06.Nothing venture nothing win.

佐助さんが用意してくれたお盆を持って、階段を上がる。
温かいお茶とお米のいい匂い。これを食べれば、幸村くんも元気になるんじゃないかな。 お館様とぶつかり合ういつもの姿を思い出して、こそばゆい笑いが込み上げる。

・・・私ね、思うんだ。彼に好きな人がいてもいい。私は家族で構わない。
この道場で、過ごす時を大事にしたいな・・・って、プラス思考すぎるかな。
試験よりバイトを選んだ時に道場を追い出されると思ったら、忘れてた大切なことを思い出したんだ。 駆けつけられる距離に、傍にいられることの幸せ。幸村くんが『 信じて 』心を許すヒトを、 私も『 信じ 』られたら・・・それは恋や愛よりも、大きな意味になるような気がする。

狭い廊下には幸村くんの部屋から光が漏れていて、一部だけが明るい。 私はその扉を控えめにノックした。



「 幸村くん・・・あの、です 」



返事は、ない。ノックが小さすぎたかな・・・と思ってもう一度叩こうとしたら、 さっき叩いた反動でか、ゆっくりと扉が動く。



「 幸村くん? 」



勝手に覗くのは悪いと思って声をかけてみる・・・が、やっぱり反応がないので、 そっと顔だけ差し入れてみる。



「 ( ・・・あ、 ) 」



机に突っ伏した、幸村くんの姿。丸めた背中と腕の隙間から寝息が聞こえた。 下敷きになってる数学の教科書は( 当然 )しわくちゃだ。涎がところどころ染みを作ってる。
・・・そうだよね、幸村くんは部活や道場稽古もあるんだもの。相当疲れてるよね。 肩にかけていたカーディガンがずり落ちていた。そっと手を伸ばして、かけ直そうと・・・。

した時、だった。



「 ・・・・・・ッ!? 」



身体が浮いたことにも気づかなかった。ぼんやりと見上げた天井の蛍光灯が眩しくて、反射的に目を背ける。 その後・・・ようやく、思考が働いた。
私、どうして寝転んでる、んだろ・・・。眩しかった蛍光灯が遮られ、光と私の間で苦しそうに顔を歪める幸村くん ・・・あれ、彼、さっきまで寝てなかったっけ?何で四つんばいで跨られているんだろう。

徐々に感覚が戻ってきた。背中が痛い。これ、もしかして・・・私、投げ飛ばされた?
( 目にも止まらぬ速さとはこのこと。さすが幸村くん・・・って冷静すぎるかしら )



「 ・・・・・・・・・だ・・・ 」



ぎゅっと眉間に皺を寄せて、何かを堪えるように顔を真っ赤にさせていた。 顔と顔の距離は非常に近かったのに、声を押し殺したような呟きはあまりに小さすぎて 聞き取れなかった。きょとんとしたまま押し倒されている私から幸村くんはふっと顔を逸らし、 ベッドから離れようとした。



「 幸村、くん・・・? 」



顔を覆うように背を向けた幸村くんを追いかけようと、慌てて身体を起こした。
何故、そんな泣きそうな顔をしてるの?いつか教室でか細い声を聞いた時も、同じような表情をしていたのを思い出す。 どうして?まさか・・・私?私のせいなの?

以前もこんな風に、彼の感情が見えなくて喧嘩をした( そう、年末にだ )
逸らしちゃ、だめ。幸村くん教えて。幸村くんの考えてること。
私・・・貴方のこと、もっと知りたい。それが、パンドラの箱の一部だとしても!



「 あっ、あの!幸村くん、幸村く・・・! 」
「 っ、来るな! 」
「 ・・・っ!! 」



彼に向かって伸ばしていた手が、びく、と反射的に震えた。瞬時に蘇る暗い過去。 次に来るのは痛みだと脳より身体が覚えてる。 衝撃に備えて、座ったまま身体を小さくした私をすっぽりと抱き締める優しい腕があった。 怖々と開いた視界に入ったのは、長い焦げ茶色の髪が肩越しにシーツに漂う様。
・・・幸村くんの腕の中に、いる。気づいたが最後、尋常じゃないほど心臓が高鳴った。 が、そんなこと気にしている場合じゃない。そう思えるほど、酷く震えた声で幸村くんが耳元で囁いた。



「 ・・・苦しい・・・のだ・・・ 」
「 え・・・? 」
「 苦しくて、辛くて、痛い。どうしたら・・・某は、どうしたらいいのだ・・・ 」
「 ど、どこか痛いの!?怪我したのなら、今、佐助さんを呼びに・・・ 」



だけど彼は、弱々しく首を横に振る。どうして?だって泣く程痛いんでしょ・・・?
抱き締めている腕を振り払おうとする私を、幸村くんは強く抱きしめた。 いくら暴れても解けなくて、先に私の方が疲れてしまう。 荒くなった息を整えていると・・・ふと、ぽたりと頭の天辺に冷たいものを感じて顔を上げる。 腕の中に捕えられたまま涙筋を作る頬に触れた。 幸村くんの瞳の中に、真っすぐ見上げた私が映る。彼は一度瞳を閉じて、再び私を見つめた。



「 好きな相手に、別の『 好きな人 』がいることが・・・苦しい。
  いつか手を伸ばしても、届かなくなる未来が訪れることが、怖い。
  『 家族 』でしかない自分の存在が、胸を痛いほど締め付けるのだ 」



ぽつり、ぽつりと。まるで雨粒のように不規則なリズムで、言葉が降る。
いつも以上に真剣な彼の様子に、高鳴る鼓動と必死に戦いながら、必死に幸村くんの台詞を拾っていく。

( えっと・・・幸村くんの、想い人には、別の『 想い人 』がいて )

彼はそれに苦しんでる、と・・・うん、そこまでは理解できた。
だって、その気持ち、私もわかるから・・・私の好きな人にも、別の・・・。

幸村くんと私はしばらく見つめ合っていたが、そのうち幸村くんがはっととして 抱きしめていた腕を慌てたように解いた。 ベッドの上にちょこんと座ったままの私に、何か言おうとしているのか急に唸り出した。



「 そ!某、あの、そっ、その・・・っ!!! 」
「 ・・・?? 」
「 す・・・すみませぬうううッ!殿ーっ!! 」



がばあっと土下座したかと思うと、椅子にかけてあったタオルを掴んで廊下へと飛び出して行った ( ・・・あ、お風呂かな ) 階段を駆け降りる音と入れ替わりに、佐助さんが耳を塞ぐような真似をして現れた。



「 ちょっとー、どうしちゃったんだよ、旦那。大人しく勉強してたんじゃないのー? 」
「 あ、佐助さん 」
「 ・・・っと、原因は『 ちゃん 』だったか。んで、何があったの? 」



顔真っ赤だよ、とニヤつく佐助さん。頬杖ついて首を傾げると、私の頬をちょんと突いた。 その指先が、妙に冷たく感じるのは・・・私の、頬の熱のせい。



「 ( あれ・・・?だって、今、 ) 」



お・・・思い返してみたら、なんだけど・・・。『 家族 』なのが辛いって言ってなかった? 彼の『 想ってるヒト 』が『 家族 』なのだとし、たら・・・したら、だよ!?

( え、と・・・当てはまるのって、一人しか・・・ )





幸村くん・・・そ、それって、どういう意味・・・ッ!?