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雨は、あの日を境に振り続けている。
空を覆った厚い雲が晴れることはなく、山の峰まで降りている。

バイト先の喫茶店から、そっと窓へと目を向ける。
着いて来た日、彼はこの窓から私を・・・今、この手の中に在るものを見ていた。
彼の様子がおかしくなったのも、突然姿を、消してしまったのも。

「 ( きっと・・・この本、 ) 」

手の中に在るそれを、あの日、彼は凝視していた。そして、激しく動揺していた。
この本が、何なのかはわからない。インターネットでも調べることは出来なかった。
中身を見ても、流れるような書体で書かれていて、私には読めない。
どうしてこんな本が、こんな山奥の、それも児童向けにしか置かれていない本棚にあったのか。
・・・真相は、どんなに考えてもわからない。

「 ( でも・・・小太郎さんは、これが何なのか知っている様子だった ) 」

小太郎さんと、この本は、どこかで繋がっている。確かな事実は、それだけ。
けれど、その事実すら・・・今は確かめようがなかった。

「 ちゃん 」

呼ばれて、顔を上げる。奥のカウンターから手招きされて、私は小走りに近寄った。
到着した私の前に出された、一杯のハーブティー。
ほかほかの湯気が上がるカップを見て、首を傾げていると。

「 お客さん、もういないからひと息つきましょうよ、ね 」
「 はい・・・ありがとう、ございます 」
「 ちゃん・・・最近、あの窓の下でぼんやりしていること、多いでしょ 」
「 ・・・・・・え、 」
「 バイトのみんなが言ってた。あそこに、誰か居るの? 」

・・・堪らず、涙が浮かんだ。
零さないように気をつけたつもりだったけれど、溢れてくるものを塞き止められず。
カウンターに、たた、っと雫が落ちた。ど、どうしたの!?と先輩の驚いた声。

「 ・・・す・・・すみません・・・ 」

心配そうな瞳が、自分に注がれているのが解る。
大丈夫、と言いたかった。でも、大丈夫じゃなかった。言葉だけでも返せる、余裕がなかった。



「 ( 小太郎さん・・・ ) 」



逢いたい、逢いたい。小太郎さんに、逢いたい。
想いが涙に変わって、心の器から溢れた分が、瞳から零れ落ちていく。

姿を見なくなって、もう10日以上が過ぎた。
彼は、この『 世界 』の住人ではない。いつかは・・・小太郎さんと、別れる日が来る。
それはわかっている。だけど、こんな別れ方じゃ、未練というしこりが胸に残るだけだ。
すっきりした別れ方を望むなんて、私は何てワガママなんだろう。
でもお願い、神様・・・まだ、私から彼を取り上げないで・・・。



「 ( 逢いたいよ・・・小太郎、さん・・・ ) 」






あの優しい掌に、心に・・・もう一度だけ、触れたい・・・。






「 ・・・・・・ッ、 」

ずく、と胸が疼いて、身体が強張った。
視界に星が散る。ああ、倒れる前の兆候だ、ということだけわかった。
目の前にいた先輩が、慌てたように口を開いている。
自分の名前を呼んでいるのは唇の動きでわかったが、声は聞こえなかった・・・。

「 ( ・・・まさ、か・・・ ) 」



発作の周期が、短くなって、いる・・・・・・?






『 手術は成功した。が、これで終わりではない 』






五感の全てが、機能を失った時。
闇の中に飲まれていくのを感じながら思い出したのは・・・数年前の、あの日のこと。
周囲を囲むように張り巡らせた点滴は、自分を維持するためにあるのだ、と・・・。
ぼんやりとそんなことを考えながら、視界の端に映った医師が、混濁状態の私に告げる。

『 君が大人になるまで、再度手術が必要だ。その為に、しばらくは体力をつけないとな 』

くしゃり、と大きな掌で頭を撫でた先生には、未だにお世話になっている。
発作を起こすたびに、病院で定期健診を受けるたびに、いつその『 先刻 』が下されるか、
脅えながら待っている。もう苦しみたくない、苦しいのは嫌だ。



でも、明日、死んでしまうかもしれない『 現実 』が・・・怖い・・・・・・。









そこで、私の意識は完全に飲まれた。