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が、雨に打たれていることなど、露知らず。



俺は木立の中を、疾っていた。
雨水を吸って、着ていた服のずっしりと重みを感じて、ようやく・・・足を止める。
辺りを見回し、大きな木の根元を見つけると、雨を避けるようにそこへ移動した。
根に座り込んで身体を預けると、息切れを整える( それだけ、必死だったということだろう )

・・・どのくらい、離れただろうか・・・あの『 本 』から。

解けない『 呪い 』のようだ。
伸びた幾つもの手に、捕らえられたように。俺は、身動きが取れなくなる。
遥かなる時空の一線を越えても、追いかけられて、最後には羽交い絞めにされるのだ。
抗えなくなって、改めて思い知らされる・・・どんなに逃げても、逃げても、逃げられないことを。
( その『 手 』が、誰のもの、なのかは・・・ )

彼女の机の上にあったものを見て、いつぞやのように、身体から血の気が引いていった。
遠目からではなく間近で見ると、嫌でも『 現実 』を叩きつけられているような錯覚を起こした。
この本のお陰で、愛しい人を殺めた、という・・・『 事実 』。

気がついていたら、飛び出していた。何か言いかけていた彼女を、置き去りにしたまま・・・。


「 ( ・・・・・・ ) 」


頭上の葉から、ぴちょん、と一滴手の甲に落ちた。
それは涙のようで・・・が、泣いている気がした。
・・いや、きっと泣いているだろう( 彼女のこと、だ )俺が突然、消えてしまったから。
泣くとわかっているのに、出てきてしまった。彼女の前には、もう姿を現すことはない。
この『 休息 』がいつまで続くのかはわからないけれど、自分一人くらい、何とでもなる。


「 ( ・・・・・・ ) 」


心配・・・しているだろうか( しているに、決まっている )
飛び出した我が身を、気にかけてくれているだろうか( そうに、違いない )


俺は・・・彼女を泣かせてしまったのだろうか。
( どんなにか、あの笑顔を守りたい、そう思っていたのに・・・ )


どんなに自分に問い詰めても、すべて『 予想通り 』なのだろう。
の好意を、すべて裏返してしまうような仕打ちを、俺はしてしまったのだ。
曇らせたくなかった彼女の表情を、曇らせたのは、自分自身。
苦い想いが、俺の中を満たしていって、雨の重さに身を預けた。

ごろり、と仰向けに横たわった根元から、見上げる。
枝から伸びた、幾数もの葉が、傘代わりとなってくれている。
時々、落ちてくる雫は、行く手を塞ぐ葉の影を縫うようにして、伝ってきたもの。
・・・俺も、そんな『 ひとしずく 』なのだろう。
本来なら紛れ込むはずのない、この世界の『 異物 』。
どうして、と問えば、浮かび上がるひとつの面影・・・・・・それは、


「 ( ・・・姫・・・ ) 」


と同じ姿をした、姫。いや、姫と同じ姿をした、というべきか・・・。
これ以上なく愛して、その愛のために殺した。
彼女を手にかけてから、何度もあの時の行為は正しかったのかと、自問自答した。
答えは出ないまま・・・迷いこんだ『 此処 』で、に出逢った。
優しいに甘えて、答えはいつだって曖昧だった。ずるずると引き延ばしていたんだ。


「 ( ・・・・・・ ) 」


あの子は姫ではない、は『  』だ。
そう何度、自分に言い聞かせても・・・駄目だった。
重なる面影、重なる想い。俺に向けられた彼女の『 好意 』は、の『 もの 』なのに。

姫を愛している、だから俺はを・・・『 愛し 』て、しまったのか。
姫を殺してしまった、だから俺はを・・・姫の身代わりだと思って『 優しく 』するのか。



罪の意識に苛む俺に、天が与えた瓜二つの、愛しい存在。



勝手に別人と重ねられて・・・さぞ、彼女には迷惑なことだっただろう。
そして最後には、仮初に繋いでいた手さえ振り払われて・・・。
脆く、崩れていく『 俺 』と『  』の関係。

出逢ってから積み重ねてきたものは、彼女と過ごした時間は、一体何だったというのか・・・。


「 ( ・・・・・・ ) 」


・・・・・・今、

俺が、心惹かれているのは・・・『  』だ。


そうだと信じたいのに、この胸の内を確信できるだけの材料がない。
自分の心がわからない。不確かな想いを、に向けて言い訳がない。

( でも本当は・・・そんな俺を、彼女に好いて欲しいと、思ってる自分が更に情けない )




二人の面影がちらついて、最後に残った『 彼女 』を瞳に閉じ込めて。
瞑った瞼から、零れ落ちた雫は・・・雨なのか、涙なのか、わからなかった。