「 お前、可愛いのなっ! 」
背後から声がしたけれど、誰のことを指しているのかわからなくて、辺りを見渡す。
お前だよ、お前!と同じ声がして振り向く( ・・・私? )
そこには、キラキラと瞳を輝かせた少年のような人と、呆れ顔のまつさんがいた。
「 ・・・もしかして、私、ですか? 」
「 そうだっ!俺の嫁になってくれ!! 」
「 こら、武蔵!!婦女子にいきなりそんな声をかけるとは、何事ですか!? 」
「 ええ!?俺、何かまずかったかぁ? 」
「 当たり前ですっ!!そもそも、貴方は以前から・・・」
武蔵さんと呼ばれたそのヒトを裏口に立たせたまま、まつさんのお説教が始まった。
どうしたらいいかわからずその場に立ち竦んでると、潜めた声で名前を呼ばれる。
柱の影からひょっこり顔を出した慶次さんが手招きしていたので、駆け寄った。
「 まつねーちゃんの説教は、始まると長いからな。さっさと退散するに限る! 」
「 あの、いいんで、しょうか。あの場にいなくても・・・ 」
「 ん?武蔵のことか?アイツはいつも、女とみりゃ声をかけたがる。
ちゃんは、気にしなくていいんだよ。ただ、野菜の目利きは確かなヤツでさ。
利もまつねーちゃんも、一目置いてるからアイツの仕入れを利用しているんだよ 」
慶次さんが微笑むと同時に、お店の入口にあるベルが来客を告げた。
「「 いらっしゃいませ! 」」
・・・こつり、と靴の音がした。ゆっくりと扉をくぐる仕草すら優美な、その井出達。
いつもなら空いている席にご案内するけれど、この常連さんだけは違う。
ふむ・・・と少し唸ると、一度見回して、また靴を鳴らした。
座ったところにやってきた私を一瞥して、
「 アメリカンを 」
と言ったきり、口を閉ざす。はい、と私は答えてカウンターに戻るけれど、
利さんはもうアメリカンをカップへと注いでいた。
トレンチに乗せると、ミルクも砂糖も沿えずに、彼のテーブルへと運ぶ。
余計な音は立てないように、そっと・・・置け、た!
平静を装って、小さく会釈してテーブルを離れる。カウンターの隅でトレンチを抱えたままにやついた私を見て、
チカさんがなんだぁ?と苦笑する。
「 は、だいぶ慣れてきたみてぇだな 」
「 そうですか? 」
「 ああ、見てればわかる・・・大体お前、怖くないのか? 」
「 ・・・怖い? 」
「 あの客だよ。松永、だっけ。常連客で、小説家だって慶次が言ってたっけな 」
チカさんが投げかける視線の先で、彼はカップの淵に口をつける。
その仕草に思わず見惚れていたら・・・目が、合ってしまった。
息を呑んで慌ててそらしてみるけれど、私ってば、な、何て、失礼なことを・・・!
でも、驚いているようには見えなくて。むしろ、松永さんは確認するかのように、私と視線を合わせたように、
思える( ど、どうして見てるの、わかったんだろう・・・ )
奥のテーブルから呼ばれて、トレンチを掴んで駆け寄った。
「 あっ! 」
急に走り出したから、足がもつれ・・・。
「 ・・・熱っ! 」
揺れた身体が、通り過ぎようとしていたテーブルにぶつかる。
机上にあったコーヒーが、横倒しになり、私の腿を濡らした。
思わず座り込みそうになる腕を、引っ張られる。トレンチの・・・落ちる音がした。
「 来い! 」
掴まれた大きな掌は・・・松永さん、だった。火傷の痛さよりも、驚きが勝る。
コーヒーを零したテーブルには、松永さんが座っていたらしい・・・と今更気づく。
ぽかんと見上げた私に見えるのは、前だけを見据えた松永さんの真剣な表情。
厨房の裏にある流しに連れてこられて、どん!と私を突き出す。
勢い良く出た水の冷たさに、思わず顔を顰めた。松永さんが、腿にまとわりついていたスカートをめくり、
あらわになった腿にホースで浴びせる。
冷たさに、足の感覚がなくなった頃。松永さんが蛇口を捻って、流水を止めた。
「 ・・・このくらいでよかろう 」
「 あ・・・あの、ありがとうござい、ました・・・ 」
冷静になってきたけれど・・・ま、松永さんが、私の腿を掴んでいる。
その状況が・・・恥ずかしくて、仕方ないんだけど・・・っ!!
松永さんは大人だから、気、にならないのかもしれないけど・・・
下着が見えてしまいそうで、気が気じゃない・・・!
そんな私に気がついたのか、ふっと唇を歪めた。
「 ・・・ほう、私の視線を気にする余裕があるとはな 」
「 そ、そんな、ことは・・・ 」
「 ちゃーん、大丈夫か!?どこを火傷したんだ!? 」
「 利さん 」
バタバタと音がして、真っ青な顔をした利さんが駆け込んできた。
水溜りの中に座り込んだ私と松永さんを見て、大きく息を吐いた。
「 ありがとう、松永 」
「 なに・・・大したことはしておらんよ 」
そこへまつさんが現れて、松永さんと私にタオルを渡した。
手当てするからいらっしゃい、と言うまつさんの手を取って、振り返る。
松永さんと利さんに頭を下げるけれど、顔を背けた松永さんとは対照的に、利さんがにか!と笑った。
スタッフルームで、私の腿に丁寧に巻かれていく包帯。
その片手間に、まつさんから、利さんと松永さんが元々付き合いのある友人同士だという話を聞いた。
ああ、それなら納得がいくかも。どうして、従業員しか知らないはずの、厨房裏の流しの場所を知っていたんだろう
って、思ったから・・・。
手当てが終わり、濡れたスカートを脱ぐ。
今は下着の上からタオルを巻いているけど・・・どうやって帰ろう。
するとまつさんが、別のスカートを貸してくれたので、着替えていると扉がノックされた。
「 ・・・入るよ。ちゃん、大丈夫かい? 」
「 慶次、片付けは終わったのですか? 」
「 ああ、店内はもう落ち着いたよ・・・ちゃん 」
「 はい 」
「 チカがバイクの用意出来たってさ。今日はこれで上がりなよ 」
「 ・・・はい、あの、まつさん、慶次さん・・・私、 」
「 ふふ、誰にでも失敗はあります。私は逆に、傷跡にならないか心配ですわ 」
「 ・・・ありがとう、ございます 」
よかった、解雇とかはないみたい・・・でも、この足、幸村くんたちに何て言おう。
チカさんの背中にしがみついていた帰り道、必死に『 言い訳 』を考えてみたけれどけれど・・・
結局、何も浮かばないまま、道場まで帰り着いてしまった・・・。