乱暴に握られた、幸村くんの手は熱かった。
熱くて熱くて・・・痛くて。いつかクリスマスの前の晩、手を引いてくれた時のような
優しさはそこにはなくて。でもどんなに、抵抗しても幸村くんは絶対に離してくれなかった。
だから次第に諦めて、痛みを我慢していると、武田道場の玄関先でぱっと離れた。
「 ・・・幸村・・・く、ん? 」
「 ・・・・・・・・・ 」
跡のついた手首を擦りながら、おそるおそる顔を覗き込む。
すると、なぜか顔を真っ赤にした幸村くんが、泣きそうな瞳で俯いていた。
どきん、と心臓が鳴る。
あ、あの・・・と肩に触れそうになった手を払いのけて、彼は踵を返した。
「 幸村くん! 」
走り去った後、勢い良く扉が閉まる。佐助さんが嗜める声が、どこからか聞こえた。
・・・私、気がつかないうちに、幸村くんに何かしてしまったんだろうか。
そう考えたら、血の気が引いていく。え、え・・・どうしよう、どうしよう・・・。
いつから、だったんだろう。彼の機嫌が悪くなったのは・・・。
「 ・・・あれ、ちゃん?どうしたの、そんなとこで 」
幸村くんが思いっきり閉めた扉が、がらら、と開いた。
まだ掃除姿の佐助さんが、立ち竦んだままの私に手を伸ばす。
そ・・・っと頭を撫でられて、ぼろりと大粒の涙が頬を伝うのがわかった
( 泣く気なんか、なかったのに )
ちゃん!?と驚いたような声がして、人目のない庭先へと私を押した。
しゃっくりまで上げ出した背中を、よしよし・・・と撫でてくれる。
「 ・・・もしかして、さっき旦那が機嫌悪かったのと、何か関係ある? 」
「 わ・・・わから、ひくっ、ないんでふ、っ!急、に、幸村く、っく、怒っちゃ・・・ 」
「 よしよし、ちゃんが悪いんじゃないよ。ちゃんのせいじゃない 」
「 ひう、だ、だって、さす、佐助さ・・・ 」
「 大丈夫大丈夫、俺様が何とかしてあげる。ね?だから、泣かないで 」
幸村くん、幸村くん・・・どうして・・・。
私が悪いことをしたのなら、ちゃんと謝りたいのに。
ぎゅうと広い胸の中に抱きかかえられえるようにして、混乱したまま泣き続けた。
そんな私を、佐助さんはずっとずっと、抱きしめていてくれた・・・。
夕飯の時間も近くなろうかという頃、にわかに階下が騒がしくなった。
泣き腫らしていた瞳を、佐助さんがくれたタオルで押さえていたら、いつの間にか
ベッドでうたた寝してしまったらしい。窓から差す光が、オレンジ色に変わっていた。
身体を起こして、濡れていたタオルを机の上に置いた時だった。
「 ちゃん、起きてる? 」
「 は、はい 」
小さなノックの後に聞こえた、佐助さんの声。
扉を開けると、深緑色のマフラーに、ベージュのジャケットという井出達の佐助さんが立っていた。
どこか、お出かけするの?と呟いた私に、苦笑を浮かべる。
「 うん。これから旦那と、急遽帰省することになったんだ 」
「 帰省・・・って、どこへ? 」
「 旦那の実家、ってやつへ 」
「 ・・・・・・! 」
息を、呑む。
そうだ、もうすっかり馴染んでしまっていたけれど、
幸村くんと佐助さんは・・・武田家の『 身内 』ではないのだ。
当然、彼らには彼らの、生まれ育ったお家があって・・・って当たり前のことなのに、
すっかり忘れていた( ・・・え、それじゃあ・・・ )
不安そうな表情を浮かべてしまったのだろうか。佐助さんが笑って、私の頬に触れた。
「 そんな顔しなさんな。いい機会だと思って、旦那に話聞いてくるよ 」
「 佐助さん・・・ 」
「 せっかくだから少し距離、置いてみなって。帰る頃には、落ち着いてるからさ 」
少し迷って考えて・・・頷くと、いい子だね、と頬に置いていた手で頭を撫でられた。
後ろに置いていたリュックを背負うと、片手を上げて階段を下りていく。
私もその後ろについて降りていけば、玄関先に居た親方様と幸村くんが話を止めて、私を振り返る。
「 ・・・あ・・・ 」
幸村くんが、何か言いたげに口を開きかけたが、私はお館様の背に隠れてしまった。
・・・これじゃいけない、って思うのに、身体が動かない。
また何かの拍子に幸村くんを怒らせてしまうのが・・・たまらなく怖い。
顔も見れずに隠れている私に、彼が慌てたように声かける。
「 殿、あの、そ、某・・・! 」
「 はーい旦那、もう時間がないから行くよ!じゃあ、大将・・・ 」
「 うむ、あちらにもよろしく伝えてくれ 」
「 そんじゃちゃん、よいお年を 」
「 え・・・あ・・・ 」
「 、殿、っ・・・!佐助、離さぬかァっ!! 」
「 時間ないって言ってるでしょーが!ホラ、行くよ旦那!! 」
伸びた手をむんずと掴んだ佐助さんが、そのまま引っ張っていく。
幸村くんの、う、あ!さ、佐助!首!しまって、おる・・・!という呻き声が次第に
小さくなっていき・・・とうとう聞こえなくなった( ・・・首、大丈夫かなあ )
もそ・・・とお館様の後ろで動いた私は、、と呼ばれる。
見上げた親方様が、愉快なものを見るように、くつくつと笑っていた。
「 奴等が帰ってくる年始までは、わしら二人きりだ。よろしく頼むぞ。
佐助の数日分の料理を作ってくれてるがの。まあ、時々は外食でもするか 」
「 お・・・やかた、さま・・・その、私・・・ 」
「 ・・・幸村と喧嘩でもしたか? 」
大きな眼に見つめられ、私は自分の足元に視線を落とす。
そこへぽすん、と置かれた、大きな掌。
「 そんな時もあろう・・・さて、まずは腹ごしらえかのう 」
台所へと向かうお館様の背を追い・・・かけて、玄関を振り返る。
( 幸村くん・・・ごめん、なさい・・・ )
『 好き 』だからこそ、本気で拒絶されるのが怖い。
もう今年中は逢えないであろう彼を思い出して、痛む胸の傷に手を添えた・・・。