05.It's like a dream come true.

とても、穏やかな海だった。

朝焼けの近い水面は、その瞬間をじっと待っているかのように、静かに波打っていた。
私とお館様は、そんな海を横目に、防波堤の上を歩いていく。
同じように、朝日が昇るのを見に来ている人もいた。家族連れだったり、カップルだったり、 集まる人は様々だった。海辺にこんなに人が集まることなんて、滅多にない。
だから、もう少し奥の浜辺まで行こうか・・・とお館様に促されるまま、歩いた。
お館様は、真っ赤なダウンジャケットを着ていたせいもあって、いつもよりもその背中が大きかった。 ちょっと見上げて、横に並んでから、伺うようにもう一度見上げる。
やっぱり大きいなあ・・・と改めて感心していると、彼の視線が私を向けられ、私に向かって 手を伸ばす。その手に掴まるや否や、握った手はお館様のダウンのポケットに収まった ( 私の身長では、随分高い位置になるのだけれど・・・ )



「 実は、とっておきの場所があるのだ 」
「 ・・・とっておき? 」
「 長い間、この土地に住んでいるものしか知らぬ、浜辺がの 」



得意げに笑ったお館様。ポケットに手を入れたまま、若干引きずられるようにして ( ・・・まあ、間違っていないと思う )その場所とやらへ案内してくれる。
そこは一見、岩肌しかないような場所なんだけれど・・・。
滑らないようにと差し出された手に掴まって降りれば、岩山と波打ち際の間に、 ぽっかりとクレーターのような穴が開いている。多分、満ち潮の時は隠されてしまう ような場所なのだろう。でも周囲の岩に、苔が生えているようなこともなく、 敷き詰められた白い砂浜が、まるで床に広げられた絨毯のよう。
わ・・・と声を上げようとするが、お館様が咄嗟に口に手を当てる。
( ああ、そっか。お館様の、秘密の場所なんだっけ )



「 そうだ、そこの岩に足をかけて・・・ 」



お館様のレクチャーの元、そっと砂場に足をついた。ざっと砂を踏む音。
先に砂の上にいたお館様が、砂浜の上に腰を下ろす。そして、私を左の膝の上に乗せた。 履いていたズボンを汚さないように、気を遣ってくれているんだと思うんだけど・・・ それこそお父さんやお母さんが亡くなってから、誰かの膝に乗るなんてないから、その、 は・・・恥ずかしい、かも・・・!
落ち着かないように、そわそわとしていると、お館様がすっと海を指した。



「 見ておれ。もうしばらくすれば、陽が顔を出すであろう 」



家を出たのは、お蕎麦を食べてしばらくしてから・・・なので、日の出までには 随分時間があったはずなのに。お腹の中を消化する以上に、運動したらしい。
水平線の向こうから、隠しきれない光が漏れている。



「 ・・・の前にワシの膝に座ったのは、幸村だったのう 」



という、おもむろな一言に、とうとう腰を浮かせた。
お館様は、はっはっはと豪快に笑うが、今度は私がお館様の口を塞いだ。 2人で目を合わせて、笑い声を堪えて肩を寄せ合う。
私の頭を撫でて、膝をひとつ叩いて、もう一度座るように促された。



「 幸村と佐助が、居候として道場にやってきたのは5年も前のことだ 」
「 7年・・・ 」
「 がやってきたのを機に数えてみたら、随分経っていたものだ・・・ 」



・・・あの写真は、5年も前のものだったんだ。
古い写真に写っていた、小さな幸村くんと、佐助さんを思い出す。
ワシも、老いたものよ・・・と、お館様は苦笑する。



「 立派な家柄の次男坊だが、や独眼流と同じ、家族に恵まれなかった子での。
  道場に来た時は、もう心に大きな傷を抱えた状態だった。一緒にいた佐助もな。
  幸村が写真を見せたがらないのは、その傷を思い出すからであろう・・・ 」



幸村くんの、過去。気にしなかったわけではないけれど、そんな理由があったとは。
・・・今まで、あまり気にしなかったけれど、佐助さんのことだって・・・。
最初は幸村くんのお兄さんだと思っていたけれど、苗字が違う。ここは道場という 場所だから、同じ門下子弟ってことなかのかなあ・・・くらいに、思っていただけだった。

・・・彼のことをもっと知りたい、と思う。
でも、それは自分で思う以上の『 パンドラの箱 』なのかも知れない。



「 なら、幸村の心を、本当の意味で開けるかも知れぬな。
  わしには無理だったことも、お主ならばやり遂げてくれるかもしれぬ・・・ 」
「 どうしてですか?だって幸村くんは、お館様のことをあんなに慕って・・・ 」
「 だが、奴の最後の楔には、なれぬ。あやつを引き止める力を、持っておらんのだ 」
「 最後の、楔・・・? 」



お館様の意図がわからず、私は不安げに顔を上げた。
海の向こうを見つめていたお館様が、ゆっくりと膝の上の私を見つめ返した。



「 ・・・これからも、わしを支えてくれるか 」



意図がわからずとも、この問いに関しての答えは決まっている。
だから私は微笑むと・・・お館様に向かって、力強く頷いた。



「 ・・・はい! 」



お館様も満足そうに頷いて、急に顔を照らし出した、水平線の輝きに目を奪われる。

今年最初の太陽は、美しかった。
心の中を覆っていた暗い空気まで照らすような・・・新年にふさわしい、御来光だった。