・・・結局、ここしばらく熟睡できなかったな・・・。
空が白み始めても、雀の鳴き声が聞こえたとしても。
お館様と幸村くんの朝稽古が始まったのがわかれば尚更。
彼の声を余計意識しちゃって、眠気が更に遠のく。
はあ・・・と重い溜息が出て、とうとう身体を起こした。
横たわってはいたものの、今度は長い夜のせいで腰が痛い。
もう幾夜、こんな体験をしたんだろう・・・最後に安眠できた日がいつだったのか、
思い出せないくらい時間が経ってしまっていた。
からら、と窓を開けた。篭りきった空気が、夜明けの冷たい空気と入れ替わる。
小さく波音が聞こえ、誘われるように窓辺へと立った。今日も穏やかな水面。
「 ( 綺麗・・・ ) 」
心が、その瞬間だけ落ち着く。朝焼けに踊る光が、励ましてくれてるような気がした。
そう思ったら、少しだけ元気が出た。光を瞼の裏に閉じ込めて、肺一杯に朝の空気を吸い込む。
長い吐息を吐き出せば、身体の隅々に光が行き渡っていくような感じ・・・。
世界の美しさを、綺麗なものを綺麗と思う『 余裕 』を最初にくれたのは、そういえば幸村くんだった。
出逢ったあの日の彼の瞳、星のように輝いていたっけ・・・。
・・・ねえ、幸村くんが想っている人って、私なの・・・?
数日経っても、本人に確かめる勇気なんて到底持てず・・・かといって、いつものように
接することなんてそれこそ無理な話で!幸村くんもお館様も相変わらずな中、ここ数日挙動不審な私を、
佐助さんだけがニヤニヤしながら見守って(?)くれている。
・・・あれからずっと考えて、この結論しか出なかった。
だ、だだだって!違ってたらどうすればいいの!?それこそ私、恥ずかし過ぎて武田道場にはいられなくなっちゃう!
脈があるかもしれない、って思ったからかと笑われてしまえばそれまでだけど・・・
これが最初で最後の『 自分の為に出す勇気 』のような気がするから。このチャンスを逃したら、
私・・・きっともう、自分からは絶対に踏み出せないと思うんだ・・・。
だから、あとはかすがと市ちゃんに話して、最後の勇気をもらおう!
玉砕したら慰めてねって。どんな結果になっても、絶対後悔しないって決めたから。
私・・・幸村くんに、告白する!
「 皆さん、本日はお集まり頂きまして、ありがとうございます。
手元に材料や調理器具は行き渡りましたか?足りないものがありましたら・・・」
小さな店内にひしめく人々。こんなに賑わうのを見るのは、正直クリスマス以来かも。
それもこれも、まつさんの料理教室が人気である証拠なんだろうけど・・・。
( 申込開始から、5日間で定員に達したというからいかに人気かがわかる! )
先生であるまつさんのアシスタントとして、横でがっちがちに緊張している私を見て、かすがが
ガッツポーズをし、市ちゃんがにこにことしながら手を振っている。降り返す余裕もなくて、
引き攣った笑いを浮かべていると、ちゃん、と名前を呼ばれた。
「 さあ、始めますわよ!お手伝いお願いしますわね! 」
「 はいッ!! 」
にこ、とまつさんが微笑み、店内の生徒さんたちに声をかけてスタートする。
頭に叩きいれてきたレシピを思い出し、まつさんの指示の下、私は薄力粉とココアパウダーを
篩(ふるい)にかける。叩く度にさらさらと落ちていく粉が、ふわりと山を形作る。
2度篩い終わったら、今度はガナッシュの準備だ。
まつさんがお手本として、チョコレートを小刻みに刻んでいく。
予め下準備で作っていた生クリームを入れて、レンジで温める。
「 ここではそっとかき混ぜて。そう、円を描くようにして泡立てないようにね 」
途中で何度か『 アシスタント 』として、みんなの前で一生懸命で実演する。
注目されるのに慣れていないから、一斉に真剣な瞳で見つめられると、ちょっとビクビクしちゃう。
ううっ、どうしよう・・・失敗したらちょっと恥ずかしいな。
で、でも、かすがと市ちゃんも見守ってくれてるし、ね!( 2人を誘って、ホントよかった・・・ )
はい、そこまで、と隣のまつさんから声がかかり、私を囲んでいた参加者は
各自テーブルに戻って同じようにガナッシュの準備を始めた。
緊張から開放されて溜め息が出そうになった口元を慌てて押さえていると。
「 ははっ!ちゃん、緊張しすぎだぞ 」
「 と、利さん! 」
「 まつの言う通りに動いていれば大丈夫さ。もっと肩の力を抜くと良い 」
厨房から顔を覗かせた利さんが、にっこり笑った。その微笑みに、ちょっとだけほっとする。
そうですね、と小さく答えて、テーブルをひとつひとつ回って、的確に指示するまつさんを見つめる。
誰もが家に帰って『 もう一度 』作れるように。
その丁寧な指導が評判なんだって、一緒に参加している人たちが話しているのを耳に挟んだ。
・・・私も、まつさんみたいに器用で料理上手だったらなあ・・・。
ろくに包丁も握ってないことを反省していると、利さんが明るく笑い飛ばす。
「 料理は愛情だと、まつはよく言うぞ。食べる人の顔を思い出して作る。
そうすると、自然と美味いものが作れるんだとさ。ちゃんは、どうだ? 」
「 わ、私は・・・ケーキが失敗しなきゃいいな、と思います 」
「 それじゃダメだ。ちゃんが食べてもらいたい人の顔を、思い出すんだ 」
「 食べてもらいたい、人・・・ 」
じっとボールの中のチョコレートを見つめる。
私のケーキを食べてもらいたい人、かあ。思い出すのは、今胸を占めるたった一人だ。
「 ( ・・・ゆ、幸村くん、は・・・ ) 」
幸村くんは・・・喜んでくれる、かなあ。
甘いもの、好きだものね。私からのケーキも、喜んで食べてくれると嬉しいな。
彼の喜ぶ顔を思い出したら・・・自然と、笑っていたんだと思う。見上げた利さんの頬も、緩んでいた。
力の抜けた私の肩をひとつ叩いて、彼は厨房の奥へと戻っていく。
励ましてくれたんだ・・・と思うと、何だかやる気が沸いてきた。よし、拳を握る。
「 あら・・・どうしました?ちゃん 」
そこへまつさんが戻ってきて、ふわりと笑う。
「 いい顔、してますわね。料理って楽しいでしょう? 」
「 ・・・はい! 」
上手く出来たら、今度はお館様や佐助さんにも食べてもらおう。
みんなが喜んでくれたら、嬉しいな・・・うん、それにはまず、このケーキを完成させて。
誰よりも、一番最初に食べて欲しい・・・幸村くんに喜んでもらえたら、って思うんだ。