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自宅を出て、少し歩いた場所にある小さな屋根の下で、彼女は立ち止まる。
不思議そうにしていると、もうすぐバスが来るから此処で待っていましょう、と言った。
( ・・・バス、とは? )
の視線が、俺の背中へと向けられる。振り返ると、大きな『 車 』が向かってくる。
扉が開いて、乗り込んだ彼女に続くと、がこの時代の金を係の者に渡したようだ。

「 二人分です 」

乗ったはいいが、どうしたらいいかわからず、立ち尽くした俺の手を、こっち、とが引く。
一番後ろの座席に座り、車が動き出すと二人の身体が大きく揺れた。
驚いて反射的に身体を固めた俺の腕に、が寄りかかる。
慌ててその身体を支えてやれば、彼女はにっこりと微笑んだ。

その笑みに・・・研ぎ澄ましていたものを解いて、彼女のように背もたれへと身体を預けた。






「 え、小太郎さん、中には入らないんですか? 」

てっきりお客さんとしてついて来たんだと思ったのに、と驚いた様子の彼女に、首を振る。
のバイト先は、喫茶店・・・ようは、茶屋らしい。
ただ山奥の一軒家なので、茶を飲みに来るというよりも、子供の遊び場を提供したり、 親同士の交流の場だったり・・・という場所らしい。
馴染みの客が集まる場所に、異端者が入れば自然と目立つ。職業柄か、人目は避けたい。

『 ついて来たかっただけなんだ。仕事が終わったら、呼んでくれ 』

掌に書くと、返事も待たずに姿を消す。が、あ、と小さく声を上げた。
遠目から見ていれば、消えた俺を探すようにしばらく辺りを見渡していたが・・・。
やがて入室を知らせる鐘が鳴って、彼女の姿は建物の中に消えていった。

しばらくして・・・窓辺に、の姿が見える。

店内で茶を運んだり、奥と窓辺を行き来している。
途中、駆け寄ってきた子供の相手をして、そこでも満面の笑みを見せていた。



・・・ふと、自分の頬に触れて、みた、時に。

彼女の笑顔に釣られて、俺自身も・・・微笑んでいたことに、気づいた。



「 ( ・・・・・・ああ、 ) 」



俺が『 笑う 』のは、きっと彼女に心赦しているからなのだろう。

の笑顔には『 華 』がある。見る者を癒して、活力を与える効果がある。
『 姫 』もそうだった・・・彼女の笑顔に、どれだけが励まされただろう・・・。
身体が弱くても精一杯生きるその姿に、皆が救われていた。明日を信じることが出来た。

「 ・・・・・・・・・ 」

あの・・・胸の、キズ。
の心臓より少し下にあった、痛々しい痕の記憶が蘇る。
そう古い傷、ではない。ここ数年のものだろう。まだ糸の痕がくっきりと残っていたから。
倒れた時の・・・の辛そうな表情。またあんな顔をして欲しくなくて、心配でついてきたが。

ちらり、と視線を向けると、いつも通りの彼女がいた。
相変わらず咲かせている『 華 』に、曇りの影は見えない。



・・・それでいい。

元の世界へ戻る術だとか、どうしてに『 姫 』の面影があるのかとか。
考えるべきことは山ほどあったけれど・・・今は、こうして彼女の笑顔を見守れれば良い。

俺は無信者だが、与えられたこの時間は、まるでしばしの『 休息時間 』のように思えた。
ならば、その流れに身を任せよう。風が、いつか俺を在るべき時間軸に戻してくれるだろう。
いつかは・・・ここを、離れていく。その『 予感 』だけは、確かだろうから。
( なぜなら、俺の在るべき時間軸は・・・『 此処 』ではない )



子供に読み聞かせようとしていたのだろうか・・・。
数冊の薄い本を持ってきて、柔らそうな絨毯に彼女が腰を下ろすと、子供が集まってくる。
中には自分が読んで欲しい本を持って。が受け取り、その子供の頭を撫でた。

・・・慌てて、身を乗り出す。

子供から受け取ったあの本・・・あれ、は・・・・・・。





『 ここ見て。自殺すると、生まれ変われないんだって 』





随分と古く、力を篭めれば崩れてしまいそうなその本は・・・あの時は、まだ真新しかった。
冷や汗がどっと流れる。身体中の血が、逆流しているような、気分の悪さを感じて。

ぐらり、と揺れた身体が・・・樹の上から、落下するのがわかった。