一度、屋敷に戻り水浴びを済ませてから、登城する。
・・・さすがに、旅支度のままで殿の御前に上がることは失礼だろう。
身支度を整えて、城に入るや否や、早速同僚である2人に出逢った。
久々に見る懐かしい顔ぶれに、自分の頬も緩んだ。駆け寄ると、がははと大きく笑って再会を喜ぶ。
「 よおッ、やっと帰ったかあッ!! 」
「 張飛殿、関羽殿も・・・お久しぶりでございます 」
「 兄者も、随分と首を長くしてお待ちだったぞ。早く顔を見せて差し上げてくれ 」
ああ、と頷いて、廊下を駆けていく。
許された者だけが入れる、王の私室に並んだ庭園。白い小石の道が、赤い絨毯のように伸びていた。
その奥にある、小さな東屋に・・・見慣れた人影を見つける。
向こうもすぐに気づいたのだろう。声を上げて、小柄な彼女が東屋から飛び出してきた。
その場に拱手し、膝を突く。
「 趙子龍、ただ今戻りましてございます 」
「 おお、よく戻った!待っていたぞ、趙雲!! 」
「 殿の言うとおりよ、本当に首を長ーくして待っていたのよ!ねえ、孔明 」
「 まあ、尚香さまほどではないですけどね・・・お帰りなさい、趙雲殿 」
「 は、 」
隣に立った尚香さまが、私の腕を取り、早く早く!と東屋の中へと誘導する。
空いていた席に座らせて、すぐに茶を淹れてくれた。そして、とりあえず飲むように勧められ、
では遠慮なく・・・と口に含む。ほのかに、花の香りがした。
「 ご馳走様です。美味しゅうございました、尚香さま 」
「 どういたしまして、えへへ・・・さ、次は趙雲の番よ 」
「 え・・・と、いいますと? 」
「 お・土・産・話、に決まってるじゃない!ねえねえ、呉はどうだった?どんな様子だったの!? 」
「 尚香・・・そんなに詰め寄っては、話すものも話せないぞ・・・ 」
溜め息混じりに殿が言えば、孔明殿がくつくつと後ろで苦笑している。
ちぇ、と子供のように口を尖らせて、尚香さまが殿の隣に座る。
・・・例え相手が誰であろうと・・・『 女性 』に迫られるのには、どうも慣れない・・・。
それをお二人は知っているから、まあまあと宥めてくださるのだが。
明らかにほっとしていたのだろう。尚香さまの目が、また厳しくなる。
それを誤魔化すように、こほ・・・と喉を慣らして、口を開いた。
「 呉は、変わらず町に活気もあり、平和でございました。戦の気配も特に見当たりません。
恐らく、北の魏とも相変わらずの膠着状態かと・・・ 」
こくん、と殿が頷く。孔明殿も微笑を絶やさず、扇を仰いでいる。
が、またもやそれで、それで!?と尚香さまが、身を乗り出す。私は意を決したように、報告する。
「 ・・・噂の、陸家の姫君にお逢いしてまいりました 」
「 ウソ!?え、まさか忍び込んだワケ!? 」
「 はあ・・・まあ、乗り込んでこっそり窓からでも拝見しようかと思ったのですが。
どうやら、姫様自ら外に脱走しようとしていたらしいところに、鉢合わせまして・・・ 」
「 何それ!?どういうことなの、趙雲ったら! 」
「 こらこら、落ち着きなさい!尚香! 」
ますます興奮した状態で、収拾のつかなくなっている彼女を、殿が止める。
さわ・・・と扇の風が、頬に当たった。
「 脱走、ですか・・・では、やはり・・・ 」
「 恐らく、丞相殿の思惑通り・・・陸将軍の、本当の血筋ではないかもしれません 」
尚香さまと同じように、蜀との絆を強める為に・・・呉から『 花嫁 』が送られてくる。
もう半年以上前になるが、蜀の間者として送っていた者が、呉の国内で殺害された。
その者は、蜀の間者でもあったが・・・実は、魏の内偵も勤めていたことがあとで判明した。
蜀としては、内通者を始末してくれて助かった部分もあるが、一応、国としての面子もある。
そこで・・・呉が用意したのは、名門陸家からの、第二の『 花嫁 』だった。
『 だが、陸家にそんな年頃の娘がいたという記録はありません・・・何か、匂いますね 』
そう零した軍師殿の言葉に従い・・・自ら、見に行ったのだ。
陸家から来る『 花嫁 』は、正妻のいない趙将軍へ。これは呉からの提案だった。
正妻のいない私ならば寵愛され、それが、蜀への足枷になるはず、と・・・。
呉は、そう考えているのだろうか。だとしたら・・・何と、安易な。
・・・確かに、自分には身内はいない。他の将軍勢よりも身軽だったし、そろそろ正妻を貰わねば
ならない年齢にはなっていた。いくら独りが良くても・・・子孫を残すことも、是また武将としての義務。
ただ、理由が理由なだけに嫌なら断れるだろうと思って、軽い気持ちで見に行ったのだ。
今は戦も少ない。本人が納得するなら、と周囲も快く送り出してくれた。
「 ( まさか・・・夜の塀で、出くわすことになるとは思わなかったけれど ) 」
彼女に出逢ったのは、2回。
裸足で庭を駆けずり回っていたあの夜と、森に遠乗りに出かけた日。
( まさか、陸将軍と刃を交えることになるとは思わなかったが・・・ )
どちらの彼女も・・・陸家が『 深窓の令嬢 』として、こっそり育てていたとは思えない。
ただの、普通の少女。確かに教養はしっかりしていそうだったが、それ以外は、全く以って『 普通 』。
そこが・・・自分には、非常に興味深かった。
『 このくらい、大したことないです! 』
元気よく立ち上がって、にこっと笑って見せた白い歯も。申し訳なさそうに、頭を下げる仕草も。
手際良く治療してくれた姿も、自分の中では好印象だった。きちんと礼を言えて、謝ることが出来る。
どんなに教養があっても、人間としての基本が出来ない令嬢は、多いから。
形だけでも、夫婦になるのだ。恋心はなくとも、最低限の条件は満たす人であって欲しかった。
うん・・・彼女なら。彼女となら、上手くやっていけそうな気がする・・・。
星空の下で、あの日見た、彼女の飾り気のない素直な笑顔を思い出して。
蜀へと通じる道を、馬で駆けながら・・・私は、そんな最終結論に達したのだ。
「 ・・・殿 」
「 何だ、趙雲 」
「 この話・・・どうぞお引き受け下さいますよう、お願い申し上げます 」
そう頭を下げると、尚香さまの悲鳴じみた歓声と、孔明殿の僅かに驚いたような声が聞こえた。
殿がふむ・・・と呟いてから、相解った、と返事を賜り、更に深く平伏する。
まだ、彼女を『 好き 』になるかどうかなんて、解らない。
足枷になるかは、実際彼女に接してみないと。もちろん、その逆だって在り得るのだから。
それでも、あの素朴な笑顔の裏に、何かが隠されているだなんて、思わないけれど・・・。
ただ・・・みすみす呉の罠にかかって、殿に迷惑をかけることだけは御免だ。
「 ( お手並み拝見、といこうか・・・『 花嫁 』殿 ) 」
道中の間に消えたはずの・・・優しく手当てされた左手の傷を、思い出した。
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