VOL5-1
いったい‥‥ どれほどの時を、眠っていたのか‥‥ ‥‥いったい、いつから‥‥ うつうつとした、まどろみの中に‥‥漂っていたのか‥‥ 暗い潮のようにいつしか満ち上がり、股間にわだかまる重熱い疼きに、リュールはうつつに、身悶えていた。 その疼きに‥‥覚醒の汀にいざなわれたリュールの悟性は、だがなおも覚めきらず、半睡の闇にさまよう。 闇の中で―― 白く、優美な手がひらと、仄めく。 その手元から、痺れるような疼痛が紡ぎだされる。 いや‥‥だ‥‥ ねっとりとからみつく長くしなやかな指が――弄ぶ。 やめて‥‥やめ‥て‥‥‥ リュールはすすり泣いていた。 疼きは、熱いうねりとなって腰をうちすえ、背骨に絡み上がっていく。 痛いほどに、しなりたっていく己れに、悶える腰は逃れようとしているのか‥‥ 頭の芯をとろかされ、うねりのなかに呑み込まれていくリュールは、それを思う己れさえ失っていた。 ただ、 それだけが‥‥熱く、脈打つ。 もっと‥‥ ‥‥もっと‥‥と、呪縛するようにささやく声がある。 どうして‥‥ それを嬲り苛む手は‥‥どこへ、いってしまったのか‥‥ 熱い、渇きが、喉を灼く。 底のない疼痛のなかに置き去られた、切ないまでのもどかしさ‥‥ 手が‥‥欲しかった‥‥ それを‥‥極みにまで誘う手が‥‥ 我知らず、自らの手になそうとした両肩に、鈍い痛みがあった。 手は、腕はどうしてしまったのか‥‥重く、熱く、動かすさえできない‥‥ 不意に、リュールは戦いた。 熱痛は、胸にもあった。刺すように、脈打つごとに全身を駆け巡る。それでも‥‥闇の中に投げ出され、曝け出された欲望をなしようもなく慄かせる己れに‥‥ ‥‥ちが‥‥う‥‥ やみくもに首をうち振ったリュールは、ぼんやりと覚めきらぬ目を開く、眼前に―― 熱く疼き上がる淫らなうねりに蝕まれ、かすむ視界に、リュールは見ていた。 波うつ黒銀の髪、その髪になかば被われた背中を。さざ波立つように煌めく雪白の、その背中に生えた禍々しい鎖――その鎖に吊り支えられて床を蔽う髪のなかに膝を落とし力なく傾いだ、一糸もまとわぬその後姿を。腕までがおかしな角度にねじれ、垂れ下っている‥‥ エリエン?‥‥ 悟性は鈍く痺れたように理解を拒む。 時は、失われたか‥‥永劫とも思える一瞬ののち、耳に降り落ちた声に意識を刺し貫かれ、リュールは、細い悲鳴ともつかぬ喘ぎに喉を震わせた。 こ奴を、褥に――淫靡に擦れる、忌わしくも耳に焼付いたその声に、応えるように、重い足音が離れていく。 打ち据えるような衝撃を伴って、時が、立ち返った。とらえられたリュールを救うために現れたエリエン――質に取られたリュールを守るために王の手に落ちたエリエン―― そのエリエンに、 王は、何をしたのか‥‥ 「エリエン――」 思いは、リュールの口から迸しる。 その一瞬、冷水を浴びたようにリュールの全身が冷めた。リュールを苛み悶えさせていた重熱い疼きが、ぬぐったように、消えていた。 次の瞬間―― 糸が切れたように、鎖が落ち、無残に吊り下げられていた体が床に崩れ臥せた。 「エリエン!」 思わず身を起こしかけて、リュールは喘いだ。足首に走る痛みに。ずしりと首を引き据える重さに。 「目覚めて‥‥しまったのか‥‥」 声が床にこぼれる。 「わたしが‥‥目覚めさせて‥‥しまったのか‥‥」 「エリエン‥‥」 石像の股間につながれ、立つこともできずに、リュールは泣いた。 声もなく涙を落としながら、リュールは悟っていた。 エリエンなんだ‥‥ あれは‥‥みんな、エリエンが‥‥感じていたんだ‥‥ かつて、 森に棲むものらと共感する力を与えられ、その心を感じ取れるようになったリュールに、エリエンの心だけが感じ取れなかった。 よびかければ応えてくれる鳥たちとは、獣たちとは、つかの間でも、心を触れ合わせることができても、エリエンの思いだけが、リュールに響いてはこなかった。だからだったか、 エリエンが優しくなくなったわけでもないのに、 その、紫黒の双眸はいつでも、リュールの姿を追っているのに、 何を思っているのだろう‥‥ ふと、我に返れば、そればかりを思うようになっていた。 ‥‥どう、思われて、いるのだろう‥‥ 木のように、湖水のように、いやそれにまして、ひっそりとたたずむエリエンが遠く思われて、 あるとき、リュールは聞かずにはおれなかった。どうしてなの――エリエン―― どうして‥‥エリエンの心は、聞こえないのか‥‥と。 エリエンは、ただ、少し哀しげな微笑をうかべて、リュールを見つめた。 無言のまま、リュールを抱き寄せた。 だから、冷たい、腕のなかで、 鳥や獣とは違うのだから――と、リュールは自らを諦めさせたのだった。 それでも、 どれほど、思っただろう。 願っただろう、 エリエンの心に‥‥ その思いに、触れたい‥‥と。 今―― リュールは知ってしまった。 同じなのだ‥‥ エリエンだって‥‥森のものと、違いはしないのだ――と。 その思いは‥‥心は、伝わる‥‥ かつて、一度としてそれを感じ取ることができなかったのは、エリエンは、鳥や獣と違う――からではない。 エリエンが竜の人だから――ではなかったのだ。 そうなのだ。あんなにも、鳥や獣と心を通わせていたエリエンが‥‥リュールにだけはその心を感じさせなかったのは‥‥ ただ、エリエンが、心を閉ざしていたからなのだ。リュールの心に、触れたくなかったから‥‥なのだ‥‥ ズキリと、胸を、痛みが噛む。 「そうなの?‥‥エリエン、そうなの?‥‥」 あふれ落ちる涙に、視界が歪む。 歪み、ぼやける、エリエンの上に暗い影がのしかかり、その異様に太く長い腕で肩に担ぎ上げる。 「ああ‥‥」 リュールの口から絶望が洩れでた。 ムゴル――と、呼びかけていた王の声が耳に甦る。王の頤使するままに、その手によって加えられた苦痛までが、甦る。だが、 それにまして、その身体から押し寄せる、滾るような憎悪のうねり‥‥ そうなの‥‥と、 問うまでもないことなのだった。 森を去り、カムサンに拾われ、同じ熱い血をもつ人等と交わるようになって、リュールは知ったのではなかったか。 エリエンに授けられた力が、刃ともなって身に返ることがあるのだと。 人の思いは、鳥や獣とはちがうのだと。 その、重く、熱い、情念――激しい恐怖や、苦痛までが、ときに、執拗に絡みつき、胸を抉るほどに激しくリュールを苛みはしなかったか。 もし、テッサがいなかったら、リュールの心はとうに、病み、打ち砕かれていただろう。 あたたかなテッサ。 優しい、テッサ‥‥ そのテッサの思いに、守られていたからこそ、いつか、リュールは己が心を閉ざせるまでに、なっていったのではなかったか。 だが、それでも、ときとして嵐のように襲いかかる人の激情に、抗するすべは、持たなかった。テッサでさえ、いつもは潜めている激しさでリュールを脅かすことがあったのだ。 だから‥‥なのだ‥‥ エリエンが心を閉ざしていたのは、リュールが熱い血をもつ人の一人だから‥‥ 重く、熱く‥‥恐ろしい、心をもつものだから‥‥なのだ‥‥ VOL5-1 − to be continued − |