 あきらかに、挑発だった。
「その、小生意気な首、へし折ってやる!」
 ドルヴォの口に怒声が軋る。次の瞬間、うなりを発してその木剣が振り下ろされた。
 木剣といっても重さをつけるために分厚く作られたそれは、充分、凶器になりえた。上背とその体躯からうかがえる膂力を駆って打ち下ろされる剣勢を、まともに食らえば木剣は折れ、骨は砕けるだろう。
 シェラムの体が強風にあおられた葦のようにゆらいだ。頭上に落ちかかる木剣を後ろに下がってかわす。息をつぐ間を与えまいか、矢継早に繰り出される剣が風を巻いて、右に、左に、空を薙ぐ。足元で激しく、雪が軋み、飛び散った。
 辛うじてかわし続けるか、剣を合わせようともせず、シェラムはただ、後退し続ける。
 ドルヴォの攻勢の前に手も無く押しまくられる姿に、失望の声が湧く。だが、
 すぐにもけりがつくであろう――大方の予想に反して、ドルヴォの剣は相手をとらえることができなかった。虚しく空を斬り、地を打つ、その動きがしだいに鈍り、止まった。
 口に這う息が荒い。
「おのれ‥‥逃げ回るだけが能か‥‥」
 息を荒げることもなく、わずかに腰を沈め半身を向ける男を睨み据える。疲労をさそおう思惑に手もなく乗せられたか――怒りが声を軋らせる。荒ぐ息をととのえるように脚を躙らせる、
 次の瞬間、その巨体が突進した。
 前に増す激しさで殺到する剣に、シェラムが素早く後ろに跳ぶ、その足が滑った。
 体勢を崩し倒れかかる、上に、一旋した剣が打ち下ろされる。シェラムは転がった。剣先が雪を抉る。きわどくかわし、身を起こしかけたシェラムを横殴りに剣が追う。再度、雪の上に一転し、四這いに跳ね起きた。
 早く片を付けてしまえ――飛ぶ声に、押されるように、ドルヴォが大きく踏み出した、刹那、シェラムが激しく地を蹴った。
 打ち下ろされる剣がシェラムを追って流れる。その下をかい潜るようにドルヴォの脇を擦り抜けたシェラムが体を返しざま剣を横に薙いだ。
 見開かれた双眸が狼狽に竦む、ドルヴォが身をひねり飛び退く、脇腹に木剣が弾けた。捻れた巨体が地に叩きつけられる。鋭く弾ける音についで、湿った音が響きわたった。
 息を呑む沈黙の中で、シェラムは大きく沈めた体を、緩慢に起こした。呆然と地に寝たドルヴォに相変わらず陰欝な一瞥を残し、ラムザスに向かって歩きだす。
「待て――この様な――まともな勝負とはいえん――戻れ――」
 我に返って跳ね起きた、ドルヴォの怒声がその背を追った。シェラムは立ち止まり、陰気な顔で半身を向ける。だが、
「やめておけ、ドルヴォ――」
 のんびりと、エゴウの声が制した。周囲が失望と、かすかな驚きに騒めく。
「あとはお前次第よ――」
 ラムザスにへらりとした薄笑いを向け、エゴウは踵を返す、背に、ラムザスがむっつりとうなずいた。
 赤毛の巨漢は従者を従え立ち去る。ラムザスは、返された剣を腰に戻し拾い上げた外套を手に立つシェラムに向き直った。
「名を。聞こうか――」
「それは――雇うと、いうことか――」
「腕は、確からしいからな。名は――」
「セム――セム・レンド――」
 シェラムの応えにラムザスが片眉を上げた。
「くだらん名だ。レンドだと? それは、アズロイの峰の名だ――」
「レンドの麓で、俺は育った――」
「まあ、よかろう。せいぜい働け――」
 傍らに控える下士官を見返る。
「配属は任せる。隊士としての規律を教えてやれ――」
 厄介払いするように顎をしゃくる騎士を、シェラムは無表情に見返した。
 思いの片鱗さえ宿さない鉄灰色の双眸はただ、陰欝な光を弾く。
 いつの間に厚みを増したか、重く垂れ込めた雲に短い冬の日差しは急速に薄れ、寒々とした暮色が辺りを閉ざそうとしていた。
 夜になって降りだした雪は、それから数日を、嵐となって荒れ狂い、
 グリエムランを、
 黒の城を、
 閉ざし、続けた。





VOL4-5
− to be continued −

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