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カーテンの向こうから差し込む、静かな月明かりの中・・・私は、考えていた。
「 ( ・・・あれは、見間違え、なんかじゃない・・・ ) 」
あの時・・・小太郎さんの姿の輪郭が、風に流されるように、薄くなっていった。
透ける身体の向こうに、小太郎さんの背中に遮られていたはずの夕陽が見えた。
私は咄嗟に、彼の胸に飛び込んで( 躊躇いなど、感じる余裕もなかった )
肩にかけていたカーディガンが、するりと滑って、風に舞う。
小太郎さんがそれを捕まえて、私の肩に戻すまでの・・・ほんの、数秒・・・。
「 ・・・・・・・・・ 」
周囲の音が消えて・・・聞こえるのは、煩いくらいの自分の心臓の音と。
当てている胸元から聞こえる、小太郎さんの、心臓の音。
この音が、鼓動が消えてしまわないように・・・彼の背中へと腕を回した。
途端、小太郎さんが動揺したように、身体を強張らす。
尋ねるように肩に触れた彼の手が・・・びくり、と震えたのがわかった。
『 ・・・どうした?。そんなに震えて 』
掌には書けないから、くすぐったくないように気を遣いながら背中に書かれた言葉。
・・・彼は、気づいていないのだ。
今、まさに・・・その姿が、風に溶けようとした事実に。
更に力を込めた私の身体を、そのままぎゅーっと小太郎さんが抱き締めた。
反対にビックリして、しがみついていた腕を離して、ジタバタと暴れ出した私は顔を上げる。
そこには、少しだけからかったような、余裕たっぷりの表情をした・・・彼の笑顔が、在って。
「 ・・・・・・小太郎、さん 」
呼べば、こくりと頷く、彼が居て。
「 小太郎・・・さん・・・・・・う、っく 」
「 ・・・・・・・・・ 」
泣けば、抱き締めてくれる腕が在って。
紅く染まった夕焼け空の半分が、夜の闇に包まれるまで。私は彼の胸で泣いた。
その間も・・・消えてしまうんじゃないかと気が気でなくて、ずっとその腕に縋っていた。
・・・小太郎さんも、私の突然の涙に、何かを悟ったのかもしれない。
嫌がる素振りも見せず、ただ私が泣き止むのを・・・隣で、見守っていてくれた。
髪を撫でてくれる、温もりに・・・胸が詰まって、また泣いた。
( ・・・タイムリミット、なのかもしれない )
そう考えただけで、盛大な溜め息と涙が零れ落ちる。これでもう、何度目だろう・・・。
心配する小太郎さんには、大丈夫、と繰り返し説明したから、もう天井裏から降りては来ない。
・・・これが、今に『 当たり前のこと 』になるのだ。
わかっていたはず。覚悟していたはず。その時がとうとうやってきて、今、混乱しているだけ。
小太郎さんには『 姫 』が居る。愛して止まない存在が、遠い時間の向こうで待っている。
・・・だから、もう開放してあげなきゃ。
ずっと傍に居て欲しい、が本音。でも、幸せになって欲しい、小太郎さんにも『 姫 』にも。
どうして私があんな『 夢 』を見て、他人の身体を借りて『 見て 』いたのかわからない。
『 私 』は・・・彼の幸せを、心から願っていた。それは、私も同じ。
私も、好きな人の幸せを・・・心から、祈りたい。
迷いなく用紙を熟読している私を、不思議そうに見つめているのがわかる。
最後の一項目を確認して、その下に、サインをした。ボールペンを置いて、提出した。
「 いやぁ・・・驚いたな、うん 」
顎を撫でながら、先生は感心してばかりだ。
「 折角、決意したのに、先生ってば酷いなあ 」
「 や、決意を砕きたくはないんだが、うん・・・偉い、偉いよ 」
そう言って、髪の毛をグシャグシャした手は、あの時と変わらない。
苦笑して、私は先生に改めて向き合う。
「 よろしくお願いします 」
「 ああ。こちらこそ、信用してくれて有難う。全力を尽くすよ・・・ちゃん 」
「 はい? 」
「 ・・・何が、君の想いを変えたのかな。今までこんなこと、なかったろう? 」
「 そう・・・ですね 」
何から話したらいいんだろう( ううん、話しても信じてもらえないかもしれない )
だけど、確実なのは『 小太郎さん 』の存在。彼が、私の想いを突き動かした。
勇気の欠片もなかった私の心に、波紋を広げたのだ・・・。
「 あのね、先生・・・私、大切なヒトがいるんです 」
「 ほう 」
「 そのヒトにふさわしい人間になりたい・・・ただ、それだけなんです 」
小太郎さんのことを考えると、胸が熱くなる。
胸に宿った熱は、私の原動力なる。もっともっと前へ、もっともっと未来へ。
想う気持ちを勇気に変えて、一歩踏み出すための・・・これが私の出した『 結論 』だから。
呆気に取られていた先生が、今まで見たことのないような照れくさそうな笑顔を浮かべて。
その大きな手でもう一度頭を撫でた・・・もちろん、今までにないくらい、グシャグシャに。
狭い診察室には、私の上げた悲鳴と、先生の大きな笑い声が響く。
「 そうかそうか!・・・まだ、子ども扱いしてたのは、俺の方だったか 」
眼鏡の奥に、少しだけ煌いた光が見えた。きょとんとしている私を、その光の中に映し出して。
イイ女になったな、・・・と、呟いた。
その言葉に、先生の光に映った自分が、頬を紅くして微笑む姿が映っていた。
・・・そう、かなあ・・・・・・でも、そうだと、嬉しい。
もし私が成長したのなら、それはきっと・・・ううん、絶対に、小太郎さんのおかげだもの。