音も無く開いた視界には、天井が映る。
見慣れたものではなかったので、ぼんやりと胸の奥に違和感が発生する。
が、似たような色使いだったので、そう心は乱れなかった。部屋の窓枠は、全く同じだったし。
・・・柔らかい陽射し。ああ、今日はお天気がいいみたい。そう思うと、自然と心が弾んだ。
侍女たちの声はしないから、珍しく早起きできたのだろうか( 寝坊すると、起こしに来てくれるのだ )
ならば今のうちに身体を起こしておかないと、とするが・・・動かない。
思い通りにならないのを不思議に感じていると、初めて、声が降って来た。


「 おはようございます、 」
「 ・・・・・・伯言 」


どうして寝間に、なんて質問は、あっという間に打ち消された。
彼の顔を見て・・・私は、全てを思い出したから・・・( そうか、此処は伯言の私室だ )
身体を襲った熱も、打ち込まれようとした楔も、理性も意識も残らないくらいの、快感を、そして。










『 愛しています・・・愛しています、 』










狂おしいまで向けられた・・・彼の、愛も。


翳った瞳に気づいて、私を胸に抱いていた伯言はふ、と弱々しく笑う。
その目の下にある隈を見て、思わず声をかけた。


「 ねえ、もしかして・・・寝てないの? 」
「 ・・・大丈夫です。仕事に追われて寝ないなんてことは、しょっちゅうですから 」
「 そういうことじゃないでしょ、どうして・・・ 」
「 貴女を・・・この腕に抱くことなんて、もう一生無いのかと思うと・・・寝るのが、勿体無くて。
  の寝顔を見ている間、この夜が明けなければ良いと、何度願ったことでしょう・・・ 」
「 ・・・伯言・・・ 」


彼の手が伸びて、私の髪を撫でる。
身体の気だるい私には、その感触がたまらなく心地良くて、瞳を瞑った。


・・・そういえば、昨夜は私が撫でてあげたんだっけ。
小さい頃からそうだった。両親に頭を撫でてもらえると、すごく嬉しかった。
受け入れてもらえたようで・・・貴女はココに居てもいいんだよって、言われているようで。
だから、伯言にも同じように撫でたのだ。伯言を、受け止めたくて・・・彼の激情も、想いも。


そしてようやく、わかったんだ。
どうして、今まで伯言が気になっていたのか。彼の傍に居ると、嬉しくなるのか。
同時に・・・想えば想うほど、涙が出るくらいまで胸が焦がれるのか・・・。






「 ( ・・・これが、恋 ) 」






愛してる、と言われて初めて気づいた。彼の気持ちに応えたいと願う自分の、内なる声に。
けれど・・・どんな媚薬を飲んだとしても消せなかった『 理性 』が、全てに勝った。
伝えたかった『 好き 』の言葉を涙に変えて。
媚薬を要れずとも、熱に、自分の想いに飲み込まれてしまった伯言を何とか止めることができた。


・・・媚薬を飲んだのは、若干自棄になった部分もあった。
自分の『 信念 』を貫くためなら、人道的なことすら忘れてしまうのか。
伯言のこと・・・信じていたのに。本気で私、『 友達 』だって思ってたのに。
裏切られたのならいっそ抱かれて、すべてを忘れてしまいたかった・・・。
薄情な伯言なんて、見ていたくない。だから、気が済むのなら抱けば良い、と媚薬を手にした。
私の心はこんな無理矢理な情事なんかに負けはしないのだと、彼にわからせたかったんだと思う。


それが・・・本当に、的確な判断だったのか。
あの瞬間は葛藤したけれど、今は正しかったんだって思える。


「 ( 私が蜀に嫁ぐことは、ひいては伯言のためになること ) 」


蜀への花嫁になることで、伯言が孫権さまから、周囲の官吏からの信用を得る。
国を思う彼が行う政治、それはきっと両親と過ごしたこの呉のためになること。
改めて考えれば、それが自分自身にとってどれほど重要なことなのか、十分わかるんだもの。


媚薬を飲まなければ、想いを告げれば。もしかしたら、伯言は私を役目から解いてくれたかもしれない。
だけど『 私も好き 』と告げたところで、得することなど・・・ひとつもないのだ。
作戦失敗の代償を背負うことも、家柄も後ろ盾も無い私と恋に落ちることも。あのお優しい練師さまだって 望まないはず。だって私は、蜀への花嫁になるために陸家にいるのだ。
伯言の愛に応えてはいけない。私も伯言を愛してはいけないのだ( 言わなくて、本当に良かった )
それが、たとえ・・・心が、引き裂かれるような痛みに捕われても。


あの、人殺しの現場を見た夜・・・彼以外の誰かに見られていたら、私は殺されていただろう。
蜀への花嫁候補を探していた、伯言以外なら。伯言と出逢ったから、命があるのだ。








だからこの命は・・・愛する人のために、伯言のために使いたい。








「  」


黙ったまま撫でられていた私を、伯言が優しく見つめていた。
そこには、昨夜の『 熱 』など欠片も無い・・・だけど、いつもより情愛を含んだ瞳。
どこか寂しそうで、見ている私の方が泣きたくなる。


「 私は・・・昨夜のことを、謝りませんよ。貴女を抱こうとしたことも、愛を告げたことも・・・ 」
「 うん・・・それでいいよ、伯言 」
「 ・・・これから登城しようと思っています。朝議は終わってしまいましたが、執務はありますので 」


こく、と頷いたのを見届けて、伯言にぎゅうっと抱きすくめられた。
裸体の肌に、互いの熱が伝わる。伯言の熱を受けて、私の肌もざわめく。
羞恥の欠片もなかった。今だけは自分の気持ちに素直になって、少しでも彼を感じたかったから。
背中にそっと腕を回して、服を着ていた時はわからない、筋肉の付いた身体を抱き締め返した。
・・・と、ぽつりと彼が呟く。泣いているのかと錯覚するほど、小刻みに震える彼の胸の中で。
彼の、確かな命の鼓動に、耳を澄ませた。




「 ( どうか・・・どうか、私の存在が、伯言のこれからの幸せに繋がりますように ) 」




・・・だって私は、伯言の幸せを一番に願ってるもの。




なごり惜しそうに、一度力を込める。
そして腕が解かれ、伯言は身体を起こした。私も起きようとすると、そっと止める手があった。
今日は一日身体を休めていなさい、辛いでしょうから・・・と背中越しに告げる。
床に落ちていた衣を拾い、静かに身に着けた。きゅ、と帯を締めて、振り返らずに伯言は言った。


「 孫権さまに、の意向をお伝えします・・・いいですね 」


それは、最終確認だった。
私は、一呼吸置いて・・・力強く、頷く。


「 よろしく、お願い申し上げます 」
「 ・・・わかりました。貴女の意志の強さには、私も・・・脱帽しました 」


さすがです、と呟いて。扉が閉まった後にも、彼の残した寂しさが、部屋に残っていた。
横たえていた身体をごろりと反転させて、陽射しの入る窓辺を見つめた。


・・・窓枠が同じなのは当然だ。だってここは、伯言の・・・陸家の中だもの。
ああやって差し込む陽だまりの中で、練師さまを交えて、美味しいお菓子を食べて、笑って。
いつの間にか伯言も輪の中に入ってきて、くだらないことで2人でじゃれているのを、練師さまが 遠くから微笑ましそうに見ていて・・・。
どんなに疲れて、遅い時間に帰ってきても、伯言は笑みを絶やさなかった。
夜着を上手にかけられるようになれば、必ず褒めてくれた。それが、嬉しかった。
は良い奥さんになりますね、とどこか寂しそうに呟いて。誤魔化すように頭を撫でてくれたっけ。
( どうしてそんな顔をするのか・・・あの時、私は聞けなかったけれど )


伯言は、私を大切にしてくれた。その優しさは呉のためだと思ってた、でもそうじゃなかった・・・。






いつの間にか、涙が伝っていた。


私は・・・幸せだったのだ。絶望だと思っていたこの屋敷でも、彼の愛に包まれて。








もう二度と・・・そんな穏やかな時間が、訪れることがなかったとしても・・・。








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