「 ・・・お、館様・・・ 」
「 その潔さ、この信玄、感服したぞ・・・のう、竜よ 」
広い海のような、温かい大地のような、深い声の持ち主。
お館様が私を見下ろして、にっこり微笑む。
その笑みに、張り詰めていたものが解けて・・・溜まらず、泣き出した。
地べたに座ったままの私を抱き起こすと、彼は伊達くんへと視線を戻す。
「 当家の者が庭を荒らしたことは謝ろう。
だが・・・そちらに、非がないとは言い難い。書状はわしも拝読した 」
「 ほう・・・で、アンタもを取り返しに来た輩ってワケかい 」
「 本人の意思で、こちらに身を置きたいならよかろう・・・と、言いたいところだが。
わしはの後見人として、彼女を預かり、補佐し、指導する権利がある。
彼女が成人し、その方と一緒になりたいと言ってきた時には、嫁がせようぞ。
それまで・・・『 力 』で彼女を翻弄することは、この信玄が赦さぬ!! 」
「 ・・・お館様・・・ 」
『 力で 』・・・それは、もしかして。
私の無言の問いに応えるように、お館様は腕の中の私に、一度頷いて見せた。
ああ・・・何もかもご存知の上で、この人は、私を受け入れてくれているんだ。
また涙が零れてきて・・・ち、と軽い舌打ちが、耳を突いた。
「 ・・・興ざめだ。好きにしな 」
いくぞ、と小太郎さんに声をかけ、伊達くんは私たちに背を向けた。
踵を返した彼の表情は、わからない。だけど・・・そうだ、これ、図書室で見たのと同じ。
なら、きっと伊達くんの瞳は・・・。
お館様の腕をそっと下ろして、私は彼の袖を・・・あの時と同じように掴んだ。
「 伊達くん 」
「 ・・・An? 」
「 また、ね。See you、だよね? 」
「 ・・・・・・ 」
そんな悲しそうな瞳をしないで欲しい。この人は、求めるものが手に入らないとわかった瞬間、
まるで世界から見放されたような顔をする。
( 幸村くんだって、ここまで重度な表情はしなかった・・・ )
お、お嫁さん、とか・・・そこまで考えられないけど、やっぱり、放っておけないよ。
彼は驚く、というより少し放心に近いような顔で、私の手と掴んだ袖とを見比べる。
そして・・・。
「 ああ・・・See You、 」
やっぱり、あの時と同じように、私の額に口付ける。だけど今度は、あの時よりも優しくて、
労わるようなキスだった。もしかしたら・・・今回のことはやり過ぎたって、伊達くんもわかっているのかも
( だから、全然嫌な気分がしなかった )
屋敷の中へと消える伊達くんとは別に、静かに小太郎さんが寄ってきた。
そして私の手の甲に、物語の騎士(ナイト)のように唇を寄せて、彼も風に消えた。
幸村くんの驚愕の悲鳴と、冷やかすような佐助さんの口笛が聞こえて・・・我に返る。
「 まーさか風魔まで堕ちてるとは・・・俺様、気づかなかったなぁ 」
「 ・・・、殿 」
「 ん? 」
静かな幸村くんの声に振り向くと、ぬっと手が伸びる。びっくりして身体を竦めると、
私のおでこをゴシゴシゴシ!とこすった。驚いていると、幸村くんも門扉へと踵を返す。
・・・何、今、の?
呆然と立っていると、隣にお館様が並んだ。
「 ・・・お館様は、ご存知だったんですね 」
「 うん?何をじゃ?? 」
「 私が・・・前にいた家で、『 虐待 』されていたこと、です 」
ふむ・・・と、お館様は言葉を濁す。
暗い未来しか信じられなかったのは、あの家を抜け出せるとは思ってなかったから。
事故で両親を亡くしてから引き取られた家で、私は『 厄介者 』以外の何者でもなかった。
顔以外の場所への、絶えない痣。生徒の間で噂になり、先生から呼び出されても、私は何も言えなかった。
だって・・・この『 世界 』は、コドモが一人で生きていくには難しい世界だ。
物語のように旅をしたり、新天地を探すのは、現実では無理だった。
それでも、ヒトとヒトが『 争う 』ことは悪いことだから。私が諦めなければ、きっと理解できると信じていた。
だけど・・・どんなに努力しても、笑顔を振りまいても、好かれる『 瞬間 』すらなかった・・・。
何年も向けられた『 負の感情 』に染まって、私の精神も崩壊寸前だった。なぜ、とか、どうして、とか・・・
考える余裕すらない境地まで追い詰められて。その行為と敵意に抵抗することも、まして受け入れることも出来なくて、
私に出来るのは、ただ『 感情 』と『 視界 』を閉じて、彼らの気が済むのを待つしかなかった。
思い出したくないくらい、毎日、濁った眼差しで世界を睨んでいた。
この世の全てを・・・呪っていた、日々。
そんな時、だった。
お館様が私の『 後見人 』を名乗り出てくれて下さったのは・・・。
「 いつだったかの・・・身内の集まりで、お前の存在を耳に挟んでのう。
お主の父親を知っておったから、知り合いを通して、一度調べてもらったのよ 」
「 そう、だったんですか 」
「 ・・・すまなんだ。もっと早く気づいて、救ってやれば良かった 」
「 そんな・・・お館様のせいじゃ・・・ 」
「 お前が『 時間をかけて 』心を開いていく様子を見て・・・逆に、そう思うた。
人を『 信じる 』のが難しいのは、わしが引き取るのが遅くなったからだ、と。
だが・・・これだけは、おぬしに『 信じて 』もらいたい。
わしも佐助も、幸村も、・・・お前を、決して裏切らぬ 」
「 ・・・はい! 」
佐助さんも幸村くんも・・・お館様も。
こうして隣にいてくれるのは、書状の内容もあるけれど、すべては私を心配して迎えに来てくれたからだ。
お館様の真摯な瞳に見つめられて、彼の胸に飛び込んだ。大きな腕が私の背に回って、抱き締める。
その後ろでコホン、とわざとらしい咳払いが聞こえる。佐助さんだ。
「 大将、熱い抱擁もいいんですが、ココ、敵陣なんで。帰ってからにしませんかね 」
「 おお!そうじゃったの。、歩けるか? 」
「 はい・・・あ、庭掃除の途中だったんです。帰って、続きをしないと・・・ 」
「 あー、箒も書状と一緒に届いてたよ・・・それよりも・・・ 」
佐助さんが私の手を取り、ちゅっと音を立てて甲に口付ける。眉を上げたお館様に、やだなあ・・・
消毒ですよ消毒、とぼやく。それを聞いて・・・幸村くんの、不可解だった『 あの 』行動がようやく理解でき、た!
瞬間、顔から火が出るくらい真っ赤になった私を見て、2人が大きく口を開けて笑った。
「 それで幸村は不服そうに出て行ったワケか・・・あやつも、人の子よのう 」
「 俺も旦那も、他の奴らに可愛いちゃんを取られるワケにはいかないんでね 」
佐助さんがそっと私に耳打ちする。
もうこれ以上ないくらい赤くなっている私は、何も言えずに、ただ、俯いた。
そういえば・・・結局、幸村くんには、謝っていないんだけれど。
今、彼に逢っても・・・さっきの、不機嫌そうに手を伸ばした幸村くんを思い、出して。
・・・やっぱり、謝ることは出来ないんだろうなあ・・・。