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 自分の執務室の前で、足を止めた。
 
 
 
 
 ・・・人の、気配。
 意識を集中して中を探れば、複数ではないようだ。一人・・・刺客でしょうか。
 ならば、こんなに気配を表に出しているはずがない。誰か、尋ねてきているのかもしれません。
 
 
 ようやく扉の柄に手を伸ばして、部屋へと入る。
 中央にある、大きな机。その上に・・・覆いかぶさるようにして、倒れている陰が、ひとつ。
 まさか・・・誰かの死体かと思い、恐る恐るその様子を確かめる。
 
 
 「 ・・・・・・? 」
 
 
 確認する前に、規則的な寝息が耳をつく。思わず、ほっと胸を撫で下ろした。
 いつもは陽の光が入る格子窓から、柔らかい月光が彼女の輪郭を照らしている。
 あどけない寝顔のは、化粧を落としても、輝く真珠のような肌。
 誰もが絶句したうなじの艶やかさを思い出して・・・喉が、鳴る。
 屋敷にいる時のように、肩まで下ろした黒髪が、机の上に散らばっていた。
 この黒髪にも魅せられましたね、と思い、そっと手に取ると、掌の上でさらり・・・と音もなく流れた。
 
 
 丁寧に梳かれ、手入れされて入るが、食事や見目麗しい衣装だけでは、内なるものは引き出せない。
 そうでなくとも・・・私は、彼女の持つ『 美しさ 』を知っている。
 
 
 
 
 「 ( だって・・・ずっと、見ていたのですから ) 」
 
 
 
 
 練師さまと一緒に、勉学に励むを、ずっと・・・。
 
 
 新しい知識を取り込もうとする彼女は、始終光っていた。
 礼儀作法も彼女にかかれば、魔法のように楽しい授業になるらしい。
 笑って笑って、練師さまも周囲も釣られて、一緒に笑って・・・。
 屋敷では硬いことで有名だった侍女を、の傍付きとしてつけていたが・・・彼女も一緒に笑顔になって
いるのも、この目で見た。彼女の笑顔は、本当に人を和ませる。
 評判の菓子を届けてやれば、がそれを美味しそうに頬張っていた。
 段々と彼女の好みが解ってきて・・・その様子をこっそり見るのが、いつしか楽しみになっていた。
 
 
 をとり囲む屋敷内の空気も、彼女を見ている自分の中も、少しだけ変化しているが解る・・・。
 
 
 
 
 そして、それを改めて見せ付けられたのが、今日の謁見だ。
 彼女が、こんなに魅力ある女性なんだと・・・改めて、気づかされた。
 凛とした声。帝に対しても、一歩も引けをとらない、堂々とした態度。
 本当に・・・この女性が『  』なのか、自分でもしばらくは信じられなかった程だ。
 
 
 今の今まで、甘寧殿や凌統殿の酒の席に捕まえられて、への賛辞を聞かされていたが。
 何度・・・そんなことを言われなくてもわかっているのだ、と言いそうになったことか・・・。
 
 
 
 
 『 さっすが軍師さまだ!あんな条件通りの上玉を、連れてくるとはなぁ 』
 
 
 
 
 私は・・・何もしていないのです。
 むしろ、彼女に手をかけた。やり場のない怒りと絶望を称えた瞳で、私を睨んでいた。
 少しでも気を緩めれば、の想いに飲み込まれてしまいそうだった。
 自分に向けられた、剥き出しの感情に耐えられなくて・・・。
 謀略と知略と、権力が闊歩する世界の中で生きてきた私には、彼女の純粋な想いが・・・眩しくて。
 
 
 
 
 けれど、あんなことをしたのに・・・私は『 寂しい 』と思っている。
 の満面の笑顔が、自分には決して向けられないことに。
 いつも私には、恐怖に強張った顔しか見せてくれない。
 皆にも、初めて対面した孫権さまにでさえ、あんなに親しんでいるのに、私には・・・。
 
 
 
 
 それは至極当然のことなのに・・・嫉妬に駆られる自分は、何と愚かで、我侭なのでしょう。
 
 
 
 
 彼女は、いつだって素直で、自分に正直だ。
 呉の軍師だとか、陸家の長だとか・・・そんなもの、の前では無力だった。
 権威で捩じ伏せられるものなら、こうまで『 想わ 』なかった。折れない強さこそ、彼女の力だ。
 そして、自らの運命をその力で掴み取った。孫権さまは、そんな彼女を認めたのだから・・・。
 
 
 趙雲は伴侶こそいないが、美丈夫で優しい男だと聞く。きっと・・・彼女のことを好いてくれるだろう。
 
 
 
 
 
 
 私が・・・のことを、こんなにも想うように・・・。
 
 
 
 
 
 
 「 ・・・う・・・ん、 」
 
 
 寒くなってきたのか、が肩を竦める。自分の羽織を彼女の肩にかけ、そのまま抱き上げた。
 執務室の隣にある仮眠室の牀榻に寝かせる。
 
 
 「 ・・・、 」
 
 
 
 
 
 
 偶然とはいえ・・・私は、見つけてしまったのです。
 
 
 私を、ただの『 陸伯言 』として・・・『 一人の人間 』として見てくれる、人を・・・。
 
 
 
 
 
 
 それがどんなに嬉しいか・・・眠っている貴女には、わかりませんよね。
 でも、いつか・・・いつか伝えたい。私たちの間にある氷が、全て解けた時には。
 眠り姫の髪を撫でると、お父さん・・・と小さな呟きが聞こえた。
 
 
 「 お父さん、ですか。それはちょっと傷つきます・・・ 」
 
 
 そっと抱きすくめると、が温もりに縋るように背を丸めた。
 私はくすりと笑って、起きる気配はないのをいいことに、隣に寝転んだ。
 
 
 「 ( ・・・あ、 ) 」
 
 
 確かに『 二人 』は、温かい。
 
 
 呑んでいた酒の力もあって、流石にまずいと思うのに、身体が起こせなかった。
 こんなことがバレたら、今度こそ・・・に本気で嫌われてしまうかもしれない・・・。
 手放したくない一心で、強く抱きしめれば。父親の姿を重ねてか、彼女が甘えるように擦り寄ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 ( 貴女に関わると、誤算ばかりで・・・本当に、困った人だ・・・ )
 
 
 
 
 
 
 
 
 被っていたものを、悉く剥がされていく。
 
 
 
 
 苦笑して・・・私は、を胸の中に閉じ込めた。
 今夜は、久々に熟睡出来そうだ。そんな幸福な予感に、目を閉じた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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