VOL6-6
王がグリエムンの玉座をわがものとした日、それまでムゴルに向けられていた嫌悪も蔑みもない優しげな眼差は失われた。 他のものと変らぬ、冷ややかな、侮蔑に満ちた視線――内心の嫌悪もあからさまなその視線は、だがあくまで醒め、冷えびえと、見るものを凍らせた。 竜人を手に入れて、王の双眸からその透徹した輝きが消えた。 熱い惑溺に濡れる暗い双眸は、もはや何も映してはいないかのように、その内心の執着を照り返すだけとなった。 それが―― 自らを傷つけてなお、必死に互いを庇い合う竜人と、質なる子――裂きがたく抱き合ったその姿を目のあたりに見せつけられ、身を凍りつかせた王が逃れるようにその場を去った、 あの嵐の夜を境に、その双眸に凝ったねつい光が消えた。 あの夜、王は狂ったようにムゴルを求めて熄まなかった。幾度も、幾度も―― やがてムゴルの腰が砕け、涸れ果てた。 自らも萎え、痺れたように投げ出された体に応える力も喪われた、それでもなお、王はムゴルを貪りつづけようとした。 ついには、ただ折り重なったままに、死魚のようにその動きが絶えた。その時―― ムゴルは聞いたのだった。 ふつふつと王の口に湧く、密やかな笑いを。 いつか、夜は明けていた。 薄明の静寂のなかに、王の笑いはやがて溶けるように消えていった。 眠られたか‥‥ このまま、 いつまでも体を重ねていたい‥‥思いを振り切り、ムゴルは王の上から己れを引き剥がす。王の身を清めるために鉛がつまったような体を寝台から滑らせた。 その視線が、王の顔に止まる。 薄く開いた双眸に闇を湛える、王は、眠ってはいなかった。その眦から白く、とめどなく糸を引いて涙が流れ落ちていく。 息さえ殺し、ムゴルはそれを見つめ続けた。 以来―― 王は竜人を責めようとはしなくなった。 王の命がないままに、子供は小塔の檻に戻されることもなく、竜人の傍らに起き伏しするようになった。 ときおり、思い出したように訪う、王はただ、ひっそりと寄り添う二人を言葉もなく見つめる。 触れようともせずに、ただ見つめ――去っていくのだった。 そして。ムゴルに向ける視線からは、嫌悪も、侮蔑も、拭ったように消えていた。 不思議な静謐をまとった、王の双眸はかつてない冴々とした光を宿し、ムゴルの内に、いわれのない戦きを誘った。 だから――だったか。 何かが、終わろうとしている‥‥日増しに強くなるその思いに、ムゴルは、息を潜めるように日を送る。 足音さえ殺して、 何か――を、待ち続けていた。 ふと、気配に顔を上げる、 表の間につづく扉を背にひっそりと立つ王の姿に、ムゴルは打たれたようにもたれかかっていた寝台から跳ね退った。 もう‥‥そのような刻限か‥‥ まだ宵の口であったが、ムゴルのうちに時は失われていた。ただ、王が戻ったことにも気付かず思い耽っていた己れに狼狽し、叱責を待って身を竦める。 王は、咎める気配もなく見つめる。 あまりに静かなその眼差に、ムゴルは身を震わせた。 罵声でもいい、王の声が欲しかった。 だが、 王は声をかけることもなく寝室を横切り、陰の塔へと、姿を消した。 ――その、 陰の塔に、嵐は遠かった。 地を奔る咆哮も厚い壁にへだてられ、微かな唸りを這わすだけの塔のうちに、 ふと気付けば、それも絶え、 置き捨てられたものらのうえに、ただひそりと、時は、澱む。 王が去り、ムゴルが行き、気配さえが絶えたとき、緊張の糸も切れたか、リュールはエリエンの腕のなかで意識を失っていた。 どれほどの時を、そうしてエリエンの腕に抱かれていたのか―― ふと目覚め、まだエリエンの腕の中にいる、己れに安堵し目を瞑る、リュールがようやくに覚めたとき、視界は灯火の落ちた漆黒の闇に包まれていた。 ムゴルはあれきり灯をつぎにもこないのか、盲いたような闇の中で、リュールは腕のなかの存在を確かめるようにきつくしがみつく。 「エリエン‥‥」 応えるように、エリエンは腕に力を込め、リュールを胸に抱き締めた。 「リュール‥‥」 耳元に落ちる密やかな声に、安堵の吐息をもらし、リュールはなめらかなくぼみに頭をもたせかける、 いつ終わるとも知れぬ、時は甘美だった。 その甘やかな時に浸り続けていられないのは、なぜか。 いつまで‥‥ こうして、いられるのだろう、 いつから‥‥こうしていたのかと、ふと思ったとき、リュールはむごたらしく傷ついたエリエンの腕を思い出し、身を慄かせた。 それなのに‥‥ずっと抱いて、いてくれた‥‥その思いに切なく胸を噛まれ、身を退らせる。 「リュール‥‥」 背に回されていた腕がゆるみ、静かな声が、問いかける。何かに背をもたせかけ、エリエンは床に腰を下ろしていた。 「エリエン‥‥手が‥‥」 ああ‥‥と、声が落ちる。 「もういいのだ‥‥もうじき、戻る‥‥」 リュールは闇のなかに探りあてたエリエンの肩から腕に手を滑らせた。振り向けた視線の先に、仄白く光るものがあった。 それは千切れた手首の断端が放つ光だった。 「我らの体は‥‥癒えるときに、光を‥‥放つ‥‥」 手探りし、光る手首を震える両手に包み込んだリュールは、もっと下の方にも仄かにともる二つの光に気づく。 「エリエン‥‥足も‥‥」 「壇から‥‥おりるには‥‥だが、もう、痛くはないのだ‥‥」 リュールは無言で、エリエンの首にしがみついていた。その体が激しく震える。甦らせた記憶に、無残に体を開かれ、壇上にくくりつけられていたエリエンの姿に―― そうだった。手首だけではなかった。 両の足首にも、青金の鎖は、まがまがしく絡みついていたのだ。そして、 ああ‥‥ しがみついた胸にあたる、これは‥‥ エリエンの胸に生えた、硬い、鎖の感触に、リュールは今更ながらに身を強ばらせた。 「リュール‥‥気にしてはいけない‥‥もう、痛くはない‥‥」 嘘‥‥ 思いは吐息となって洩れ落ちる。痛くない、はずがないのだ。リュールが身動ぎ、鎖を揺らすたびに、エリエンの肌は微かな震えを這わせていたではないか‥‥ 「気にしないで‥‥リュール‥‥」 エリエンは自分を気遣って身を強ばらせるリュールを、荒々しいまでの力を込めて抱きしめた。 「エリエン‥‥」 驚きに満たされて、リュールはその名を呟く。こんな、エリエン‥‥初めてだ‥‥ 「わたしの‥‥小さなもの‥‥暖かな、金の光‥‥」 そのささやきの、なんと熱いことか‥‥不意にうねり上がった熱い潮に満たされ、驚きはおし流されていった。 それは見開いた双眸からあふれ落ち、頬を濡らしていく。 リュールは陶然と、抱きしめる腕のなかに身をゆだね、 目を、閉ざした。 VOL6-6 − to be continued − |