VOL5-7





「こ奴の手足を、繋げ‥‥」
 ムゴルは鈍重な脚を運び、次々とエリエンの手足を石壇の四方に取り付けられた棘のある鎖で巻き括っていく。ただでさえ表情の乏しい顔が、虚ろな双眸ゆえに稚拙な塑像めいて見えた。
 かつては嬉々としてその頤使に従って来たムゴルのこの変容も、王の意には止まらぬか、内なる思いに淫らなまでに笑み崩した顔を壇上に磔られ手足の自由を奪われたエリエンの上に戻していた。手は下腹をなぶり股間に蠢いていく。
「あ奴を‥‥連れてこい‥‥」
 石壇の前に立ち次の命を待っていたムゴルの双眸がこの時初めて鈍く光を宿す。
 重い表情の上に小波だつ思いを押し隠すように、顔を伏せ、踵を返した。
 王に告げられたことの衝撃に勢いを失っていたものをやわやわと嬲り苛まれ、再び熱いうねりに胸を喘がせはじめていたエリエンが息をつめた。
「どうした‥‥あれ以来、会っておらぬのだ‥‥逢いたかろう?‥‥」
 覗き込む暗い双眸に、見上げる紫黒の双瞳が燃え立つように煌めいた。奥に刺すような光を含む、その双瞳を細める、エリエンは無言だった。
「怒りに燃える己れも‥‥美しい‥‥」
 含み嗤う、王の手に力が込められる。
 荒々しく扱き上げられ、すりあわせるように揉み立てられ、引き伸ばされた五体をたわめ悶えはじめるまでに時は要さなかった。
 己が思いに背き、疼き上がる熱い痺れにふと、さらわれそうになる意識を、
 王の声が、突き刺す。
「来たな‥‥脱がせよ。先には上の口だったが、此度は下の口を使わせる‥‥」
 激しく、鎖が軋り鳴った。
「――――ッ!」
 喉を絞りあげてなお圧し殺しきれぬ呻きが食いしばった口から迸った。四肢に巻きつき深々と肉を噛む棘に肉を裂かれる苦痛も忘れ、身を捩る。
 王は許さなかった。その優美な角を握り、容赦なく仰反り背けられた頭を引き起こす。
「何故顔を背ける‥‥なかなかに愛らしい姿をしている‥‥存分に、見てやるがよい‥‥あ奴もだが‥‥己れのここもな‥‥見よ!」
 すでに充分にしなりきっているそれをぞろりと撫で上げられ、擦れた悲鳴を放った、エリエンは思わず腰を浮かしていた。その、思うさま開かれ淫らに脈打つ己れの向こうに、
 微かに慄く細い裸身を背後からつかみ支えられ、ひっそりと立つ姿があった。
「銜えさせよ‥‥」
 王は促す。その声をうつつに聞く、エリエンを蒼白の小さな顔が、悲しげな色をたたえたその双眸が、じっと見つめていた。
 角をとられ、顔を背けることも許されぬエリエンに向けられた、優しい菫色の双眸――
 見られ‥‥たく‥ない‥‥
 逃れたかった。顔を背けたかった。
 無残な姿で曝されている己れを――その瞳のうちに知らされたくなかった。
 だが、
 エリエンは視線を反らすことができなかった。その双眸を、見ずにはおれなかった。
 王に強いられたことさえ忘れ、貪る。その菫色の瞳に込められた、その瞳の伝えてくる、切ないまでの、ぬくもり――
「何故‥‥」
 呪縛されたかのように、見つめる、
 エリエンは低く呻いていた。
「何故、わたしは‥‥お前を去かせて、しまったのだろう‥‥何故もっと早く、連れ戻しにいかなかったのか‥‥お前にはすでに連れ立つものがいた‥‥あの娘‥‥お前と心を通わせる‥‥あの娘から‥‥お前を奪ってでも‥‥何故‥‥連れ戻さなかったのか‥‥リュール‥‥ああ‥‥リュール‥‥お前が、あの娘を救けるために‥‥わたしを呼んだ‥‥あの時でさえ‥‥まだ‥‥遅くは‥‥なかったのに‥‥」
 リュールの青褪めた頬の上を涙が滑り落ちていった。とめどなく、流れ落ちていった。
「泣かないで‥‥エリエン‥‥泣か‥‥ないで‥‥」
 吐息するように、
 ささやくように、リュールの口を洩れでる声に――込められた思いに、自らが泣いていることさえ気づかないでいたエリエンの顔が切なく歪んだ。
「リュール‥‥」
 その、エリエンの頬を、王の指がなぞり上げた。指先に青く、燐光を放つ涙をすくい上げた王は、淫猥な動きを加えつつしなり立ったエリエンのものになすりつけていく。
「ひっ‥‥‥!」
 無残な刺激に喉を震わせる、エリエンの肌に銀砂が散った。
「なかなかに‥‥楽しませて、くれる。だが‥‥」
 揶揄を絡めた声が瞋恚にひずむ。
 暗く滾る視線がムゴルを射竦め、その身を凍らせた。
「己れ‥‥耳をなくしたか‥‥」
 その声の孕む冷気に激しく身を震わせた、ムゴルはしかし、凝として動こうとはしなかった。
「ムゴル!」
 優しげな白晢の相貌が鬼気を帯びる。気圧されるようにムゴルの巨躯が揺らいだ。
「いけ‥‥ない‥‥裂けてしまう‥‥どうか‥‥お許し‥‥下さい‥‥」
 苦しげに擦れた、それは、声ではなかった。喉にこすれる音にすぎなかった。
 かつてムゴルを縊った縄は、その命を奪うことはなかった。代わりに、声を奪った。潰された喉はただ空気を擦る。
 以来、ムゴルは言葉を放棄した。
 誰も、王さえが、ムゴルの思いなど、聞こうとはしなかったのだ。言葉など喋れなかろうと、どうだというのか――
 それを‥‥
 俺はどうしてしまったのか‥‥思いより先に言葉は口から迸っていた。
 驚愕に目を見開いたのは王ばかりではなかった、が――
 一瞬、呆気にとられたようにムゴルを見た王の口から、毒々しい笑声が流れ出る。
 王は、発作に襲われたように笑い震えた。
「これは‥‥驚いた‥‥己れが、口を利こうとは‥‥」
 ひとしきり笑い続けた王はその余燼になおも身をふるわせる。
「それも‥‥そのような小童を庇おうためとは‥‥」
 言葉が、途切れた。
 笑声が、止んだ。
 白晢の面に、異様なほどの黒々しさでムゴルに据えられた双眸が鋭い光を凝らせる。
 その顔からは拭ったように表情が消えていた。
「二度は許さぬ。銜えさせよ――」
 静かな声だった。鞭鳴りに似て聞くものを威圧する鋭さを帯びた声だった。
 その声に打たれたようにムゴルの体が震えだす。それでも、なお動こうとしないムゴルに、すっと王の眼が細められた、
 刹那――
「平気だ‥‥はじめてじゃ‥‥ない‥‥」
 弱々しくかすれた声が、闇に洩れ震えた。
 その、自らの声に押されたように、ゆらりと前に踏み出す。
 一瞬、呆然と視線を落したムゴルの手の中を、痛々しいほどに細いその後姿がすり抜けようとしていた。
 何故だ‥‥
 平気なわけがなかった。戦慄を這わせる肌が、よろめくような足取りが、それを証している。
 俺を‥‥この、俺を庇ったのか‥‥
 ぎくしゃくと、操られるように、ムゴルは細い背中を追っていた。
 壇上に上がったリュールは這い進む腕の間に視線を落とし、
 王の手に玩ばれ戦き上がるものに耐え、肌を騒めかせるエリエンの表情を失った顔、苦悩を潜め切れ上がった双眸のまえに、
 もはや顔を上げようとはしなかった。
 ただ、
 早く‥‥
 早く、終わらせてしまいたい‥‥それだけの思いでエリエンの腰に跨がり、ぎこちない手つきで自ら押し広げたそこに、しなり立ったエリエンの先端をあてがう。そして、ためらいを振り捨てるように腰を、沈めた。
 が――
 押さえ切れぬ呻きが、仰反った喉から洩れでる。それでも、エリエンのすべてを迎え入れるには、程遠かった。
 何の潤いも与えられぬままに硬く閉ざされたそこは、エリエンのものを迎え入れるにはあまりに細く未熟だった。わずかにその先端を含んだだけで、すでに張り裂け、血を流しはじめていた。
 苦痛に耐え、必死に身を押し沈めようとするリュールの体が、瘧のように震える。見開かれた目が虚ろに揺れ、仰向いた頬を濡らし涙があふれ落ちていった。
「‥‥して‥‥おして‥‥肩‥を‥‥おして‥‥お願い‥‥」
 暗い双眸にまぎれもない憎悪を滾らせ、苦悶するリュールを眺めていた王が、口端を吊り上げ、皮肉な視線をムゴルに向ける。
 遠い昔、優しげなと王自らが評した双眸に激しい苦悩の色を浮かべ、ムゴルは身を竦めた。たとえ、この子供がムゴルを王の怒りから庇おうとしたわけではなかろうと、ムゴルにはつらかった。苦しむ姿を、見たくは、なかった。
 だが‥‥他にどうしようがあるのか‥‥
 不意に、
 一つの思念が頭の芯を灼き貫いた。
 己れのうちに認めることさえが耐えがたい、その思念を逃れ、半ば眩み盲いた視界に震える手を移ろわせる、ムゴルの耳を打って鈍く湿った音が爆ぜ、鎖が鳴った。
 王の視線が逸れる。
 思わず力の抜けた王の手を振り払うように、エリエンが上体を起こした。
 視線を返した王の目の内を微かな狼狽が掠める。視界の端をきららかな血の筋が、青く、弧を引いた。鎖に巻かれたまま残された手首が金砂となって崩れ散っていく。そして、
 エリエンはリュールを抱きしめていた。自ら引きちぎり、手首から先を失った、棒のような腕で。
 ムゴルが虚脱したように腰を落した。
「どうしたらよい‥‥この子を苦しめぬためには‥‥わたしは‥‥どうしたらよい‥‥王よ‥‥」
 咽ぶように、エリエンは訴えていた。
 その一瞬。王の五体が凍りついた。
 片膝立ち、わずかに身を退いた王の双眸が凍りつく。
 押黙る、王は応えなかった。
 身動ぎさえせずに、息さえが凍りついたような、沈黙――
 苦しいほどにきつい抱擁のなかで、リュールは己れを裂いて迎え入れたものから抜き上げられていくのを感じていた。
 夢‥‥だろうか‥‥
 己れを包み込むエリエンの腕に、胸に、目を閉ざし力の抜けた体を委ねていく、背中にあたるその腕の感触が、だが、これが夢ではないのだと教えていた。
 その、胸を抉る現実に、
「エリ‥‥エン‥‥」
 なつかしい肩に頭をもたせかけ、銀砂の肌を新たな涙で濡らしながら、それでもリュールは甘酸い切なさに己れを浸す、この束の間に酔っていた。
「エリ‥‥エ‥‥ン‥‥」
 再び、思いのこぼれ落ちるような吐息を口に這わせる――それを、耳から叩き落す激しさで、王が立った。
 弾かれたように全身を硬直させた、リュールが目を見開く。
 その視線を払って、王の夜着がひるがえった。





VOL5-7
− to be continued −

back top next