武道館が近づくにつれ、何かを揺さぶる物音が聞こえた。
慌てて立ち止まり、すぐ近くに伸びていた大きな樹の幹に身を潜めた。
動揺する心を落ち着けて、木陰からこっそり覗いてみる・・・とそこには。
「 ( 幸村くん、だ! ) 」
身体の揺れを追うように、ワンテンポ遅れて長い髪がうねっている。
武道館にはまだ誰も来ていないようで、恐らく扉には鍵がかかっていたのだろう。
幸村くんはそれを無理矢理こじあけようとしているようだった( そ、それ器物破損だから )
顔を真っ赤にして集中している彼に・・・・決死の覚悟で、そっと近づいて声をかけた。
「 ・・・幸村くん 」
はっと振り返った彼は、私を見るなり青褪める。
扉の前から慌てて逃げようとした彼へと必死に手を伸ばした( この為にそっと近づいたんだから! )
「 ・・・っ、殿っ! 」
「 幸村くん!私、私ねっ!ちゃんと話したいの!聞いて欲しいことがあるの!! 」
「 は、ははは離してくだされ!そっ、某、今はあわせる顔が・・・ 」
「 絶ッ、対ッ、いやーッッ! 」
取り乱して暴れる彼のコートの端を持ったまま、ずるずると地面を引きずられ、
最後にはしがみついたまま腰を落とした。嫌だ嫌だ、何が何でも絶対離さないんだからッ!
地べたを這ってでも、引き止めようとする私の姿は、端から見ればちょっと滑稽だろう。
けれど絶対に『 今 』を逃したら二度と伝えられない。羞恥より意地が勝った。
ぎゅううっと制服を握り締めて、しゃがみこんだ。
・・・こんな時でも、幸村くんはやっぱり優しい。
私の気迫がいつもと違うことを感じてか、それこそ力任せに振り払うことはなかった
( 本気になれば力で歯が立たないなんてことは、私だってわかってる )
ただ・・・この押し問答にどう決着つけていいのかわからず、
お互い一歩も譲らない私たちの背に低い声がかかった。
「 ・・・何をしている、真田 」
「 いっ、石田殿!その、これは・・・ 」
「 ( 石田くん!! ) 」
道着姿で現れた彼は、一冊の帳簿を手にしていた。そこに付属されている鍵・・・
もしかして、あれが武道館の鍵なのかな。
石田君は相変わらずの目つきで、顔を真っ赤にしている幸村くんと涙目でへたりこんだ私を見比べる。
そして、フンとひとつ鼻を鳴らすと、そのまま武道館の鍵を開けて何事もなかったかのように入っていく。
慌てたのは幸村くんだ。ちょっと油断していた合間に私の手を振り払い、自分も中に入ろうとする・・・が、
石田くんは幸村くんが滑り込む前に勢い良くそのドアを閉めた。
「 い・・・石田殿!?某も中に・・・ 」
「 ・・・ここ半年見てきたが、お前の剣筋はその日の機嫌に振り回されている。
いくら鍛錬しても根本を解決せねば成長できまい。さっさと決着をつけて来い 」
気が乱れるのはその女のせいだろう、と付け足して、彼は扉の前から気配を消したようだ。
幸村くんが何度か扉を叩いて石田くんを呼んだが応答も無く、扉に手をかけて開こうとしたが開かず・・・
かろうじて聞こえていた足音も完全に去っていくと、気まずい沈黙が訪れる。
校舎の喧騒が遠くに聞こえ、乾いた冬の風が揺らす枝の音だけが2人の間を駆け抜けた。
・・・どのくらい黙っていたのだろう。小さな溜め息が聞こえて、幸村くんが顔を上げた。
「 ・・・ついてまいられよ 」
静かにそう呟いて、武道館の裏手へと進んでいく。
私は慌てて、地面に座り込んで汚れたスカートの裾の埃を払う。その間も数歩先で落ち着くのを待っていてくれた。
・・・これって、幸村くんも覚悟を決めてくれたってことだよね。
いざ聞いてくれるとなると、き、緊張してきたけれど・・・そこで迷っちゃダメだ。
( 本当の本当に!私の早とちりだったとして・・・最悪、フられ、ても! )
どんな結果でも伝えることはひとつだけ。届ける想いも・・・たった、ひとつなのだから。
連れてこられた場所には見覚えがあった。
『 好きな女子が、おるのだ 』
あの台詞が・・・脳裏に蘇る。不意に足を止めた私に、思い出の声の主が振り返った。
私へと向き直る恥ずかしさより、心配の方が勝ったという顔をしていた。
どうしたのだ、殿、と真っ直ぐな瞳で見つめられると・・・もう目が離せない。
「 ( ああ・・・やっぱり、私、幸村くんが好きだ ) 」
今まで伝えきれずにいたことが、不思議なくらい幸村くんが好き。
ずっとこうして見つめ合って、また笑い合いたいんだ・・・なんて、
私、よくそんなこと思えたなって思う。だって、ひとたび目を合わせてしまえば、もう隠すことも
誤魔化すことも出来ない。
彼を想う気持ちで胸が一杯になる。苦しいくらいに膨れ上がって・・・涙に変わった。
ぼろぼろと零れ落ちる涙に、ぎょっと驚いて慌てふためく幸村くん。
赤くなったり青くなったり・・・ふふっ、本当に忙しいんだから。そう思ったら何だかおかしくて・・・
すごく切なくて。胸につかえた言葉も、今なら伝えられそうな気がした。
すう、と小さく吸った空気は冷たくて気持ちよかった。
「 好き 」
ぴく、と彼の動きが止まる。
恐る恐る見下ろす彼と、涙目で見上げた私の視線が交錯した。
「 幸村くんが、好き 」
改めて告白すれば、幸村くんが後ずさりするように一歩下がった。
信じられない、というように少し首を振って。しばらくは、あ、とか、う、とか唸るような声を
絞り出していたけれど・・・ようやく緊張した面持ちで私を見つめた。
「 、殿・・・そ、それは、真で、あろうか・・・ 」
「 ・・・うん・・・ごめんね、幸村くん。返事が遅かったから、きっとヤキモキしたよね。
あの時、すぐ答えられれば良かったのに・・・本当にごめんなさい 」
「 いっ、いや!謝らずとも!! 」
「 ううん、ちゃんとしなかった私が悪・・・、っ! 」
身体を折って頭を下げていた私は、急に力任せに引き寄せられる。
顔面に柔らかい感触。それが幸村くんの制服で、ああ私、抱き締められたんだって、
しばらくしてから気づいた。彼の腕が震えていた。
いつもなら意識して固まっちゃうとか、どうしたのだろうと心配してしまうとか・・・
だったのに、今は違う。
幸村くんが好きで、私も抱き締めてあげたい。だから、自然と彼の背中に腕を回した。
・・・人に甘えるのは、ちょっと恥ずかしい。
いつまでたっても臆病な私には勇気が要る行為ではあったけれど・・・。
「 ・・・ありがとう・・・ 」
という幸村くんの声を聞いたら、肩の力が抜けるのがわかった。
素直に彼の身体に身を預けて、うん、と頷く。
「 私の方こそありがとう。あのね、とっても嬉しかった 」
「 某も嬉しい。だからもう謝らないで欲しい。殿が謝るべきことは何一つない 」
「 ・・・幸村くん・・・うん、わかった 」
ごめん、とまた口から出てしまい、はっと口を押さると、頭上で幸村くんが笑っていた。
その笑顔を認めて、私も照れくさくなって笑う。彼は少しだけ頬を染めて、くしゃりと顔を歪めると、
もう一度私を抱き締めた。
「 殿・・・好きだ 」
叶わぬ恋だと何度も諦めかけた。でもその度に立ち上がったのは無駄じゃなかった。
「 ・・・私も、好き 」
いつか、早朝のこの場所で告白された時。試験勉強の最中に抱き締められた時。
そして料理教室から帰って来た時・・・幸村くんの中には『 私 』が居たんだ。
そう思ったら、どうしようもなく感動してしまって、また涙が零れた。
何度も思い出すあの台詞と一緒に、この場所に零れ落ちた幸村くんの『 想い 』。
・・・これが勘違いなんかじゃないなら、ちゃんと自分の手で拾って。
二度と落とすことがないように、私、ずっと胸に抱き締めてるから。
「 ずっと、傍にいてね 」
「 ああ・・・約束いたそう。我が魂、愛しい殿の傍に 」
耳元で囁いた幸村くんの声は、今までのどんな瞬間よりも・・・愛しく響いた。