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 鼻筋を撫でてやると、馬は気持ち良さそうにブルル・・・と震える。
 
 馬庫の中でも澄んだ光を宿す瞳は、どこか『 彼 』を連想させて、少しだけ胸が締め付けられた。
 脳裏に浮かんだ残像を消すように、軽く頭を振って。
 機嫌の良くなったその子に、用意していたを鞍を付けようとしていると。
 
 
 、と私を呼ぶ・・・今、一番聞きたくない、声・・・。
 
 
 「 ・・・・・・幸村、様 」
 「 薬草摘みに出かけるのか? 」
 
 
 入り口に立った主人である幸村様は、そのまま馬庫の中へと入って来た。
 立ち竦んだ私の前に立つと、固まったままの私を見て・・・寂しそうな笑みを浮かべた。
 ぎこちなく頷いた肯定の意を汲み取ると、そうか、と彼は呟く。
 
 
 ・・・女中で、馬に乗ることの出来る者は少ない。
 だから、幼い頃に幸村様と一緒に乗馬指導を受けた私のお役目のひとつに、
 遠乗りをしないと行けない山への薬草摘み、があるのだ。
 
 
 「 某も行こう。今、月影を連れて参るので、二人で乗って出かけようぞ 」
 「 お待ち下さい!これは女中としての、私のお役目です。当主が手を出しては・・・ 」
 「 は、誰にも見つからぬよう門の外で待っておれ。これは、主命であるぞ! 」
 
 
 そんなことを言われたら・・・逆らいたくても、逆らえない( それを知っていて、宣言したのだ )
 約束だぞ!と遠くから声がして、彼はあっという間に馬庫の奥へと走っていった。
 私は諦めたように溜め息を吐くと、連れて行くはずだった馬に、ごめんねと謝った。
 鞍を仕舞うと、ヒトに見つからないように、外へと続く門へと走る。
 
 
 
 
 ・・・こんなこと、ダメだって、わかってるのに。
 
 
 それでも、あのヒトに逆らえないのは・・・きっと・・・・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 小さな頃から慣れ親しんだ月影に乗せてもらうのは、久しぶりだ。
 その鬣を撫でれば、月影が私に鼻を摺り寄せた。
 くすぐったさに、笑いが零れた私を見て・・・幸村様は目を細める。
 山までは、半刻もかからない。薬草を積んでも、一刻半もあれば帰ってこれる。
 幸村様といるのも、それまでの『 辛抱 』だ・・・そう、思うことにした。
 
 
 「 籠は某が背負おう、、貸してみろ 」
 「 ダメです!幸村様にお仕事取られたら、私、することがなくなります 」
 「 の仕事は・・・そうだな、とりあえず今は、某と一緒に月影に跨ることでござる! 」
 「 え、う・・・うわわっ!! 」
 
 
 小脇に抱えられたかと思うと、だん!と大地を踏んだ。
 その勢いを利用して、飛んだ。月影に跨ると、自分の脚の間にすとん、と私を下ろす。
 危ないでしょうが!!と上げる抗議なんかに耳を貸さずに、幸村様は月影を走らせた。
 やがて小言を悲鳴に変えて、しがみつく私を抱き寄せて、彼は楽しそうに大きく笑った。
 
 
 
 
 
 
 ( 『 決意 』とは裏腹に、なんて幸せな時間だったんだろう・・・ )
 
 
 
 
 
 
 薬草摘みも、二人で行えばずいぶんと早く終わった。
 薬学の知識のまったくない幸村様だったが、これと同じものを・・・と教えれば、
 ぴたりと当てて、同じものを持ってくる( ・・・野生の、勘というやつかしら? )
 籠一杯になった薬草を見て、私は満足そうに汗を拭う。これだけあれば、充分だろう。
 
 
 「 幸村様、ありがとうございました、お陰で予定よりも随分早く、仕事が終わりました 」
 「 なんのこれしき・・・あ、、そこの水辺で少し休んで行かぬか 」
 「 はい 」
 
 
 達成感に、曇っていた心模様など忘れて、私は二つ返事で頷く。
 お天道様が夕陽に変わるまで、まだ時間がある。
 夕餉の支度に間に合えば大丈夫であろうと、籠を載せた月影の手綱を、手近の樹にくくりつけた。
 水辺に近づけば、先に来ていた幸村様が、履いていた草履を脱いで、浅い川辺ではしゃいでいた。
 ・・・しばらくすれば疲れて戻ってくるだろうと思っていたのに。
 水筒の中身を入れ替えても、まだ落ち着く様子のない当主に、
 
 
 「 あまり子供のようにはしゃいでいると、転びますよ 」
 「 も来てみるがよい、気持ちよいぞ! 」
 
 
 満面の笑みを浮かべた幸村様に、一瞬感じる既視感( ・・・あ、昔のままと、同じ )
 だから、腕を引っ張られた時に足を滑らせても、咄嗟のことに受身を取ることが出来なかった。
 水筒が、手から落ちた。彼の口が、あんぐり開かれたのを他人事のように見ていた。
 
 
 「 ・・・っ!! 」
 
 
 ばっしゃーんっ!と派手な水音を立てて、水の中に落ちた。
 川は浅かったが、転べば沈む。水を思いっきり飲み込んで、暴れた私を、救いあげる腕があった。
 力強い腕が、私を横抱きにすると、素早く水辺を抜けて木陰へと下ろした。
 
 
 「 ゲホッ、ゲホ・・・ゴ、ホっ、ォ・・・!! 」
 「 、・・・しっかりするのだ 」
 
 
 目の前にいるのが主であることも忘れて、苦しさを堪えきれず、子供のようにぼろぼろと涙を零す。
 真っ赤になって咽る私の身体を、そっと彼は抱き寄せた。
 片手で私の背中を擦り、もう片方の手で、泣きじゃくる私の頭を自分の胸元に寄せる。
 喉が・・・焼け付くように痛い。しばらくぐったりとしていたが、ようやく呼吸を落ち着かせて・・・。
 はた、と自分が、幸村様に抱き締められているのに気づいた。
 
 
 「 あ・・・あのっ、ありがとう、ござい、ます。も、もうッ、大丈夫ですから! 」
 「 大丈夫ではなかろう・・・しばし、このままで 」
 「 いえ!ほ、本当に平気・・・ 」
 「 某が・・・このままで、いたいのだ・・・ 」
 
 
 そう言われてしまえば、私も無理強いできるはずもなく・・・大人しく、寄り添った。
 
 
 ・・・あったかい・・・。
 
 
 耳を澄ませば( 随分と早いけれど )胸の鼓動が聞こえる。
 昔、まだ私がただの女童だった頃。一緒に寝ていた時は、この心音にとても安心感を覚えたっけ。
 川のせせらぎ。鳥の声。幸村様と私の呼吸音・・・そして、重なる心音に。
 ふ・・・と目を閉じそうになった時、耳元で彼の声が響いた。
 
 
 
 
 
 
 「 ・・・、何故・・・最近、某を避けているのだ? 」
 
 
 
 
 
 
 茶や使いを頼もうとしても、お前が現れることがなくなった。
 こちらから顔を出しても、女中部屋や厨房にさえお主の姿が見えない。
 まるで、意図的に姿を隠しているような・・・と言われて、身体が急速に冷えていくのを感じた。
 
 
 ・・・ああ、ご存知だったのだ。
 用事は全部、他の女中にお願いして、幸村様と少しずつ距離をとっていたことを。
 
 
 俯いたままだった私は、、と促されるように名前を呼ばれ・・・とうとう、顔を上げた。
 
 
 「 ・・・避けてなど、おりませぬ 」
 「 嘘を申すな 」
 「 申しておりませぬ。幸村様は、何か勘違いをなさっているご様子・・・ 」
 「 ならば・・・何故、そなたは泣くのだ?この涙が・・・動かぬ証拠 」
 「 ・・・・・・ゆ、 」
 「 それとも・・・某には、言えないことなのか?幼い頃から共に過ごしてきた、某にも・・・ 」
 
 
 無意識に流れていた涙を、彼の指が拭った。
 私を見つめる幸村様の瞳は、愁いを帯びている。こんな表情、して欲しくなかった。
 
 
 悲しませたいんじゃない・・・幸せになって欲しい、と、そう思ったから、私は・・・。
 
 
 
 
 
 
 お館様が、急に屋敷にいらして・・・深酔いした幸村様を寝かしつけた日のことだ。
 両腿に、彼がしがみついた温もりが、まだ残っている。
 あんな風に・・・子供の頃のように抱きつかれたのは、久々だ。
 お館様との間に、何かあったのかと心配する反面・・・好きな人に触れて、乙女心が疼いた。
 染まる頬を冷まして、宴会の片づけを手伝おうと、厨房に入ろうとした時だった。
 
 
 『 信玄公は、幸村様に縁談をもってきたらしいわ 』
 
 
 ・・・足が止まった。
 
 
 同時に思い出す、やってきた時の、お館様の苦虫を潰したような顔。
 幸村様も、立派な武将の一人。見守ってきたお館様としては、そろそろ所帯を持って欲しいのだろう。
 そして・・・幸村様は、多分お断りしたのだろう。あれだけ酔うのは、とても珍しいから。
 お館様からの縁談をお断りしたことに・・・胸を痛めて・・・。
 
 
 
 
 
 
 もう、私たちは子供じゃない。
 
 
 幸村様は一人の『 男 』で、私は一人の『 女 』なのだ。
 一緒に育ったから赦される『 距離 』なんて・・・存在しない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そうじゃなくても、私は・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「 教えてくれ、。何か気に食わぬことをしたのなら、この幸村、誠心誠意謝る故・・・ 」
 「 いいえ、いいえ!違うんです、幸村様・・・! 」
 
 
 告げられるならば、告げてしまいたかった。さっさとフラれて、他の男の人を愛せば良い。
 でも・・・例え、愛されなくても・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 「 ・・・幸村、様・・・、私・・・っ! 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ・・・この恋を手放したく、なかった・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 興奮して、泣きじゃっくって。子供が駄々をこねるように、首を横に振る。
 そんなみっともない私の涙を拭う幸村様の手は、どこまでも優しい。
 武骨な武人の、愛しい指先が・・・私の唇に触れた時・・・。
 
 
 見つめ合ったままの私たちの顔に、影が射して・・・我に返る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 先程まで射していた陽の光が、急速に雲に隠れ、
 
 
 雷鳴が、大気を震わせた・・・・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 ( そう・・・いつまでも子供じゃない。彼への『 恋心 』が生まれた時、私はすべてを悟ったのだ・・・ )
 
 
 
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 Title:"確かに恋だった"Material:"七ツ森"
 
 
 
 
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