VOL6-3





「裾を、上げろ――」
 忘れようのない声が、命じる。
「許‥‥して‥‥」
 吐息が震え落ちた。応えるように、鈍痛が頬を抉る。凍りついていた体がゆらいだ。
 こわばったままの手が衣をたくし上げ、闇の中に仄白く二本の脚が露になっていく。
 引き締まった脛が、艶やかな大腿が、小暗い茂みさえが露になっても、止める声はなかった。なおもまくり上げられていく衣の下に、剥き出された滑らかな下腹が戦く。
 不意に、
 のしかかるような長躯が前に出る。
 よろめき下がって階段につまずき、微かな悲鳴を放って倒れかかる、喉元を、鉄罠のような指がつかみ、壁に押しつけた。
「脚を、開け――」
 熱い息が顔を嬲る。
 命ぜられるままに開かれていく脚を、硬い長靴が荒々しく左右に蹴り離した。
 あられもなく開かされたその奥処を、寒気が曝す。
「なぜ‥‥」
 嘲嗤が闇を震わせた。喉にかかった手に力が加わる。次の瞬間、柔らかな奥襞を抉って何かが突き込まれる。痛みに、貫かれた下腹が捩れた。くぐもった呻きが口を突き、堪えようもなく涙が流れ落ちていた。
 何を‥‥入れられたのか。
 大きく抉り回すように、さらに深々と捻り込まれたものをそのままに、だが、
 テッサは解き放たれた。
「陰の塔――目当ての者はそこにいる。塔への扉は二つ、一つは主塔の四層、王の居室だが、一つは主塔の地下より入る、階段を上った四層の小部屋の奥だ。節日には――警備もゆるむ――」
 崩れるように膝を落とし、蹲った、テッサの上に嘲嗤を絡めた声を残し、足音が離れていく。呆然と顔を上げた、そこに、外城壁の歩廊の入口が闇を湛えていた。
 どれほどの間、その闇を眺めていたのか。
 足音は遠ざかり、いつか聞こえなくなっていた。ただ、その噛むような響きが股間に凝り、耳底に脈打つ。
 不意に、我に返ったように身動ぐ、テッサは己れのなかに残されたものを震える指で引きずり出し、床に落とす。のろのろと身を起こし、よろめく足を踏みしめるように、階段を上っていった。
 降り積もった雪が星明かりを映して仄かに白い、小塔の外はすっかり暮れ落ちていた。
 宵の寒気が肌を刺すなかを塔から離れ、胸壁に縋るように雪の上に屈み込む。
 痛みは、耐えがたいようなものではなかった。それを、なぜ涙がとめどないのか。頬を濡らし幽かな音をたて雪に落ちる。その足元の雪をすくい、鈍く疼く己れにこすりつけた。
 執拗に。雪の冷たさに痺れ、痛みさえ感じなくなって、ようやく、手を止めた。
 ふたたび三層の踊場に戻った、テッサの足が何かを踏んだ。
 一瞬、身を竦めたテッサはだが、震える手に探り、拾い上げる。そして、
 壁灯のもとに歩き、崩れるように、その場に坐り込んでいた。
 それは――
 一個の真新しい鍵だった。


 王都グリエムランの東に連なる峰々。その中央に、一際高く聖峰アズロイは聳える。
 鋭く天を突く頂をかたちなした稜線は、弧を引いて緩やかにのび広がり、四方に従えた峰々の中に没する。
 聖峰を仰ぎ見て連なるその峰々がやがて途切れ、南の地平と交わるあたりに、小峰レカンはあった。
 人は、レカンの峰の頂に昇る陽に、秋の終りを、そして、冬の極まりを知る。
 晩秋、アズロイの高処から南の野に向かって移ろう日の出がレカンの峰を過ぎると、雪嵐を運ぶ北風が吹きはじめ、冬が到来する。
 日々、厳しさを増す寒さに、地表を塗り込めて降り積もる雪に、人は、待ち続ける。
 青ざめて白く、シンと凍えた野面に、
 黒々とうずくまる森の上に、
 移ろいでた朝日はいつ、北に、アズロイの峰に向かって戻りはじめるのか――指折り数えるように、人は待つ。
 やがて、日ごとに長くなる昼に、人が気づく頃、
 凍てた夜気を裂いて、
 再び、レカンの峰に陽は、昇る。
 この日を境に季節は春に向って歩みだす。
 雪嵐を運ぶ風ジガライはいつか去り、張り詰めた寒気はほころびをみせはじめる。
 この日を、
 冬の節日――として、
 人はやがて来る春を祝った。
 だが、日差は春に向うとはいえ、冬はその裳裾を厚く広げ、地を被い尽くしている。
 それでも、だった。
 否、それだからこそ――だったか。
 この日、長い冬に備えて満たした倉の扉を大きく開き、人は祝いの宴を張る。
 冬は、その半ばを越えたのだ。ささやかな宴にそれを祝って、何が悪かろう。その貯えに応じた振舞いに、一日、冬の寒さにかじかんだ心を緩めたとしても――
 だが主催が王ともなれば、主立った家臣を集めてのその饗応は、ささやかとは言えなかった。その上、この年の宴は例年にないほどに盛大に催された。
 王は、いったいどうされたか――
 密かにささやかれる声は宴席のざわめきに呑まれ、心をかすめる陰の塔の姿も知れぬ虜囚はつかの間に意識の外に追いやられる。
 今はただ、楽しめばよい――

 節日の宴は宵の口に及んでなお、果てる気配を見せなかった。
 無数の燭台に明々と照らし出された大広間を、絶えることのない楽師の弾奏が満たす。吟遊詩人の朗唱が流れ、道化や曲芸師の引き起こす賛嘆や笑いの響動が、打ち寄せる波のように重く澱んだ大気を震わせた。
 宴には連なれぬながら、下僕の端にまで常にはない酒や料理が振舞われた。
 酔い疲れたものらが一人去り、二人減り、長い宴がようやくに果てたとき、すでに深更に至っていた。
 宴が果てるまで居残った一団のなかにエゴウの姿があった。
 そのエゴウが心地良い酔いに半ば泳ぐような足取りで自室に戻ったとき、だがそこに、テッサの姿がなかった。盛り上がった上掛けの下にはまるめた毛布が寝かされていた。
 間をおかず表の間に立ち戻ったエゴウに、控の間にひきあげていたノルドルが訝しげな顔を見せる。
「どうなされた――」
「お前たち――いつ、戻った――」
「宵の口には‥‥居られぬのか‥‥」
 振舞われた酒に酔い潰れて不明瞭な呟きを漏らす年若い同輩を肩越しに一瞥し、後手に扉をしめる。
「我らが戻ったときには寝て居られた。出ていかれた気配はない。では‥‥」
「寝ていたのは毛布だ。してやられたな」
 苦笑する、その総身から酔いが消えていた。
 ノルドルは部屋を突っ切る主の背を追って廊下に出た。
「心当たりが‥‥おありか‥‥」
 エゴウが立ち止まり半身を向けた。一瞬、その蒼瞳が壁灯の光を含んで煌めく。
「まさかとは思うが‥‥来るには及ばん。休め――」
 足早に立ち去る主の背を、ノルドルは憮然と見送った。
 壁灯の紡ぐ光の繭が点々と列なる、廊下はすでに寝静まり、人の気配もなかった。
 あの娘は、本気でリューとかいう小僧がまだ生きていると思っているのか――噛むような足取りで外城壁の歩廊に通ずる塔に向かいながら、エゴウは微かに眉を寄せる。
 暇さえあれば城壁に上り内郭の壁を見上げていたという、娘が寝室にいることを装ってまで抜け出したからには、万一にもそこにいようとは思えなかった。だが――
 憐れとは思いながら、何をなしようもあるまいとたかをくくっていた己れを悔やんでも始まらぬ。それにしても、いかに節日の宵とはいえ本気で警備の目を盗み内郭に忍び込めると思ったか。
 仮にも見咎められぬということはあるまい、捕えられれば、エゴウにもなしようはなかった。内郭の警備は近衛の領分だ。あの、ギュラン・カッサールの――
 結局は、その手に落ちるか‥‥闇の中に、エゴウの足が止まる。
 今更よな‥‥
 束の間、醒めたと思った酔いがにわかに足を捕える。傍らの壁にもたれかかり、そのまま釘付けられたように闇に佇む、エゴウはそれでも自室にもどろうとはしなかった。
 何たるざまか‥‥
 やがて自嘲に歪む顔をいかつい手で撫で下ろし、壁から離れた。足は小塔に向かう。螺旋階段を上り、エゴウはひっそりと人の気配の絶えた城壁の上に出ていた。





VOL6-3
− to be continued −

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