: 9


籠に置いていたベージュのカーディガンを羽織る。
一度身支度をチェックしてから、水色のカーテンを開けて外に出た。
丸椅子に座って待っていると、カルテに書き込む手を止めずに、名前を呼ばれる。

「 ちゃん、最近、調子良いみたいだね 」
「 はい・・・でも、この前久しぶりに発作で、倒れちゃいました・・・ 」
「 ・・・そうか。ご両親とは一緒に住んでないんだっけ? 」
「 独りです・・・あ、でも 」

小太郎さんのことは、カウントしてもいいの、だろう、か・・・。
一瞬の沈黙を見逃さなかった、馴染みの医師はニヤリと意地悪く唇を持ち上げた。

「 まあ、深くは追求しないけれど・・・若いうちに楽しんでおきなさいな 」
「 先生って意地悪だ、それってセクハラ発言です。訴えられますよ 」
「 おっと、すまんな。ナイショにしといてくれ。さて、今後のことだけど・・・ 」

ふざけていても、先生は先生だ。今後の話を真面目にして、処方された薬を抱えて病院を出る。
外は、もう日が落ちかけていた。山間に沈んでいく夕陽に、瞳を細める。

儚く消えていく、朱い焔・・・いつか、同じ髪の色をした、小太郎さんも・・・。

続く言葉を飲み込んで、私はバス停へと向かった。
運良くちょうど来たバスに乗り込む。一番後ろの定位置。小太郎さんとも一緒に乗ったっけ・・・。
出かけてきます、と言って出てきてから、随分時間が経ってしまったから、心配してるかも。



でも、今、一番心配なのは・・・小太郎さんの方だ。









お風呂を出ると、いつもあるリビングに、彼の姿がない。
濡れた髪を拭きながら、ベランダを覗く。反射してるリビングの光の向こうに、背中を見つけた。
静かに星空を見ている彼の背に・・・かける、言葉が見つからない。

「 ( ・・・あの日、からだと思うんだよね・・・ ) 」

小太郎さんが、バイト先に来たいと言った、あの日、だ。
バイトが終わって、人目につかないと場所で、彼を呼んだ。
けれど・・・現れた『 彼 』を見るなり、私は飛び上がった。あまりに・・・。

「 ( あまりに・・・纏う雰囲気が、今までとは違いすぎていて ) 」

帰りのバスでは、一言も会話がなかった( 行きは、あんなに楽しそうだったのに・・・ )
その日を境に、小太郎さんは会話がとことん少なくなった。私は、自分の掌を見つめる。
この手に・・・なぞってくれる動きが、とても好きなのに・・・。

・・・ぎゅ、と胸が締め付けられる。



小太郎さんは、家族でもない。恋人でもない。
ましてや・・・この『 世界 』のヒトでもない・・・。

・・・じゃあ、私にとって、彼はどんな『 存在 』なんだろう。

突然現れた小太郎さんを、自然と受け入れられたことも、本当はずっと不思議だった。
彼と出逢ってから・・・見ることがなくなった、あの夢の『 世界 』。
あの『 世界 』に行ったら、私、必ず小太郎さんのことを見つけてみせるのに。
まるで、ヒントは与えないよ、と言わんばかりに・・・誰かに目隠しされているような・・・。

夢を見なくなったことと、彼が私の前に現れたことは、何か関係があるのだろうか。
本当は・・・私、小太郎さんのことを、もっと前から知っていたんじゃないだろうか・・・。



・・・・・・知りたい。



知りたい、知りたい。彼のことを、自分のことを。
小太郎さんに、もっともっと、近づきたい。
今、目の前に立っている距離じゃなくて、もっと縮めたい『 距離 』がある。



「 ・・・小太郎、さん 」

がらら・・・と窓を開けて声をかければ、彼が振り返る。
ベランダに出ようとした私を、寒いから、と制止して自分が室内に入ってくる。
私をソファへと導くと、首にかかっていたタオルを取って、頭を拭いてくれた。
柔らかく水気をふき取ると、小太郎さんが、少しだけ満足したように、私を見つめている。

でも、彼の視線が『 私 』を追っていないことくらい、わかってる。
( こんな瞳で私を見るようになったのも・・・あの日以来、だ )

胸が震えた。ちょっとでも気を緩めると、泣いてしまいそう。
バレないように、こっそり息を吸い込むと、できるだけ落ち着いている様子を装って。
私は、用意していた台詞を、彼に向けて吐き出す。


「 小太郎さん・・・あの、私、来週、お誕生日なんです 」


自分の笑みが、引き攣っていなければいいけれど。

そう願いながら、驚いている彼の手に・・・自分の掌を、重ねた。