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 目的の水場は、すぐに見つけられた。
 
 
 ・・・やっぱり、傍にあったんだ。
 泉に寄ると、水筒の栓を引き抜く。中の水を捨て、滾々と沸き出る泉の水に入れ替えた。
 最後に、掌で自分の口にも補充して、来た道を戻ろうと踵を返そうとした時だった。
 
 
 「 ( ・・・・・・あれ? ) 」
 
 
 泉の向こうに見えるあの草木・・・どこかで、見たことがあるような。
 ぐるりと迂回するように淵の反対側まで回り込む。やはり、だ。遠目から見てもわかる、不思議な伸び方を
するこの蔓。鈴なり付いた葉が傷薬になることは、町では常識だった。
 だから、皆よく山や森から苗ごと町に持ち込んで、庭で育てるのだが・・・。
 
 
 「 ( 陸家には植わってなかったと思うな・・・このまま運んじゃダメかな ) 」
 
 
 葉があれば、自分でも傷薬を作ることが出来る。
 大したものではないが・・・もし彼が、戦場に出向く時の資材の一つにでもなれば・・・。
 ひと苗くらいなら、馬上でも抱えていられるだろう。そうと決まれば!と腕まくりをして、
周囲の土を掘って、根を掴む。全体重をかけて、その根を引っ張れば、ぐぐっと土が盛り上がった。
 
 
 「 も、ちょ、っと・・・・・・ぉあああっ!!! 」
 
 
 地面から、身体が離れる。
 根は抜けたが、その反動で自分の身体が後ろにひっくり返ったのだ。
 尻餅をつくだけでは足りず、そのままごろごろと、二転三転、地面を転がった・・・・・・が。
 
 
 
 
 
 
 「 危ないッッ!!! 」
 
 
 
 
 
 
 ズザザザ・・・と砂利を滑る音。止まった反動で、がくん、と首が後ろに傾いた。
 その時、視界に入った背後の崖・・・あと数秒遅ければ、私はこの崖から転落していただろう・・・。
 見れば、茂みの向こうから腕が伸びていて。落ちる寸前だった私の身体を、捕まえていた。
 呆然としたままの私を、そのまま安全な場所に引き上げると。茂みの向こうにいた影が、姿を現す。
 
 
 「 ふう・・・間に合ってよかった 」
 
 
 ・・・伯言かと、思ったのに。
 
 
 長い前髪をかき上げて・・・彼は、ほっとしたように、笑った。
 精悍な顔つきの青年は、想像した人物ではなかった。
 高く結い上げた漆黒の髪が、陽の光を浴びて、艶やかに輝いていた。
 背も驚くほど高いし、伯言なんかよりもずっと逞しい身体つきだった。
 そうまるで、幾つもの戦場を駆け抜けてきた武人のよう、で。
 ありきたりな袍を着ているが、纏う雰囲気が只者ではないことは・・・平民の私でも、わかる。
 
 
 身構えたように、恐る恐る見上げた私の頬を優しく叩いて、大丈夫か?と尋ねる。
 
 
 「 ひょっとして、どこか怪我でもした?立てるか? 」
 「 ・・・あ、いえ、大丈夫です!立てます! 」
 
 
 すく、と立って見せると、彼も頷く。無事でよかった、と頭を軽く撫でられた。
 掌を振って、去ろうとした瞬間・・・慌てて、私は彼の手を捕まえる。
 
 
 「 ・・・・・・え? 」
 「 怪我、してるじゃないですか!ほら、左手・・・私を支えた時、もしかして擦りました!? 」
 「 ああ・・・でも、そんな大したものじゃないから 」
 「 小さな怪我ほど、ちゃんと処置しなきゃ、ですよ。待ってください・・・ 」
 
 
 私は彼をその場に座らせて、自分も座る。左膝に、彼の左手を置いて固定すると、水筒の水をかけた。
 傷口を洗うと、痛みに彼が顔を顰める。砂利をどけると、赤くなった傷口が露になった。
 蔓からもぎ取った葉と、掌の大きさの石をふたつ、残りの水で清めると間に挟んですり潰す。
 今度はそれを傷口に乗せる。そして、自分の着物の袖口を千切り、傷口に巻いた。
 
 
 「 これで、よし!っと・・・締め付けるの、きつくないですか? 」
 「 いや、平気だ・・・しかし、驚いたな 」
 「 何がですか?? 」
 「 陸家の姫君が、薬草の扱いを知っていて、応急処置まで出来るとは 」
 
 
 ・・・ぎく。
 
 
 血の気が引いて、恐る恐る目の前の人を見つめた・・・ど、どうして、そのことを。
 警戒するように、身を引くと、彼はああ・・・と気づいたように笑った。
 
 
 「 そこに、陸将軍の馬がいましたからね。貴女が、陸将軍の従妹だという姫君でしょう? 」
 
 
 改めて、他人に問われるのは、そういえば初めてだった。
 だけど、今の私は『 世間 』ではそういうことになっているのだろう・・・と信じて、頷く。
 
 
 「 峠は思わぬところに崖がある、気をつけてください 」
 「 あの、助けてくださって、本当にありがとうございました 」
 「 私の方こそ・・・膝を濡らしてしまった上に、着物まで裂かせてしまいましたね。
 貴女のこんな姿を見たら、陸将軍に怒られてしまうのでは・・・ 」
 「 このくらい、大したことないです!全然、気になさらないで下さい!
 濡れても歩いていれば乾くし、着物は枝に引っ掛けた、とか何とか言っておけばいいんです!
 むしろ・・・私の不注意で、怪我をさせてしまった方が、申し訳ないです・・・ 」
 
 
 ごめんなさい、と頭を下げる。
 すると・・・どうしたというのだろう・・・。目の前は彼は、急に笑い出す。
 眉間に皺を寄せて、くつくつと笑い出した彼を、驚いていると。
 これは、失礼しました・・・と言いつつも、笑いは収まる気配を見せない。
 
 
 「 誰も見たことのない、陸家の深窓の令嬢だというから、どんな高飛車な娘かと思っていたら。
 こんな素直な方だとは思わなくて・・・尚香さまといい、呉の女性は面白い方が多いのかな 」
 
 
 尚・・・香、さま・・・?
 どこかで聞いたことのある名前・・・と考える前に、彼はじゃあ!と手を振って、今度こそ去っていく。
 引き止める暇もなく、緑深い森の奥へと消えていってしまった・・・。
 
 
 「 ( 結局・・・誰だったんだろう・・・ ) 」
 
 
 優しくて律儀で、常に柔らかい表情浮かべた人だった。
 伯言とは別の意味で・・・女の人に、モテそうな感じ・・・。
 
 
 こんな峠に、私と伯言以外の人がいるとは思わなかったから、ちょっと驚いちゃったけど・・・。
 ・・・って別に、二人っきりだと思ってたってわけじゃないよっ!!
 きゃあわあと悲鳴を上げたい衝動を抑えて、苗を抱え、もう一度泉の水を補給する。
 
 
 
 
 ・・・どこからか、伯言が私を呼ぶ声がした。
 
 
 
 
 「 ・・・!?どこですかー!? 」
 「 はーい!ここよ、伯言 」
 
 
 
 
 水筒を小脇に抱えて、私は走り出す。心配そうに周囲を見回す伯言が、茂みの向こうに見えた。
 今度こそ・・・その茂みの向こうは、安全。だって、彼がいるもの。
 がさがさ、という音に彼が反応して・・・伯言は、満面の笑みを見せた。
 彼の胸に飛び込んだ私は、この一時の逢瀬をすぐに忘れるけれど・・・後に、思い出すこととなる。
 
 
 
 
 
 
 自分の『 一生 』を変えることになる・・・未来の夫との、出逢いを。
 
 
 
 
 
 
 
 
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