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小太郎さんに抱き締められると『 ドキドキ 』する。
オトコの人に抱き締められているんだもん・・・当然なんだろうけれど。
胸が高鳴って、すごく、怖い。破裂しそうで、すごく、怖い。
心臓を患っているせいもあるのだろうけれど、高揚することに抵抗がある。
だから、いつでも心穏やかに。
そう過ごせるよう、住み慣れた街を離れて、こんな森の奥を生活の場所を選んだ。
空気が良い場所を選んだのは、もちろん治療も兼ねてだけれど・・・。
こつこつ、とノックの音が響いて、顔を上げる。
小太郎さんは『 忍 』だと言っていたから、多分、音なんか立てずに部屋へ入れるだろうけど。
それじゃあ私の心臓が持たないと思って、必ずノックをしてくれるよう、お願いした。
はい、と声をかけると扉が開く。温かいお茶を片手に持った彼が、ひょっこり顔を出した。
「 わ・・・ちょうど飲みたいと思っていたんです。ありがとうございます 」
椅子を開店させて、眺めていたパソコンから離れる。
湯呑みを受け取ってお礼を言うと、小太郎さんはふるふると首を振る。
けれど、その頬が少しだけ緩んでいるのを見ると、途端に私も嬉しくなる。
白い湯気が、鼻先をくすぐって空気に溶けた。
「 今日は、生憎の雨・・・ですね 」
外へと耳を澄ませば、滝を思わせるような雨足だ。これではどこにも出かけられない。
せっかくバイトがお休みだったのに・・・小太郎さんと、買い物にでも行きたかったのにな。
湯呑みに口をつけるフリをして、ちらり、と小太郎さんを見上げれば。
彼はしっかりと『 私 』を捕えていて、見事に視線がかち合った。
赤くなって瞳を逸らした私の後ろで、笑っている気配がした・・・も、もう、小太郎さんってば。
こんな・・・まるで『 恋人 』みたいなコミュニケーションをとるのは、気恥ずかしくて。
( でも、本当は、物凄く嬉しかったり・・・して、心中複雑 )
「 こ、小太郎さんが、初めてこの家に来た時も、雨だったの・・・覚えてますか? 」
照れ隠しに、関係ない話題を振ってみる。
私の『 緊張 』は彼にも伝わったのだろう。笑いを微笑みに変えて、首を縦に振った。
飲み干した湯呑みを置いて、彼に向き合う。
「 そんなに時間が経ったワケじゃないのに、何だか、懐かしく思えるんです 」
それは綺麗な、一粒の涙を流したあの瞬間。
私の心に落ちて・・・大きな波紋を起こす。自分の『 中 』の、何かが変わっていくカンジ。
言葉に出来ないけれど、眠っていた『 何か 』を思い起こす。まるで、記憶が揺さぶらるような。
「 ( ・・・・・・そう、いえば、 ) 」
あの時・・・何か、違和感を覚えなかった、っけ・・・?
脳裏にフラッシュバックしたのは、小太郎さんの必死な表情。あ、そうだ・・・。
まだ最初の頃は尋ねられなかったことが、ひとつだけあったのを思い出した。
「 あの、こ・・・・・・ 」
小太郎さん、私と『 誰か 』を、間違えていませんでした?
質問は、言葉にならなかった。
小太郎さんの掌から、握っていた湯呑みが落ち、淡いベージュ色の絨毯の上に染みが広がる。
絶句した彼の視線が、一点に止まっていた。フリーズを解いて、私も慌てて目線を追う。
「 ( 机の、上の・・・この、本? ) 」
今にも風化してしまいそうな、古い本。先日、バイト先で見つけたものだった。
勤め先の誰に聞いても『 知らない 』の一点張りだったので、調べるために借りてきたのだ。
もう一度、視線を小太郎さんに戻すと・・・・・・彼の姿は、もう、なかった。
「 小太郎さん!? 」
扉が開いていた。私は飛び出す。
駆け込んだリビングにも、いない。お風呂場にも、トイレにも、押入れの中にも。
窓を開け放って、下を覗き込む( もちろん、落ちたなんて考えられないんだけど )
エレベーターが来るのも待てず、マンションの階段を駆け下りた。
「 小太郎さんっ、・・・小太郎さぁんっ!! 」
マンションの玄関をくぐる時にすれ違った親子が、ぎょっとしたように私を見ていたけれど。
そんなの、関係ない。雨が降っていることも忘れて、裸足でエントランスを飛び出した。
「 こ・・・小太郎っ、さぁああんっ!!!・・・・・・ッ! 」
通りかかった車が跳ねた水を浴びて、小さく悲鳴を上げた。
そのまま尻餅をついて、運悪く、溜まっていた水溜りの中に落ちた。
揺れた波紋の中に、みっともないほど、ボロボロな自分を見て・・・思わず、笑いが零れた。
・・・いつだって、呼べば必ず姿を現してくれた。
転げそうになったら、後ろから差し伸べてくれる手があった。
どうして、突然姿を消してしまったのか、わからない。
( わかっているのは・・・・・・もう、私の目の前には現れてくれない『 事実 』だけ )
涙は、降り注ぐ冷たい雨と同化して、頬を流れる。
水溜りに座り込んだまま、私はずっと泣き続けていた・・・。