VOL5-5
闇の広間に、 ともされた壁灯が照らし出すものは、さらなる闇だった。 漆黒の壁も床も、禍々しき座像も。 ただ、石壇を覆う暗色の褥に鮮やかに白く、淫靡に蠢いて絡み合う身体があった。 亜麻色の髪を乱して俯せた白蝋の裸身、その下にさらに白く、銀砂の煌めきを放って横たわる――褥を覆い床に流れ落ちた黒銀の髪の中にほっそりと引き締まった四肢を広げ、青白き竜人は無言のまま再び光を得た紫黒の双眸に闇を映す。 しなやかな指が愛撫するように、その目の上をなぞり、今は再生し傷跡すら残してはいない腕の付根をまさぐった。 切り落とされた腕も、抉りだされた眼球も戻ってはいたが、だが、その体にはまた新たな傷が穿たれていた。 首根に丸く、食い抉られ青黒くひらく傷口が仄かな光を放っていた。 「己れを‥‥食らい尽くしてやりたい‥‥」 ムゴルをさえ遠ざけ闇の広間にこもる、王は、かき抱いた肩先に這わす口を傷のうえに移ろわせ、微かな戦きをさえ貪るように吸い舐った。 「痛かったか‥‥だが‥‥この身より切り離されたものは、みな、金の塵となって、この身に戻ってしまう‥‥己れを‥‥食らうこともできぬ‥‥」 うつつに呟く、声は苦しげだった。暗い双眸はさらなる闇を湛え紫黒の闇を覗き込む。 「何かを言え‥‥己れの声を、聞きたい‥‥」 「何を‥‥言えというのか‥‥声を聞きたいというなら‥‥いつものように、この身を嬲ればよい‥‥わたしは、堪え切れぬ‥‥」 静かな声だった。氷のように冷ややかな声でもあった。王の顔に怒気が走る。その手が重ねられた腰のはざまに差し込まれる。 「その声は、気に入らぬ‥‥」 無残に込められた力に、組み敷かれた体がたわみ、仰反った喉から擦れた悲鳴が迸った。 にわかにそそられたか‥‥暗い双眸にねつい火が点る。 灯架の上で、炎がゆらぐ。 荒ぐ息が、闇を震わせる。 せぐりあげる苦痛の呻きは、だがいつか、淫靡に咽ぶ、すすり泣きにも似た喘ぎの音に変っていた。 押し広げられた体の奥深く穿たれた、灼熱の楔は打ち込まれるごとにその身を裂き、決して慣れることのできぬ激痛にエリエンを苛む。 しなやかな手によって加えられる愛撫は、甘美な毒を滴らせエリエンを悶えさせる。 全身が、心さえもが、痺れるほどのこれは、苦痛なのか、快感――なのか‥‥ 背骨を砕き視界を白熱させる激痛に綯い合わされた、とろけるような疼きに灼かれ、腰が、脚が、爛れ落ちるのではないか‥‥ そこには、ただ、 灼き‥‥尽くされたい‥‥ ことごとく‥‥灼き尽くされたい‥‥と、渇望する己れがいた。 いつ‥‥から‥この‥‥ように‥‥ 熱く痺れた頭の芯で、エリエンはうつつに反問する。 はじめて、王に己が精を吸われた、あの時に‥‥わたしは‥‥変りはじめたのか‥‥ その時はただ苦痛としか思えなかったそれを、繰返されるごとに、心密かに求めるようになった己れに気づいたのは、いつか‥‥ 不意に、暖かな金色の光に包まれた小さな影が脳裏を過り、エリエンは呻いた。 その影を、意識から振り払うように、頭を打ち振った。 その、エリエンの声に何を聞いたのか、王の動きが凍った。 エリエンは王のものに貫かれたまま落ちることも、昇りつめることもできず、陰火のごとき熱痛にじりじりと股間を炙り灼かれる。 ああ‥‥ 胸奥をひりつかせてうねり上がる熱い渇きに苛まれて、青白き竜人は王の動きを誘うように、うつつに身動いだ。 弱々しいその誘いに、だが王は応じようとはしなかった。 それまでさんざんに嬲り苛んでいたそのままに、動きを止めていた手が、ぎりっと、握り込まれる。 激痛に、悲痛な声を放ちその五体を硬直させた、エリエンの、紫黒の双瞳が意識を呼び覚まされたことを告げるように震え、王の上に焦点を結ぶ。 それを見極めたように、声が降り落ちた。 「何を‥‥思っていた‥‥」 刺すような冷気を、孕んだ声だった。 エリエンは竦み上がった。 声に。いや、それ以上に、己れを見据える底光りのする暗い双眸、心の奥処までも抉りださずにはおかぬ王の凝視――に。 逃れたかった。顔を背けたかった。せめて、瞼を閉ざせれば‥‥ しかし、それをすれば王はまたこの目を抉るだろう‥‥ 否、ただ―― それだけで‥‥あるなら‥‥ 王の体の下で、組み敷かれた白銀の肌が、さざ波立った。 すでに三度、 エリエンはその双眸を抉られていた。 リュールを餌に捕えられた夜、 胸に青金の鎖を縫い通し凌辱の限りを尽くしてなお倦むことを知らぬ王は、その褥に抗うこともなく従いながら、舌を噛み切られ言葉を封じられた竜人の双眸に、はじめて己れに対する嫌悪の、忌避の光がともるのを見た。 この、熱き血をもつものとは‥‥ ようやく、エリエンの胸に根ざした恐れを、どう取ったか、毒虫のように、この身を見るか――暗い双眸に瞋恚の燠をともし、王はエリエンから光を奪った。 二度目は――知らず、その本性をリュールのまえに曝させるために、だった、か‥‥ 両腕を切り落とされ耳に青金の螺旋を打ち込まれ、無音の闇に悶える、己が股間にリュールを感じたとき、エリエンは思い知らされた。 その幼い口に己れを含まれ、そこにありえぬはずの存在を感じた刹那、身を貫いた、それもまた恐怖ではなかったか。 必死に己が心を閉ざしながら、何を、リュールから隠したかったのか‥‥ とらえられ、無残に嬲り苛まれるエリエンの姿に、切ないまでに、自らを責めていたリュール‥‥ だが、あの時、わたしは‥‥ わたしは、王の手を‥‥そのもたらす、灼熱の陶酔を‥‥求め‥‥悶え狂っていたのではなかったか‥‥ その手の内に落ちてより、いったいどれ程の時を経ていたというのか‥‥ 唯々として身を委ね、あまつさえ、リュールのことさえ忘れ、あさましく、身を喘がせていた‥‥ その間、自ら死のうとさえ‥‥した、のだ‥‥精を吸われた、刹那、そんなリュールの前に、曝け出してしまったのは‥‥ 王の言葉のままに、なんと、淫乱な己れであったか‥‥ 目眩く陶酔から醒めた、エリエンの上に、時はまた流れはじめた。やがて傷は癒え、両眼は再生した。だが。闇の広間の名にしおう闇に塗り込められた、エリエンには、その、時の長さを計る術はなかった。 ただ、王が来たり、去る――それだけが、エリエンの上に、時を、刻む。 無残な――時を。 王は。己れを見ようとはしない虜囚を、そこに、見出していた。紫黒の宝玉を甦らせた竜人は頑なに、王の前に瞼を閉ざし顔を背ける。王の意に背けばまたもその目を抉られると知りながら、何故―― 心までは委ねまいとする儚ない抗いか。 王はただ、嗤った。 「よくよく、その目、抉られたいと見える。だが、こうも容易に癒えるものを、抉り続けるも面倒だ――」 このようなものがある――と、王がエリエンに示したのは、二個の青金の玉だった。 そして、三度、エリエンは両眼を抉られた。虚ろとなった眼窩に、王はその青金の玉をはめ込んだのだった。 癒えることを阻まれた両眼は血の涙を流し続ける。 自ら取り出せぬように、青金の鎖で背に縫い括られた両腕を苛むにまさる、眼底を灼く激痛にエリエンは苦しみ悶えた。 そのエリエンを、王は容赦無く犯し、慰んだ。 倦みはてるまで、責め嬲っては去る、王の訪れが数度に及んだとき、エリエンの抗いは潰えた。 玉を、取り出してほしいと哀願するエリエンを、王はだがすぐには、許そうとはしなかった。 訪れるごとに弱まりゆく哀訴の声さえが、やがて絶えた――その時に至ってようやくに、王はエリエンを許した。 しかし青金に炙り灼かれ、爛れ尽くした虚ろな眼窩は、癒えるために常に倍する以上の時を要した。そして、 紫玉の双眸が光を取り戻したとき、王はそこに紛れもない恐怖の残滓を見出したのだった。かつては片鱗さえなかった、苦痛への、恐怖を―― 今、 なお生々しかろう、その苦痛を身内に甦らせたか、青白き竜人は竦みあがった体を震わせる。 「応えよ――」 なおも迫る王の声は、拒むことを許さぬ威圧に沈む。エリエンの口から戦く吐息が漏れ落ちた。 「何故‥‥我らは、涙を‥‥持たぬのであろう‥‥わたしは‥‥‥泣きたい‥‥」 「己れは‥‥」 静かにほほえむならこよなく優しげな王の顔が、陰惨に歪む。 「また‥‥あの小童を‥‥」 いいざま、手の内に銜え込んでいたエリエンを力の限り握り拉いだ。 嗄れた悲鳴が喉を破る。弾かれたように背をたわめ、王の肩にしがみつく。 手は、さらに深く縋りつこうというのか、突き退けようというのか――瘧のように体を震わせ、エリエンは苦痛に咽び上げた。 「‥‥思いは‥‥止め‥られぬ‥‥」 肩に押しつけられたエリエンの顔を、その角の根元をつかみ己れから引き剥がした、王は褥のうえにそのまま押さえ込むように上体を起こして覗き込んだ。 苦悩も顕に、眉根を止せ目を閉ざした端正な顔、荒い息に大きく喘ぐ胸―― 「それほどに‥‥あの‥小童が‥‥愛しいか‥‥」 「何‥‥を‥‥?」 「愛しいか――」 追いつめられたものの双眸で、エリエンは見上げた。 「わからない‥‥ただ‥‥つらい‥‥あの子が‥‥苦しむのが‥‥つらい‥‥」 一瞬押し黙った王が、虚ろに嗤った。 VOL5-5 − to be continued − |