未だ・・・眠りから覚めない、朝靄の町の中に、私は立っていた。
田舎の駅なので、始発の電車を降りてもヒト一人が見当たらない。
無人の改札を抜けると、まるで世界に私独りきりのような感覚に陥っていた。
昨夜泣き過ぎて、身体中が疲労を訴えていた。頭は働かないけれど、自然と・・・足は歩みを止めない。
向かう場所は、もう決まっている。
私の思い出の中で、唯一、燦然と光り輝く場所。
「 ( ・・・・・・ココ、 ) 」
記憶よりも古ぼけて見えるのは、それだけの年月が経っているから。
私が、両親と住んでいた頃は、まだ建てたばかりの真新しい家だった。
赤い煉瓦がオレンジに近い茶色に変色していたけれど、愛でるようにそっと手を伸ばす。
触れた途端、止まったはずの涙が零れて、膝を落とした。
「 お嬢ちゃん、そげん場所でどげんしたと? 」
少ししゃがれた声がする・・・ああ、ここから立ち去らなきゃ。
私・・・もう、この場所とは、何の関係もないの、だか、ら・・・怪し、まれちゃう・・・。
「 お嬢ちゃん・・・おい、お嬢ちゃん!? 」
肩に大きな手が乗って、私の身体を揺さぶったけれど。
アスファルトの冷たい感触が、背中に触れたところで・・・。
そのまま、意識を手放してしまった。
疲れていたせいか、夢も見なかった( こんな時こそ・・・逢いたかったのに )
暗い世界を抜けて見えた景色。見慣れた武田道場の天井でも、いつぞやの謙信さんのお屋敷でもない。
直感で、酷く懐かしい景色だと思った。それがどこなのか・・・記憶を探っている間に、覗きこむ顔がふたつ。
「 ・・・あっ!気がついたみたいだぞ! 」
「 おねーちゃん、大丈夫だべか? 」
男の子が、俺、じっちゃん呼んでくる!とその場を飛び出す。
放心状態の私に、女の子がにこっと笑いかけた。
そのうち・・・急かすような男の子の声と、倒れる前に聞いたしゃがれた声が近づいて来るのがわかった。
「 おおっ、気がついたようじゃな。いやー、オイどん、びっくりしたがよ。
お嬢ちゃんが蹲ったかと思ったら、急に倒れた時は・・・覚えているかの? 」
「 いえ・・・あ、あ、の、す、すみません、でした 」
「 謝る必要はなか。それより、気分はどうじゃ?お腹が空いておろう 」
「 おら、おねーちゃんに何か持ってくるだ! 」
「 いつき、待てよ!蘭丸も行くぞ!! 」
身体をゆっくり起こしていると、2人は慌しくぱたぱたと部屋を後にした。
その足音が去ると、目の前のおじいさんが苦笑したように肩を揺らす。
「 すまんのう・・・ああも騒がしいと、ゆっくり出来なかかもしれんが・・・。
あの子たちは、近所の子供たちでな。お前さんは、どこから来なすった? 」
「 と言います。、です 」
「 ・・・もしや、10年以上前まで、この家に住んどったお嬢さんかの? 」
私たち家族を、知って・・・?
彼の言葉に、目を見開く。驚いた私の警戒を解くように、大きな声で笑った。
「 そうか・・・あの小さいお嬢ちゃんが、こげん立派に成長したか!! 」
「 あの、私を・・・ご存知なんですか 」
「 知っているも何も、オイはこの家の隣に住んどる者で、島津義弘ちゅーモンじゃ。
お嬢ちゃんが生まれた時から知っておるでの・・・大きゅうなったのう・・・ 」
懐かしそうに目を細めた島津さんに、じわりと涙がこみ上げてきた。
「 ああーっ!島津のじっちゃん、おねーちゃんを泣かしたらダメだべ! 」
お膳を抱えたいつきちゃんと蘭丸くんが叫んだ。泣かしとらんがな!と島津さんが言い返す。
からかう2人の子供に囲まれて、真っ赤になっている島津さんのやりとりに・・・自然と笑いがこみ上げてきた。
「 おねーちゃん、お腹すいたべ?おらのご飯、食べてくんろ! 」
「 ありがとう、いただきます・・・・・・あ・・・うん、美味しい 」
お世辞抜きで、頬っぺたが落ちそうなくらい美味しい。
胃に入れると疲労が和らいできて、蘭丸くんの差し出したお茶を飲んだ時、思わずほっと吐息が零れた。
お礼を言えば、2人は顔を見合わせて照れたように微笑む。
「 さて、そろそろ頃合なら、聞かせてもらおうかの・・・。
お前さんが、ボロボロになって『 此処 』へ帰ってきた理由をのう 」
身心共に落ち着いたのを見計らってか、島津さんの声のトーンが落ちた。
( 『 帰って 』と言うべきか、ここしか思いつかなかったというべきか・・・ )
長い沈黙に耐え兼ねて、重い口を開きかけた時・・・玄関の、開く音がした。