小さい時に、この玄関の開く音に反応していたのを覚えている。
遊んでいた玩具を投げて駆け寄ると、両手を広げた父の姿があった。
ただいま、と抱き締めてくれるその腕は・・・もう、私に触れることはないけれど・・・。
一歩一歩、地響きかと思うような重い足音が近づいてきて。
そんなに低くないはずの欄間を、屈んで潜ったその巨体を・・・思わず、見上げる。
「 おかえり、秀吉ー! 」
「 秀吉、お土産!お土産は!? 」
「 そんなに焦らずとも買ってきた。喧嘩せずに、2人仲良く食え 」
いつきちゃんと蘭丸くんが、喚起の声を上げた。
秀吉、と呼ばれた男のヒトが差し出した袋を2人は覗きこんでいる。
微笑ましい様子に、一瞬険しい顔を解いてから、私に向き合った。
「 気がついたか、娘よ 」
「 は、はい!・・・あの、も、もしかしてこの家に住んでいる方ですか!? 」
「 そうだ。我は、豊臣秀吉という 」
私の枕元に腰を下ろして、島津さんの入れたお茶を一口啜った。
ふ・・・と一息吐いてから、眉を顰め、険しい顔立ちで私へと向き直る。
「 それで・・・何故、我の家の前に倒れておったのだ 」
「 秀吉どん、こん娘ば前にこの家に住んでおった子なんじゃ。
オイは小さい頃からよう知っちょる。ご両親を事故で亡くした子でな 」
彼は、驚いたような顔をしたけれど。そのまま、あざ笑うかのように唇を持ち上げて
「 ・・・成る程。では、両親の思い出に浸りに来たというわけか。
急に自宅の前で倒れられて、気分の良い者などいるわけなかろう 」
「 倒れたことは謝ります。でも、あの、ち、違うんです。浸りにきたわけ、じゃ・・・ 」
蛇に睨まれた蛙のように。秀吉さんの強い瞳に射抜かれて、酸素を求めるように口がパクパクと開かせる。
どう説明したら、この人に私の気持ちが伝わるのか、わからなくて・・・
終いには、子供のように泣きじゃくることしかできなかった。
( ・・・やっぱり、此処に来てはいけなかったんだ・・・ )
ようやく落ち着いてきたところじゃったのに・・・と泣き出した私の背を撫でながら、
島津さんが恨めしそうに秀吉さんを睨んでいるのが分かった。
む・・・と秀吉さんが、ちょっとたじろいだ様だった。
違う・・・秀吉さんが、悪いんじゃない。ただ、もう、私が、混乱しているだけ。
・・・唐突な話かもしれない。でも、この人にちゃんと聞いてもらいたいと思った。
私は涙を拭いて、出来るだけ気持ちを落ち着かせると、彼を正面から見据えた。
「 凄く、大切なヒトが出来たんです。でも・・・彼を、好きになるのが怖かったんです。
迷って、悩んで・・・気がついたら、此処へ来てしまいました・・・ 」
「 怖い、とな? 」
「 はい・・・自分が変わるのが、怖いんです。今の『 私 』じゃなくなるのが・・・ 」
私は話した。『 此処 』を訪れるまでに、過去に何があったのか。
新しい土地で、新しいヒトと出会い、私の『 存在意義 』を見つけたのだと。
自分自身が、変わることへの恐れを。好かれなくなることへの不安を。
・・・それは、酷く自分勝手な想いだというのは、わかっていた。
目の前で聞いている2人に、軽蔑されてもおかしくないと思ったのに。
島津さんは時々相槌を打ちながら、秀吉さんは眉ひとつ動かさずに、黙って聞いてくれた。
そして・・・。
「 ・・・なぜ、そなたは『 変化 』を恐れるのだ。ヒトは生きている限り、変化する 」
島津さんの大きな掌に慰められたまま、顔を上げた私の瞳には・・・秀吉さんが、映っていた。
さっきまでの険しい顔つきではなく、どこか、見守るような瞳で。
「 変化を恐れるな、ありのままを受け入れろ。それも、また成長の過程であろうぞ 」
「 秀吉さん・・・ 」
「 その想いを『 恋 』と認めるのが、それ程怖いか。
何故、認めた後の自分が、好かれないと思うのか。
それしきで嫌われてしまうほど、お前の『 存在意義 』とやらは薄いのか 」
「 オイは、お嬢ちゃんのご両親を知っておるがのう。それは仲良い夫婦じゃったよ。
その娘であるお嬢ちゃんが、幸せな恋をせんでどうする 」
「 ・・・島津、さん・・・ 」
「 まだ実ってもいないのに、つぼみの段階で悩むことはなかろう!
お嬢ちゃんは若いんじゃ!ぱーっと花ば開かせんしゃい!! 」
ガハハと笑って、どーんと私の背中を叩いた。
ふふ・・・島津さんって、お館様にどこか似ている。
豪快で、持ち前の大らかさで、私を救ってくれる・・・。
・・・悩む必要、全然なかったのかな。
幸村くんを思う・・・この気持ちが『 恋 』だったとしても、
幸村くんが私のことをどう思っているかなんてわからない。私の気持ちは、私のもの。私だけのもの、だもの。
勝手に決め付けて消してしまっては・・・何も、生まないんだ。
「 気持ちは・・・固まったか 」
「 はい・・・ありがとう、ございます・・・秀吉さん 」
「 ・・・昔、仕事で省みずに亡くしたヒトがいる。同じ過ちを犯して欲しくないだけだ 」
「 え・・・? 」
島津さんが笑い止めて、あ、と口を開く。私も『 それ 』に触れてはいけない気がしたけれど、
ひとつだけ聞いてみたいことがあって・・・口をもごもごさせてしまった。
秀吉さんは苦笑し、聞いてみたいことがあるなら、申せ・・・と私を促す。
「 後悔、は・・・していないんですか? 」
「 するわけがない。人生のほんの一瞬ではあるが・・・我らは愛し合っていた。
その『 瞬間 』を思い出すだけで・・・唯一の思い出だけで、我は生きていける 」
私の中で、両親との思い出が生きているように・・・秀吉さんの中でも、生き続けているヒト。
私も・・・恋を知って、その先を知って、大人へと『 変化 』していく中で、出逢えるだろうか。
私だけの、唯一の『 存在 』
秀吉さんは初めて、私に笑いかけ、涙で濡れた頬を撫でた。もう泣くな、と言うように。
お土産を食べ終えたのか、いつきちゃんと蘭丸くんの近づいてくる気配がした。
秀吉は、こんな図体だが子供たちから懐かれておってのう・・・と、島津さんがにやりと笑う。
当の本人は逃げようとしたのか、慌てたように腰を浮かせたが。
「 秀吉ー、遊んでけろー! 」
きゃっきゃっと笑った二人に抱きつかれて・・・仕方なく、元の位置に座った。
怒るわけでもなく・・・嫌そうだけど、決して振り払わず、為すがままになっているところが。
秀吉さんが、子供に好かれるポイント・・・なのかもしれない。