「 近いうち、まつさんのお店でアルバイトをする約束をしたんです。
でも今日、期末試験の日程発表があって・・・バイトの日と重なっていました。
本当ならバイトを諦めて、勉強に集中しなきゃいけないのはわかってます。
それでも・・・今回は、今回ばかりは諦めきれません! 」
頭を下げている間、お館様は口を挟まず、黙ったままだった。
逆に威圧感を覚えるけれど、今ここで言わないとまた『 元 』の私に戻っちゃう
( そんなの、絶対嫌だ )
「 勉学にも集中します!だから・・・アルバイトも、引き受けさせてください!! 」
お願いします!と更に頭を下げたところで、肺の中の酸素を全部出し切った。
大きく息を吸う。吐くのは・・・ちょっと苦しかった。言い切った後で、どっと汗が噴き返す。
心臓が大きく脈打っていてるのに、耳は大袈裟なほど音を拾った。周囲に立ち込める空気さえ、
険悪なものになっているような気がする。
( う・・・うう、やっぱりダメだったかなあ・・・ )
と、ぎゅっと固く目を瞑った時だった。
僅かな衣擦れ。頭に重いものが乗った、と思ったら、お館様の大きな掌だった。
「 はっはっは!急に何を言い出すかと思うたら、そのことか!! 」
「 お・・・お館様?? 」
「 先日食事をしに出向いた際、まつ殿にお願いされていた件であろう?
・・・わしは年末以来、にはアルバイトを続けて欲しいと思っていたのでのう。
実は心の中で、こっそりと大きく頷いておったものよ 」
そう言って、お館様はにやりと笑って顎の下を撫でた。
( ・・・お館様が、そんな風に思っていてくれただなんて )
気が抜けて、ぽかーんと見上げた私の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。
「 佐助から、の部屋にイベントに関する本があったと聞いてのう。
なのに先程帰った幸村から試験があると聞いて、バイトは諦めるだろうと思うた 」
お館様はふ・・・っと口元を緩める。
そして、伏していた私の身体を起こすと、床についていた両手を大事そうに包む。
「 お前は、他より少し遅かっただけじゃ。道場に来て『 年相応 』になってきておる。
勉強し、アルバイトもこなし、高校生らしい生活を送る。それが在るべき姿よ。
亡くなったそなたの両親も、伸び伸び生きる『 お前 』を望んでいるはず 」
「 ・・・でも、 」
「 よ、今回わしにお前の願いを言ってくれたということは・・・。
お前が、わしという他人を『 信じて 』くれたと・・・そう思ってよいのじゃな? 」
( ああ・・・お館様は、ちゃんと覚えていてくださった )
『 元 』の私なら、どんなにバレンタイン・デーを楽しみにしていても、
自分の感情よりも理性や現実感が勝って、何もかも『 諦めて 』しまっていただろう。
けれど、政宗くんの家に3人で迎えに来てくれた時に・・・お館様が諭してくれた。
『 他人を信じること 』
決してお館様と、幸村くんと佐助さんだけは・・・絶対に私を、裏切らないから、と。
自分以外の人を、少しずつ『 信じて 』いくように努力するという、あの日の約束。
正直、あの頃は他人どころか自分のことだって信じてなかった。
出来るわけない約束だって思ってた・・・でもね。
私が心の鎖を解く。すると、それに応えて自分の心を見せてくれるヒトもいる。
それがお館様で、佐助さんで、幸村くんで、政宗くんで、かすがで・・・。
他人の顔色を伺うことは、私の場合、その人を『 信じて 』いないのと同じ。
今はようやく、少しだけ自分の『 望み 』を口にしてもいいんだって、わかったの。
「 わしを『 信じた 』褒美ぞ、。お前は、お前の望み通りにするが良い 」
「 お館様・・・ありがとうございます! 」
「 むしろ、わしとしてはもっとのワガママを聞いてやりたいんだがのう・・・。
少しくらい勉強をさぼっても、追い出すようなことはないのだぞ? 」
「 い、いえ!試験は今まで以上に、しっかり対策します!! 」
「 むぅ・・・真面目だのう・・・ 」
まあ、そこがそなたらしいと言うべきか、とお館様の笑い声が道場に響いた。
ほっと胸を撫で下ろせば、緊張が解け、涙が出そうだった。
・・・でも、今は泣く時じゃない。
ぐっと堪えて、腰に手を当てて反り返るお館様を感謝の眼差しで見つめた。
昔なら、絶対今泣いてた。でも・・・私、少しずつ成長しているんだよね。
一連の出来事を聞いた佐助さんは、なぜか嬉しそうに顔をほころばせた。
「 大将はさ、ちゃんに肩の力を抜いてほしかったんだよ、きっとさ 」
「 肩の力?・・・力んでるように見えるんでしょうか 」
「 そうだね。少なくとも俺様にはそう見える。
もっと悪戯したり、時には羽目を外したり、ってのが、学生の余裕というか・・・。
そりゃ未成年だもの。保護者は必要だし、指導してもらう必要はあるよ。
でも自己責任の範囲で、ちゃんに自由にしてほしいと思ってるんだろうな 」
佐助さんは自分の発言にうんうんと頷く。淹れたてのお茶の湯気が、鼻先をくすぐる。
両手で包みこんだ湯呑みを見つめると、薄緑色の世界に自分が映った。
・・・誰かにお願いするなんてこと、初めてだ。ずっと他人に否定されることが怖くて、
自己主張することなんて出来なかった。自分の欲求ではなく、セオリー通りの道を選べば少なくとも
どこかに身を置けると思っていたから( それが望む場所でなくとも )
でも・・・私は、確実に変わっていく。
誰か一人の影響だけでなく、周囲の、私を思ってくれる優しい人たちの影響を受けて。
変化を受け入れろ、といつぞや秀吉さんは言った。
過去の私も、今の私も、全部をひっくるめて『 私 』なのだから。
「 さーてと、旦那にも持っていってやるかな。部屋の電気、まだついてたでしょ? 」
「 あ、はい 」
「 ちゃんに影響されてか、旦那まで試験勉強してるなんてねえ・・・世も末だ 」
大きく肩を竦めて、やかんのお湯を再沸騰させる。
すぐにしゅんしゅんと音を立て始めたので火を止め、新しい葉を淹れた急須に注ぎこんだ。
優しい音を立てて流れ込む湯と揺れる湯気に見惚れていると、ちゃんもさ、と彼が小さく呟いた。
「 誰かに影響されるだけじゃない。ちゃんも、確実に誰かを影響している 」
「 ・・・え・・・ 」
「 世の中、持ちつ持たれつだよ。どちらか一方だけなんてことは、在り得ない。
そして、立ち止まったままじゃなくて、人間誰しも変化する時を迎える。
全部が良い方向ではないけど、変化を受け止め、自分を導くのは己の心次第だ。
だから、ちゃんも自信持って。時には、その心のままに動いてみて 」
「 佐助さん・・・ 」
「 今まで培ったちゃんの心の在り方を、俺様たちは『 信じて 』る。
君が俺様を、大将を、受け入れて『 信じて 』くれたように・・・ね 」
大将が言いたかったのは、そーいうことでしょ。
佐助さんはそう言って、やかんをコンロに戻す。お腹が空いた時の為に、と今度はおにぎりを用意する
つもりなのだろう。炊飯ジャーを開けて、お米の量を確認している。
信じることって・・・難しい。そして、すごく奥が深い。
当たり前のことなのに、改めて気づかされる。でも、これが当たり前だと思える環境は、
とても幸せなんだってことを忘れちゃいけない。
湯呑みに入ったお茶を飲み干せば、ほう・・・と吐息を吐くほど美味しかった。
それを見ていた佐助さんがクスクスと笑って、私も照れながら微笑んだ。