: epilogue
あんなに身体が重かったはずなのに、今の私はまるで羽のよう・・・。
それもそのはず・・・だって、私は死んでしまったのだから。
意外なほど冷静に、事実を事実として受け止めている自分に驚いた。
生きている間は、全く思い通りにならなかった身体を抜けて、魂として存在する私。
眼下に見えるのは・・・生きていた頃の、私、だ。
「 小太郎・・・! 」
堪らず語りかけるが、当然、その声は届かない。
胸に刺さった刀。その刀から手を離さずに、その場で座ったまま固まっている。
鎖かたびらの広がる背中は、びくとも動かない。泣いているのかも、しれなかった・・・。
感情を持たないはずの『 忍 』。彼を『 人間 』にしたのは、他でもない自分だった。
( ・・・・・・ごめんなさい )
私と出逢う前の貴方なら、躊躇いなく私の命を奪えただろう。
けれど、私たちは知ってしまった。人を想い、人を愛することを。
愛を知って強くなったはずなのに、その結果が・・・今、小太郎を苦しめている。
( ごめんなさい、ごめんなさい・・・小太郎・・・小太郎・・・っ!! )
肉体はなくても、熱いものが込み上げて、私は泣いた。
私の死を悼む彼を直視できなくて、両手で頬を覆う・・・その時だった。
たたたた・・・と足音が近づいてきた、と思うと、いきなり襖が開いた。
襖の向こうに居た人影を見て、彼は酷く動揺する。
刀を握った手はそのままで( 極度に強張り、離せなかったのだろう )少しだけ身体を引いた。
「 ・・・・・・こ・・・・・・たろ、さ・・・・・・ 」
小太郎、私、胸の刀・・・そしてもう一度、小太郎に視線を戻して、彼女は絶句する。
信じられないものを見た、というように、視線を彷徨わせて、身体を震わせた。
しかし・・・すぐに唇を引き締めて、私の躯の元に膝をついた。
硬直した小太郎の指を一本一本、刀から外してやる。そして、彼の頬へと指を伸ばした。
零れた涙を拭ってやると、彼女はいつものように、にこ・・・と優しく微笑んだ。
「 ・・・小太郎さん、大丈夫ですよ 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 あとは、私に任せてください・・・ね? 」
こくり、と戸惑うように小太郎が頷いたのを見届けて。
帯の左に入れていた護身用の短刀を、素早く取り出す。そして・・・・・・。
「 ・・・・・・・・・ッッ!! 」
彼女は、自分の胸に突き刺した。
迷いも、躊躇いも・・・そこにはなかった。
忍者の小太郎でも、彼女の行動が読めなかったのだろう。
今度は彼が、絶句する番。小太郎の、絶叫が聞こえた気がした・・・。
ゆっくり・・・それはゆっくりと、身体が崩れ落ちる。淡い色の着物の袖が、宙に待った。
小太郎が両手を伸ばす。抱きとめた彼女の唇から、つ、と紅いものが零れた。
彼女は、自分の視界を覆った紅い髪の下から、小太郎を覗き込み、笑顔になった。
・・・が、それはほんの一瞬の出来事で。
突然、苦しみ出す。びく、びくり、と痙攣を繰り返して、大量の血液を撒き散らした。
けれど・・・惨事に目を覆いたくなるのは、ほんの数秒。
不規則に折れていた身体が、萎れたようにくたりと力を失う。
小太郎の手に握られていた・・・一本の苦無。
濡れた苦無を振るって血を落とすと、何事もなかったかのように背中の鞘へと仕舞った。
彼女がそうしたように・・・彼はそっと頬に手を伸ばして、瞳を閉じてやる。
色んな人の死を見てきた小太郎なのに・・・彼女の苦しむ姿は、耐えられなかったというのか。
だから、息の根を止めてあげた。少しでも、苦しまずに逝けるように・・・ 。
別れを惜しむように、小太郎は彼女の身体を一度きつく抱きしめ、眠っている私の横に置いた。
ふたつ並んだ・・・どちらも小太郎を愛して、小太郎を想っていた人物( そして、彼自身も )
彼はどんな思いで、私たちの骸を見下ろしているのだろう・・・。
おもむろに胸元から何か取り出した。それを彼女に握らせる。
( ・・・風車? )
頬についた返り血を拭い去った小太郎は・・・もう、ただの忍に戻っていた。
( そう、それはまだ出逢ったばかりの頃の・・・)
すく、と立った小太郎は、素早く印を結ぶ。
姿を隠すように黒い羽根が彼を包み、次の瞬間には消えていた。
残像になって舞う羽根が、現の私の頬に触れて、空気に溶けた。
私は、彼女の魂も浮かぶのではないかと思ったのだけど・・・その気配はない。
( ・・・もしかして )
彼女は、私と同い年の、それは優しい娘で。
身分は違えど、姉妹のように思っていたのは彼女も同じだと思う。
何よりも、誰も引き受けなかった小太郎の世話を、彼女だけが引き受けてくれた。
小太郎も次第に、分け隔てなく接する彼女に心を開いていくのもわかった。
・・・信頼するのに、これ以上の理由はない。
そして彼女は今、その信頼に応えるように。
小太郎が姫殺しの罪で追われるのを防ぐために、自ら命を絶つことで彼を守ったのだ。
( 小太郎・・・貴方・・・ )
・・・私が思う以上に、心を赦していたのね。
自分の中で、ぱぁん・・・と何かが弾けた。
疑問という名の鎖が解けると、浮世を離れる速度が増す。
・・・悲しいのとは少し違う( 寂しい、というべきか・・・ )
小太郎や、彼女に逢えなくなるのは辛い・・・でも、私は彼等の幸せを、願える。応援できる。
だって、二人に出逢えた今生に、ひとかけらの後悔もないのだから。
ねえ・・・きっと、小太郎は貴女を探すだろうから、どうか気づいてあげてね。
魂の連鎖が、貴女たちに幸福をもたらすことを、私は天上から祈っているわ・・・。
室を抜け、城を出て、空へ、空へ・・・・・・。
広がる大地に背を向けて、私は、新たな世界へと旅だった。
( さようなら )
吸い込まれていく世界は、何の束縛もない・・・真白き未来。