ルシェラは、薄青く輝く水晶の廊下を足早に歩いていた。
気の進まない相手からの呼び出しに、苛々する気持ちを抑えられないでいた。
傅かれる事を極端に嫌う性格の故か、付き人は一人もいない。また、武人としては隙もない服装と装備だったが、その美しさ以外に身を飾るものは何一つない。
その顔立ち以上にルシェラを美しく彩るものはないとは言え、表向きには目上の……実質的には同格の相手に対するにしては、いささか簡素な支度だった。
身支度などする気持ちにはなれないと言うのが、紛う方なき本音だ。
「守護者ルシェラ、お召しにより参上仕りました」
「おお、よく参った」
玉座から腰を浮かせた男の前に跪く。
吐き気がする。
立場と職務がなければ、こんな男に傅かずともよいものを。
ルシェラが本来立つべきはこの男の隣であり、足下ではない。自身の我が儘からその位置を逃れているとは言え、それはそれで苛立ちの要因となっていた。
「ご用件は」
「そう冷たい声を出すな。レィニ星系第二銀河にて不穏な動きがある。お前の力を頼みたい。お前なれば、半日で終わる仕事だろう」
「了解致しました。では、直ぐに出立致しますので失礼致します」
「待て」
立ち上がり素早く踵を返した所を引き留められる。ルシェラは小さく舌打ちをした。
「出立前に、私の私室へ」
「お断り申し上げます。用意がございますので、失礼致します」
「待てと言うに。ダイユーアの核の温度は上がり続けている。お前には、どうする事も出来まい」
男の唇の端が、にやりと上がった。
振り返りもしないルシェラに幸いそれを目にする事はなかったが、それでも唇を噛み締め拳を握る。
ダイユーア。
この、神々の国レグアルドの玉座に座る男の作り出した、神々の遊戯の為の星。
星は、罪人を核に作られる。
どの様な役割の星であってもそれは同じ。
核となった咎人は星と運命を共にし、最期には華々しい閃光を放って散っていく。
ダイユーアの核となったのは、黒髪の美しい少年だった。
罪状は神々の王にとっては明白なものだ。神王の想い人と、愛し合っていた少年だった。
「かの星の行く末は、私だけが知るものだ。直ぐに消えるも、長く生きるも、私の指先一つだと……お前は何時になったら理解するのだ」
「…………好きになされば宜しいでしょう。陛下が生み出された星一つ、陛下の思し召しのままに」
声が震える事もない。この様な言葉遊びは、今に始まった事ではない。
「強がるな。愛いものよ」
神王は玉座の上で足を組み、肘置きに腕を寛がせて頬杖を付いている。
ルシェラの背を見詰める視線は冴え冴えとしながらも熱い情欲に滾っていた。
「かの星での遊戯も今や大詰め。壊してしまっては、他の神々からも必ず物言いが付きましょう」
ルシェラは何とか一呼吸を置いて、神王を振り返った。
唇には婉然と微笑みを湛え、揺らぎもしない瞳で真っ直ぐに神王を見詰める。
屈する事も臆する事もない冴え渡る瞳の煌めきに、神王の背筋に戦慄が走った。
欲しい。
この美しくも冷たい生き物を全て喰らい尽くして、自分のものにしてしまいたい。
どれ程長い間それを願っている事だろう。
しかし、ルシェラはただの一度もそれを許した事などなかった。
「大詰めを迎えた遊戯ほど詰まらぬものない。その詰めを終えれば、遊戯は終わってしまうのだからな」
「終えた後、また始めればよいだけの事」
その言葉を受け、神王軽く手を挙げた。その指先から微かに魔力が流れ出る。
ルシェラは咄嗟に手を振り、神王を上回る魔力でそれを掻き消す。
神王は、厭な気のする笑みを深くした。
「勝手にすればよいのではなかったか」
「………………………………………………私室に……お伺いすれば宜しいのですね」
瞳が殺気を帯びる。しかし、神王はそれを受け流す。
息の詰まる空気が支配していた。
「そうだ。私の執務が終わる頃を見計らってくるがいい」
「畏まりました。それまで自室で待機しております」
「うむ」
神宮を辞し居所に戻るや自室に駆け込み、ルシェラは寝台に身を投げた。
神王の執務が終わるまで、まだ数時間ある。
よく身支度を調えなくてならない。そうでなくては、おぞましい方法で身体を清められる事になる。
何故わざわざ私室に呼ばれるのか、理由は明確だ。
神王はこの顔と身体に執着している。それは、神王がまだ神になる以前、ルシェラも守護者になる以前からの話だ。
神々すらも愛でる美貌に、幼い頃からルシェラは振り回され続けてきた。
望まぬ相手に無理を強いられる、ただひたすらにその繰り返しだ。
望む相手と身体を会わせた事は幾度あったろう。望む行為より望まぬ行為が圧倒し、何時から触れ合っていないのかも思い出せなかった。
肌には神王の感触と、その目を盗んで触れ合った数多の男達の感覚だけが残されている。
どんな相手であれ、一夜限りの相手であるならば神王より遙かにいい。
守護者という役職名が示すとおり、ルシェラの役割は神々、そしてその住まう星、ひいてはこの宇宙を守る役目を負っていた。
その役目に従いこの星を離れる時だけ、ルシェラは自由を許される。
しかし、離れる前には余程の執着が身を切り裂いた。
装備を脱ぎ落とし、生肌を晒す。
窓から差し込む光の中、それをも凌ぐ輝きを放っている。
そのままの姿で、すぐさま湯浴みに入る。
湯殿は乳白色の水晶で作られており、大きな窓から差し込む光が明るく室内を彩っていた。窓の外は湯殿から楽しむ為だけの小さな庭園が造られている。
蛇口を捻ると温められた湯が降り注ぎ始める。瑞々しい肌の上を水滴が玉になって零れた。
ぬるい湯を浴び身体の隅々までも磨き上げていく。
それはまさしく人身の宝玉だった。
柔らかな絹に香りのよい花弁を包んだものに湯を含ませ、そっと肌の上へと滑らせる。
だが、身支度がこの程度で済めばよいのがそう言うわけにも行かなかった。
湯殿から壁などに隔てられる事もない所に便器が設えられている。
ルシェラが抱かれる為の身支度を調える為に作られた場だ。本来寛ぐ筈の空間が、じっとりとした厭な緊張感に包まれている。
「っ…………ふ…………」
長く繊細な指先が尻の狭間を這う。慣れた仕草で蕾を押し開いた。
湯が中に入り込む。ルシェラは軽く唇を噛んだ。
側の棚から薬剤の入った容器を取り出し細長く作られた口を軽く解した蕾へ差し入れる。
「ん…………」
ぬるい液体の違和感に鼻から声が抜ける。馴れてはいても気持ちが悪い事に変わりはない。
上半身を洗ううちに下腹が張ってくる。眉を顰めながら便器に向かう。
神王の手に依ってこの行程を行われる事に比べれば、自身で処理をする事に苦痛は感じない。
二度程それを繰り返し湯殿で下半身を洗いにかかった。
側の容器から粘性のある香油を掬い取る。何度も取り直しながら、中に注ぐ様に奥へと指を差し入れた。
「……っ…………く…………」
片手で壁に縋り身体を支える。
綺麗さっぱりしてしまわなければならない。奥底まで神王の指に探られると思うだけで我慢がならない。
この中を探る指が……そう、愛しい男のものであったなら……。
「は……ぁっ……」
この瞬間だけがルシェラに許される夢想の時だった。
その他の全てを拒む程に愛しい、男の手に触れられる。そう、この指がもっと、太く確かなものになって……。
「ぁ、っん……」
微かな、けれども確かな記憶。
触れて欲しい。
身体だけではなく、心の奥の奥……ただ一人だけが触れる事を許される場所にまで。
乾ききった身体と心が上げ続ける悲鳴は、もはや擦り切れ掠れて届きもしない。
「ん、っん……リファス…………」
熱く掠れた声でただ一人の名を呼ぶ。
浴室に籠もった声が響き、ルシェラの背が震える。
「リファス…………」
高い位置にある湯口から流れ出る湯量を増やし、頭から浴びる。
湯を弾く頬に、幾筋もの水跡が流れる。その幾つかは、涙の様に見えた。
「………………リファス…………ぁ…………」
名を口にするだけで強い感情が込み上げる。
会いたい。
会って、抱き合って、口付けて…………見つめ合えば言葉もいらない。そして、その先まで…………。
身体の奥底が乾き罅割れている。恵みの雨を降り注ぎ、潤してくれるものはリファス以外にあり得ない。
満たして欲しい。
憎んでいる男にいくら抱かれたところで、余計に身体も心も渇いていくだけだった。
「はっ……ん……ぁん……」
黒々と美しい髪が肌の上を滑る。
黒い瞳に映る自分の姿。
ただ、見詰めてくれる優しい瞳。
他には何もいらない。ただ、その腕に抱かれていたい。
リファスに関する記憶の全てを一つ一つ辿りながら、ルシェラは身を昂ぶらせる。
昂ぶり、達しかけて我に返る。
ここで達してしまっては身が持たない。
神に次ぐ肉体を持ってしてもその力を支えきるには不十分であり、ルシェラはそう丈夫とはいえない身体だった。
僅かにでも疲労が過ぎれば直ぐに伏せって動く事もままならなくなる。
ただでさえ、この後に仕事も控えているのだ。無理は出来ない。
「んっ……」
指を引き抜き、湯を当ててよく洗い流す。
ふっくらと緩んだ蕾は物欲しげに疼いていたが、どのみちこれから穿たれる場所だ。
どれだけ男達に抱かれる事に馴れていようと、そしてその行為に救われていようと、神王に抱かれるくらいならばまだ庭の木々の葉裏に付いた虫の方が幾分良いと思えた。こうして自身で支度でもせねば、とても堪えられるものではない。
湯船に満ちた湯に側の容器からふた掴みほど花弁を放り込む。湯気に混じり花の香気が立ち昇る。
その中へゆっくりと身体を浸す。
美しく、何より気高くある事がルシェラに残された数少ない誇りだった。美しくなくてはならない。誰よりも、誰よりも……。
湯に使っている水は神の国の中でも殊に神聖な山から清冽な湧き水を汲み上げ引いている。浮かべた花も香りの良い事でこの国で最も珍重されているものだ。
ルシェラには全ての贅沢が許されている。自身の身体さえ除けば、ルシェラは全てをその手にしていた。
肌触りの良い湯を掬い、ゆっくりと腕や胸元に手を這わせる。花弁がちらちらと肌に触れては離れ、緩やかに優しい愛撫を繰り返す。
このまま上がらなければ、このまま穏やかな時が続くというのに…………。
顔を鼻の下まで湯につけ目を閉じる。
窓の外から、微かに鳥の声が聞こえていた。
撓やかに泳ぐ様にして窓辺に寄る。窓の外のこぢんまりとした庭は少し荒れた風情だったが、それがまた退廃的な美しさを醸している。
手入れをする人間を失って久しい為に草木は伸びるに任せられ、置かれた石像なども元は白かったのが朽ちて地の灰色が半ば覗いていた。
木々に付いた実を食べに来たのか、枝々や地面には数羽の小鳥が屯して愛らしい囀りを聞かせている。
優しい時間。この風景を作り出してくれたのもまた、リファスだった。
元より芸術的な才に長けていた上に手先も器用で力も強く、ルシェラの為にと居所にも様々な工夫を凝らしてくれた。
「はぁ…………」
ゆったりと手足を伸ばす。
リファスの感覚がそこかしこに控えていて、湯気や湯に入り交じりルシェラの全てを包んでくれている。
ルシェラはゆらりと湯の中に身体を浮かべた。
長い髪が湯の中を踊り身体に絡みつく。自由の感覚が心地よく、息を軽く吸って顔を仰け反らせた。
頭の中がぼんやりとして、熱に浮かされた様だ。
心地よさとたゆたう酔いに意識が引き摺られる。
くらり、と意識が本格的に揺らぎ始め、ルシェラは渋々起き上がった。
湯から上がり、湯船の縁に腰掛け湯と言うには少々温いものをかけて僅かに火照りを冷ます。冷水では身体に障るが、このまま逆上せたままも良くない。
段階的にかける湯の温度を低くし、様子を見ながらそろそろと立ち上がる。
ここから出たくない。
何に依るものなのか分からない眩暈がしていた。
壁に手を寄せて縋りながら乾いた大きな布を身に纏い、身体に巻き付けて湯殿を出る。
「あっ…………」
寝室に戻り、ルシェラは小さく声を洩らす。そこには、予想しない姿があった。
片眉を上げ、髪を軽く拭きながら寝台に腰を下ろす。
「不用心だな」
「何を警戒するのです。貴女こそ礼儀のない」
部屋の中に置かれた椅子に座り寛いだ様子で足を組んでいる小柄だが美しい女を軽く睨む。
赤金の髪に琥珀色の瞳が印象深い。
「陛下の命が下されたのだろう。私にも、お前に同伴せよとの仰せだ」
「そうですか」
指先を軽く触れ合わせると、熱と風の入り交じった空気が渦を巻く。軽く髪を当てると瞬く間に乾いた。
「好きになさればいい。貴女の出る幕はないでしょう」
「レィニ星系だったな。往き道を考えろ」
「ええ。分かっています。神王ともあろう男が、器の小さい事だと嘲っているだけですよ」
レグアルドと今回の派遣地の間にはダイユーアがある。
枕元の水差しから円筒状の容器に水を注ぎ、一気に煽る。湯に渇いた喉が潤される。
「サディア、わたくしがもし……陛下に反旗を翻したら、貴女はどうなさいます」
「どうして欲しい」
「…………何も。わたくしの邪魔立てをして欲しいとは思いませんが。貴女に刃を向けるには忍びない」
「だが、お前を止めようとすれば、私にも容赦をするつもりはないだろう?」
「ええ。申し訳のない事です」
ルシェラの言葉には澱みもない。サディアは呆れた様に苦笑した。
「仕方のない奴だ」
「お褒め頂いて光栄です。どのみち、まだ時は参りませんから」
静かながら、途方もない決意を感じる。
サディアはそっと席を立った。
「出立の時には声をかけてくれ」
「ええ。陛下次第では、明日には出られないかもしれませんが」
「お前も大儀な事だ」
「ええ、全くです」
サディアが去り、寝台に仰向けて寝転がる。
身体の芯に残る火照りがまだ意識をゆらゆらと揺らしていた。
時が来ない。
寝返りを打つ。先の自分の言葉が、厭に重く響いていた。
神王の力をそれなりに殺ぐ事が出来れば、直ぐにでもリファスを解放し全てに終止符も打てようものを。
手の甲を額に当て目を閉じる。
もう少しでこの穏やかな時間も終わってしまう。
薄く目を開けて時計を窺うと、神王の終業時間まで一時間程しかなかった。
外星に比べれば随分緩慢ではあるものの、神の国とはいえ時は流れる。
外からの光に苛々とし、寝台から駆け下りるや窓かけを勢いよく閉める。
陽の光は神王の目。差し込む光はその手であり、足であり、唇である。
陽光に身体を撫でられると、ただそれだけで悪寒がして我慢ならなくなる。数度などは、その光に愛撫を受け身体に紅斑を散らされた事すらあった。
こうして離れている時ですら、その存在に堪らない嫌悪感が浮かぶ。
元々そう気の長い方ではないルシェラが堪えているのは、偏にリファスがあっての事だ。
この神の国にとってはそう長い間でないとはいえ、記憶に残る姿が朧気になる程には時を経ている。
堪えたくない。もう、これ以上。
しかし神王の力を僅かにでも殺がぬ限りには、行動を起こす事も出来なかった。
寝台の上でごろりごろりとしているうちに外の光が僅かに陰る。気づいたルシェラはゆっくりと身体を起こした。
神王の職務が終わった証。これからは、その代わりとして月と宵闇を司る神が務める。
仕方のない事なのだ。
そう繰り返し自分に言い聞かせ、重い腰を上げる。
服装を整えるつもりもない。
簡素な生成の木綿布を繋ぎ合わせただけの服を簡単に纏い、短刀一本を帯びて部屋を出る。
「ルシェラ閣下!!」
出た途端に横合いから声がかかる。
振り向くと、自身とよく似た面差しに出くわす。
「これからご職務でいらせられましょうに、申し訳ございません」
軽く頭を下げた相手は、蒼穹の色の瞳の色を除いてルシェラと似た空気と面立ちをしている。
ルシェラ不在の際に守護者の首座代理を務める、水の神付きの守護者ラシェルであった。
「いいえ。何か」
「エリフィールナに、不審な動きがあるとの報告が入っております。如何致しましょう」
ラシェルは厳しいと言うより悲しげな表情でルシェラを窺う。
「エリフィールナ………………」
窓から見える空を仰ぐ。沈む太陽、昇る月、それとは別にもう一つの星が薄く見える。
神王の実弟の住む、神の国の衛星の一つだ。衛星で小さな星とはいえ住む者の力により大気もあり居住が可能だ。環境もこのレグアルドとよく似通っていた。
神王の実弟は兄と折り合いが悪く、それが故に神の国より最も近いエリフィールナに居住する事を強要されている。
不穏な動きと言うのも度々ある話であった。
「…………分かりました。わたくしが参りましょう。陛下にはその様に………………お前には申し訳のない事ですが」
「いいえ。それが閣下のお仕事であるならばまた、私の仕事でもございますから」
同父母の兄弟以上に似ていながらもルシェラよりおっとりと優しげに見えるのは、その表情に険しさがないからだろう。
「ゼルファスティア殿も、閣下の事を案じておいでなのでございましょう」
「執務の間には彼の目が残っている。陛下がご存じであらせられながら残したものが…………陛下も、そろそろ新しい遊戯をなさりたいと見える」
「閣下の御身を、陛下は如何お思いなのか……」
ルシェラは凄みのある微笑を浮かべ、小さく手を閃かせてラシェルの言葉を止めた。
「わたくしは陛下の盾。ただ受けるだけの身。ですが…………棘のある盾もある事を、陛下はお忘れのご様子ですね。取り落としてご自身を傷つけられねばよいのですが」
口元が微かに歪む。その表情ですら凄絶な美しさと艶を持ち、ラシェルのそれと一線を画す。
「それは陛下ご自身の過ちなれば、他のどの方の罪科でもございません」
「傷つけた盾の罪如何思います」
「盾とて、身につけたくて棘を纏っているわけでございません」
「陛下が傷つく前に、棘をなくしてしまおうとは思いませんか?」
「思いません。その棘は、盾にとっても、陛下にとっても、必要なものでございましょう?」
その答えに、ルシェラは声を立てて笑った。
「ありがたいこと」
ラシェルは深く頭を下げる。
彼もまた、ルシェラの苦しみをっていた。
神々の仕組みは、神王を頂点として極めて整然としている。
神王の直ぐ下、ほぼ並行した位置に立つ月と宵闇の神。
その下に、四大神と呼ばれる水、火、風、土の神が、そしてそれを含めた十二の属性を司る神がある。
さらにその下に、森羅万象全て、どんな細々としたものにも神があり、そのものを司るが、根幹はその十二の神と、月の神、太陽の神である神王である。
神にはそれぞれ一対となる守護者と呼ばれる存在がつきそい、神の暴虐を諫め、また、その神が危機の折りにはその危難を助ける役割を担っていた。
無論多くの制約があるが、任期満了に伴わず神王を退位させる権限すら、守護者は所持していた。
守護者の地位も、その一対となる神と対応しており、それが故に神王の守護者であるルシェラはその首座を務めているのである。
サディアのみは守護者の中でも特殊な立場にあり、守る対象を人としては持っていないが、リファスは月と対に、ラシェルは水と対にとなり、主にルシェラ、リファス、サディアと四大神の守護者とで守護者達を束ねている。
守護者の根幹として近しい立場にあるだけでなく、その七人は幼なじみとして大変に仲の良い間柄でもあった。
友人である上に、守護者となるべく寝食も共にしてきた。殆どの記憶も共有してきている。
今は封じられているリファスも友人である。
ラシェルとしても、辛い立場にあった。
「貴方の考えを聞いておきたい。……わたくしがもし、陛下に刃を向けたとすれば、如何なさいます」
微笑んだまま真っ直ぐに見詰めるルシェラに、ラシェルは同じ微笑みで返しながら穏やかに返す。
「閣下は大変忍耐強いお方ですが、祟る程の無理はお止しになった方が賢明かと思います。ただでさえ、そう無理をなさらぬ方がよいお身体なのですから」
穏やかながら、何処かそら寒い気配が漂う。
どちらの美貌も冴え冴えとして見えた。
回答に満足し、ルシェラは深く頷く。
「……ありがとう。そろそろ参らねばなりませんね」
「はい。お気を付けて」
「ええ。…………陛下には、後ほどお相手仕りますと」
去りかけて立ち止まり、僅かに振り返る。
互いに表情一つ変えず、微笑み合った。
「畏まりました」
「開門を願う! 守護者ルシェラ、不審の疑あって罷り越した。ゼルファスティア殿にお会いしたい!」
広大な敷地を持つ広大な屋敷の門前に立ち、名乗りを上げる。
エリフィールナはレグアルドの影となり、常より薄暗い、しかし不思議なほの明るさを持った空の色をして来客を拒む。
暫くその場で待っていると、重く軋む音を立てながらゆっとりと門が開いた。
軽く地面を蹴って弾みを付け、徒歩ではなく空に浮かんで先へ進む。風がルシェラを取り巻き、足で進むおよそ考えられる全ての手段を用いるより速く建物の前に辿り着いた。
足を地面に付けるそれを見計らっていたのだろう。重厚な扉が開き、一人の男が出てきた。
「ようこそいらせられた。守護者首座、ルシェラ殿」
「貴方が招いたのでしょう」
「違うな。だが……貴方がそう思って下さったのなら嬉しい事だ」
ルシェラの足下に跪き、手を取って恭しくその甲へ口付ける。
外見の年齢は見た目十代後半のルシェラより十程年嵩に見える。精悍な、美貌と言って良い程の顔立ちをした偉丈夫だった。
面差しは、それとなく神王に似ているが、表情、とりわけ瞳に滲む温もりがまるきり違う。
その色がともすれば威圧感を与えがちな風貌を柔らかくしている。
「誰を差し出してここにいらせられた」
茶化す様に問いかけるが、ルシェラの様子はにべもない。
「誰も。検分の後、直ぐに立ち戻ります」
「寂しい事だ。私を慰めてくれるのは、貴方の甘美な声音以外にないというのに」
未だ放そうとしない手の指先を軽く口に含み、舌で転がした後軽く歯を立てる。
ルシェラはただ冷たい表情でそれを眺めていた。手を払いはしない。
「どうぞ、中へ。存分にご検分を。夜は長い」
「…………失礼致します」
「それで?」
中に入って直ぐ、扉を閉めて二人は対峙する。
外では未だ神王の目が届く。建物とは結界。その目や耳を遮断する事くらいは出来る。
ルシェラを中に押し扉に自身の背を付けて先に口を開いたのは、ゼルファスティアだった。
「こう早く貴方が来るとは思わなかった」
「貴方が聞いていらっしゃる事は分かっていました。……陛下は貴方に見せつけたかったのでしょうけれど」
ルシェラはゼルファスティアに歩み寄り、少し距離を置いたまま僅かに腰を折って額を男の胸に押し当てた。
「……ルシェラ…………」
常にない仕草に戸惑う。
リファス以外の男に媚びぬ事がルシェラの稔侍でもあった筈だ。
「貴方に頼みたい事があるのです」
「これは……珍しい」
一言で先が読め、ゼルファスティアは心持ち身構えた。
「貴方であれば、陛下のお力を殺げる筈…………」
「は…………」
ルシェラの振り絞る様な声に対し気の抜けた様な息が洩れる。
薄い肩を支え、僅かに身を離させた。
「貴方がそれを望むのがどれ程危険な事なのか……承知した上でのお言葉だろうな……」
心底困った顔をしてゼルファスティアはルシェラを窺う。
神王を守るべき立場の者が、その力の翳りを望む。自身の立場どころか、存在意義すら失いかねない。
「しかし、それにしても貴方らしくない。私に頼み事をすると言う事が、どの様な意味と受け取られるか……分からないわけではなかろうに」
神王とその弟のいさかいには、それだけではないにしろルシェラが多分に関わっている。
ゼルファスティアも、ルシェラを希う男の一人だった。
それを知りながら、ルシェラは甘い毒を吐く。
「…………陛下の退位の後には、貴方を神王に」
声音は甘いが、その裏に潜む耐え難い苦痛を嗅ぎ取って、ゼルファスティアの形の良い眉が顰められる。
ルシェラの望みは分かるが、とてもではないが直ぐ様に承諾できる言葉ではない。
「確かに貴方なら私を推挙する事も出来ようが……何故、今」
「……………………わたくしが、もう……堪えられないから…………」
ルシェラの手が伸び、ゼルファスティアの衣服を掴んだ。顔を伏せ、肩を震わせる。
全てが演技だとも思えず、思わずその華奢な肩を抱いた。
無論、全ての言葉と態度を疑いもなく受け入れるわけでないが、ルシェラがそう完璧に立ち回れるとは思っていない。
元々ルシェラが持っている実直さ……ともすれば猛進しかねない程の……を知っている。
歳と経験を経て随分嘘が上手くはなったが、昔からのルシェラを知る者にとってはまだ素直な面も持ち合わせていた。
「これまでの忍耐も、全て無に帰すおつもりか」
「…………現状を維持したところで、何も変えられない」
「私に、貴方に都合の良い男になれと」
つい言葉が強くなる。
出来る事なら望む様にしてやりたいとは思うが、だからと言ってただ諾々と流されるには、し損じた場合に余りに不利だ。
「……貴方が神王になれば、その職務上、私は常に貴方の側に控え居る事になります。それではご不満ですか?」
「そして、夜はリファス殿と睦まれる。私にそれで満足しろと?」
「………………………………リファスには、ただ一度…………一度でいいから、最後まで想いを遂げ合いたいだけ…………それ以上は望んでおりません……」
ルシェラは顔を上げ、潤む瞳でゼルファスティアを見上げた。瞬く間に涙が溢れ、頬を濡らす。
髪を撫で、その涙をそっと親指で拭ってやる。
ルシェラの言い分が納得できず、僅かに首を傾けた。
「ただ、一度?」
ルシェラに想い人があるのは周知の事だ。そして、その者とは幼い頃から寝食を共にしていた事も。その頃から、ただひたすらに睦み合っていた事も。
「……陛下がわたくしに触れた数は千や二千を下らない。リファスとわたくしが情事として触れ合ったのは、ただの四度。それも、全てに陛下が割って入られ、何一つ、叶えられなった……」
「まさか」
信じられる話ではない。
思わずルシェラを凝視すると、ルシェラは強張った表情のまま微笑もうとした。その表情が酷く痛々しい。
「……これは、サディアやラシェルにも伝えてはいない事です」
「しかし、その様な………………信じ難いが、あの兄なれば……さもあらん……」
胸が焼け付く様だ。
兄に煮え湯を飲ませられ続けてきた。
ルシェラの意志に依らず彼を取り合っても来たが、自分にはそこまでの事など到底出来るわけもない。
ルシェラを望むが故に、ルシェラの望むものを出来る限り叶えてやりたいと願う。それが出来るのが、愛なのだと、ゼルファスティアはそう思っている。
兄の横暴さを知ってはいても、血の繋がりがあるからこそ、余計に許せぬものはあった。
「あの方が、無事に、安楽に過ごされるのならば……わたくしは、それ以上は望みません。どうか…………力を貸して……」
「だが、まだ時期が来ない。御影年までは、まだ幾分かかる。期を狙うのが、得策だろう」
細い身体を腕の中に抱き込む。
神王の力が陰に入る、それ自体は長い年月のうちにないでもなかったが、まだ時は来ない。
「はい…………今はただ、信じられる約定が欲しい……わたくしの、心の為に……」
「私を信じている、と?」
目を細める。到底ルシェラの本心だとは思えない。
しかし穿って見る視線を、ルシェラは撓やかにそよぐ小枝の様に受け流した。口元は、笑みの様に口角が上げられている。
「少なくとも、陛下とは比べものにならない」
「あれに比べられるのは不本意だが」
「……そうでしょうけれど…………」
神王に狂わされた一生。
その共通項故に、何処か親近感は感じた。
神も代替わりをする。
その際には幾人かの候補が出、様々な試練の後に一人を決する。
前回の代替わりの際に最終試練まで残ったのは二人。
現在の神王ルシェルトゥーラとその弟ゼルファスティア。ゼルファスティアの方が優位とされ、周囲の見方もほぼ決定していた。
それが、最終試練の場に現れなかった。
試練は結局行われず、ただ一人となったルシェルトゥーラが王位に就き、神王となったのだ。
ゼルファスティアを阻んだのは他でもない、実兄ルシェルトゥーラだった。
寝食の場所を近くしていたのが災いし、数々の罠を仕掛けられ、兄を信頼していなかったにしろ身内としてそれ程の警戒を抱いていなかったゼルファスティアはそれに屈した。
そうしてルシェルトゥーラが神王位について以来、ゼルファスティアはこのエリフィールナという星に軟禁されている。
ルシェラの不自由とほぼ同じ間、ゼルファスティアもこの星の名を借りた牢獄に封じられているのだ。
「私達は、堪え過ぎたのだろうな」
「……あの方の立ち回りがお上手だったのです。それに…………こうして、苦しむ者はごく少数。確かに、あの方はそれなりによく役目を務めておいでですから……」
「私が神王位に就いていても、宇宙の平穏も国の安泰も、現状はそう大差なかっただろう。そう思う」
「その場合にはわたくしや貴方やリファスの代わりに、あの方が苦しんだ……難しいことです。誰も苦しまない様には、ならない」
「ああ…………」
我が儘、なのだろう。
そう思う気持ちが重なって、互いに縋る腕の力が強まる。
華奢で比較的小柄なルシェラと上背もそれなりにあり堂々とした体躯のゼルファスティアが寄り添う姿は一幅の絵の様に美しい。
「ここで立ち話も悪くはないが、貴方が疲れては申し訳ない。私の手で申し訳ないが茶でも入れよう」
髪に口づけを落とされ、ルシェラは僅かに目を細める。
温もりと優しさのある男の手に餓えていた。
がっしりとした身体を抱き返し、背に沿わせた手に力を込める。
「直ぐに帰らねばなりませんが…………少しだけ、頂きます」
帰りたくない、そう視線は訴える。
その瞼に、ゼルファスティアは軽く口付けた。
続
作 水鏡透瀏
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