「 そういえば、・・・お腹、空いていませんか? 」






自宅を出ようとした私に振り返り、突然、伯言が言い出した。
そういえば、昨日から何も食べていないことに気づき・・・思い出したようにお腹が鳴る。
小さい音だったのに、聞こえたのだろう。彼がぷっと吹き出した( うッ! )


「 貴女は、あの路地の向こうにあった・・・飯店で働いていたとか 」
「 そうだけど・・・どうして、知ってるの? 」
「 迷い込んできた貴女を捕獲した時、どういう経緯で育ってきた方なのか、調査させてもらいました 」


従妹殿が蜀の出身でなければ、困りますので・・・と申し訳なさそうに、肩を竦める。
・・・ああ、そうか。そうでなければ、本当に『 殺されて 』いたんだな・・・って、ちょっとぞっとした。


「 奥の部屋に箪笥がありましたよね・・・古い服など、ありますか?貴女と、出来たら私の分も 」
「 まあ、多分。金目のものしか、盗られていないし。伯言には、お父さんのもので良ければ・・・ 」
「 飯店は、包子と点心が美味しいとか・・・バレなければいいんです、バレなければ、ね 」
「 ・・・・・・、うん!そうだよね!! 」


彼の言わんとすることを察し、私は慌てて奥の部屋へと戻る。
箪笥を覗けば、比較的新しかった服や帯はなかったけれど、それ以外のものは残っていた。
これなら『 今 』のものより、目立つこともないし、ご飯を食べるのには支障はない。


そう・・・飯店に、行くくらいには。


伯言に蒼い袍を渡すと、別室で着替えてきますから・・・と、扉を閉められた。
ここで着替えなさい、という意味なのだろう。私は、自分の袍を広げた。
袖を通すのは、随分久しぶりのような気がする。でも・・・やっぱり、どんな着物より着易い。
帯を締めて部屋を出ると、入り口に伯言が立っていた。
お父さんの袍は、地味だったかなあ・・・顔が華やかな人だから、何だか浮いてるように見える。


「 おや、やっぱりの方が似合いますね 」
「 それは、褒め言葉ってことでいいの? 」
「 勿論。付け足すなら、昨日の衣装も似合っていました。でも、私が差し上げた着物が一番です 」
「 ・・・伯言ってさ、結構自信家だよね 」
「 自信がないと、軍師なんて務まりませんから 」


軽口にぷっと吹き出すと、彼も目を細める。が、私の手にあった羽織を取って、頭からすっぽり被せる。
飯店に行くならバレないように・・・が、条件だったっけ。
被せられた羽織を、自分でも深く被りなおして、自宅を出た。


・・・振り返ることは、しなかった。
今、振り返ってしまったら、陸家に戻れない。愛用していた牀榻に突っ伏して、泣いちゃうだろうから。
じっと立ったまま動かない私の前に、伯言が馬を引いてきた。
そして、羽織の上から頭をそっと撫でると、跨り、私の腕を持ち上げて膝に乗せた。


規則正しい蹄の音を聞きながら・・・心の中で、永遠の別れを、告げた・・・。
















幸い、お昼時からずれた時間だったので、人気は少なかった。
食べ終わって談笑する人や、ゆっくり食べている人もいたけれど、私たちは一番奥の卓へと着席する。
聞きなれた男の声がした。伯言は、適当に注文を済ませると、下がっていく。
・・・女将さんの声も聞こえた。鍋の音も、大量の皿の音も、みんなみんな、懐かしくて。
じわり、と涙が滲んでいたところへ、声を出しちゃいけませんよ、と彼が言う。


「 でも・・・涙を止めることはできないでしょうか。こっそり泣いても、いいですよ 」


少しだけ笑ったはずみで、とうとう涙が零れた。どこに持っていたのか、羽織の隙間から、伯言が 白い手拭を差し出しているのが見えた( 拭きなさい、ということなのだろう・・・ )
遠慮なく受け取って、拭いていると・・・。


「 お待ちどう様!・・・あら、あんた、どうしたんだい?どこか痛むのかい?? 」


料理を持ってきた、女将さんの声がした。
その声に、たまらずボロボロと泣き出した私を庇うように、彼が料理の皿を前に置いた。


「 いえ、あまりに空腹だったもんで・・・美味しい包子を食べれば、涙も止まります 」
「 そうかい、美味しい上に身体も温まる!さ、お食べ! 」


豪快に笑った女将さんに、私は頭だけ下げて、料理を口にした。
・・・懐かしい味。いくら泣いても、もう誤魔化してくれたから、大丈夫だろう。
一口、一口、よくかみ締めて、食べていく私の姿に満足したのか、彼女が安心したように長い息を吐く。


「 美味しいとはいっても、これは『 二番 』だけどね 」
「 ・・・『 二番 』? 」
「 ああ。この店の『 一番 』は、しばらく前に・・・姿を消しちまった女の子の作る包子さ。
  笑顔の可愛い子でねえ・・・しばらく前に、いなくなっちまったんだよ・・・。
  何か悩みでもあったのなら、聞いてやりたかった。それだけが、心残りさ 」


もぐ・・・と、噛んでいたものを飲み込むのが精一杯だった。
が、すぐさま次の包子を口の中に放り込む。リスの頬袋のように、口の中がぱんぱんになるまで 頬張っているのを見て二人が、ぎょっとしているのがわかった。






・・・だって、何か口に入れていないと、喋ってしまいそうだったから。


私が『  』です。心配かけて、ごめんなさい。でも、ここにちゃんと生きてます・・・って・・・。






伯言は、そんな私の様子に気づいたのだろう。けれど、この『 二番 』も充分美味しいですよ、 と女将さんに笑いかければ、彼女も営業用の笑顔にもどって、卓から離れていった。
そして・・・一生懸命だった私の手を、ぎゅ、と握る。


「 もう、大丈夫ですよ。無理しないで、ゆっくり食べましょう 」
「 ・・・・・・・は、く・・・げ・・・・・・ 」
「 ・・・良かったですね。私もいつか、食べてみたくなりました 」






この店の・・・『 一番 』の味を。






伯言は、箸を取る。大皿から包子をひとつ取って、自分の小皿へと移した。
そして口に入れた瞬間に、うん・・・評判どおり、美味しいです、と優しく笑ったから。
私も・・・女将さんの料理を、もう一度、今度はゆっくり、頬張る。


・・・うん、美味しい。涙の味がしても、私にはこれが最高の料理。







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