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「 小太郎さん、今日、一度自分の家に帰ることになりました 」

朝食を取った後、倒れた日に来ていた服に着替えて、小太郎さん、と呼ばれた。
その声に姿を現すと、は笑顔でそう告げる。
・・・家に帰る、とは、どういう意味だろうか。病気が、この数日で治ったとは思えない。
首を傾げる俺に、は静かな微笑みを浮かべて。

「 ・・・手術、することになったんです。だから、一度帰って荷造りしないと 」

手術後は、しばらく身体も起こせなくなると思うから。
倒れてから今日までの検査は、この手術のために行われていたのだと、教えてくれた。
何の手術なのかは・・・聞かずとも解った。脳裏に焼きついた、胸の傷跡。
どう反応していいのかわからず、固まったままの俺に、は小指を掲げる。
そして、約束、覚えていますか?と言った?

『 約束? 』

疑問系だったのが気に喰わないのだろう。あ!と大きな声を上げて、わざとらしく怒る素振り。

「 お誕生日に、お願いごとひとつ聞いてくれるって、言ったじゃないですか! 」

・・・ああ、そういえば。
思い出したように、手を打てば、またが大袈裟に酷い!と声を上げた。
そしてすぐに、元の笑顔に戻って・・・俺の両手を握った。

「 もう私の誕生日は過ぎちゃったけど、一緒にふたり分、お祝いしませんか 」
『 わかった 』
「 うん・・・それでね、私、行きたい場所があるんです。一緒に行ってくれませんか? 」

それが、私の『 お願いごと 』です、とが笑った。
もちろんだというように、こくりと頷くと、安心したように彼女も頷く。
改めて言われなくても、俺は君の行く場所だったら、何処へでもついていくのに。
( 出来ることは確かに少ないけれど、そんな『 お願いごと 』で良かったのだろうか・・・ )

一時退院の挨拶をしてくる、と病室を出て行った彼女の荷物を預かって。
俺は、病院の出口で、が戻って来るのを待っていた。









主が不在だったことを覗けば、いつもと変わらない部屋。
俺が居た時と同じように綺麗片付けられていたが、それでも少し白く見えた。
埃をかぶっている、とまではいかないが、閉じられていた空間はあまり空気が良くないようだ。
帰ってくるまでの道のりで疲れてしまったのか、は着くなりソファへと身体を沈ませる。
俺は、ベランダの窓を大きく開けて空気を入れ替え、湯を沸かした。
茶を入れると鼻腔をくすぐったのか、彼女が薄く瞳を開く。

「 ・・・いい匂い 」

ことん、と置かれた湯呑みから、湯気が立っている。
その動きを目で追いながら、ゆっくりと呟いた。

「 自分で淹れても同じなハズなのに、小太郎さんに淹れてもらうと特別なちょっとカンジです 」

意味が解らなくて首を傾げると、はいただきます、と湯呑みへと手を伸ばす。
熱いのが苦手な彼女のために少しだけ冷ましてあるけれど、日頃の癖なのもあるのだろう。
一息吹いて、口に含むと、うん・・・やっぱり美味しいです、と笑った。

「 小太郎さんが淹れたお茶だから、美味しいんです 」

にっこりと微笑んだ笑顔につられて、俺も笑ったのだろう( 意識していなかったが・・・ )
の顔が見事に真っ赤に染まり、誤魔化すように、お茶をすすり出した。
時折、小太郎さんってズルい・・・と呟いていたようだが( ・・・何のことだ? )
思い出したように、彼女は立ち上がると、本棚から細く折りたたんだものを持ってきた。
どうやら・・・地図、のようだ。

「 今、私たちが住んでいる場所は、ココです 」

ぴ、と人差し指で指した一点の場所。地名にも見覚えがあった。
( そうか・・・病院の名前に使われていたことを思い出した )

「 明日はバスに乗って、この駅を経由して、海岸線まで出る予定です 」

・・・明日?
を見返せば、彼女はこくりと頷いて、小指を見せる。
ああ・・・その海岸線が、の『 行きたい場所 』ということか・・・。

「 ちょっと急だけど・・・明後日には、また病院に戻ることになったの・・・ 」

一時退院の挨拶をした時に、すぐに手術を行う話になったのだと言う。
事前の為の検査は入院中に全て行ったので、結果が出れば元々すぐに行う予定だったらしい。
ソファに身を預けたは、少し俯く。睫の影が濃く映って、更に青白く見えた。
膝の上に乗せていた手が、微かに震えていた・・・。

ぽすん・・・と頭に手を乗せれると、がゆっくりと顔を上げる。
読んで、というように自分の口に指を当てた。

『 明日、行こう。とずっと一緒に居ると、傍に居ると・・・ 』

・・・約束、した。

最後まで『 言う 』前に、抱きついてきた彼女を受け止める。
ああ、やっぱり。が今、どんなに不安になっているのかわかっていたつもりなのに。
背中を宥めてやると、彼女が甘えたように、ふふ・・・と耳元で笑った。



・・・もう、時間がないことは、自分にも解っている。

いつまで『 此処 』にいてやれるかは、わからないけれど。
少しでも・・・彼女の慰めになれば、と思うのだ( それが、今の俺の、幸せでもある )