半日も泣き続ければ、さすがに涙も枯れてきた。


輿に揺られて、泣き過ぎで麻痺した脳では何も考えることが出来ず、ただ呆けていた。
珠簾から零れる橙色の光の中で、静かに丸まっていた。
考えられるとしたら・・・別れた、彼の、ことだけ。


「 ( ・・・・・・伯言 ) 」


名前を思い出すだけで、じわりと涙が浮かぶ。
そして・・・もう何度目になるかわからない、小さな嗚咽を繰り返す。
とうに袖は冷たくなっていたが、それでも拭っている、と・・・。
ちょっと無粋でしょうが!ええい、離せ!!まあ、何て口の利き方するの!!・・・と 大きな声がして、慌しい足音が、どんどん近づいてくる。 只ならぬ気配に身体を竦ませて、輿の隅の方に寄った。


「 失礼するぞ!呉の花嫁殿よ! 」


大きな声がして、珠簾が勢い良く上がる。
目を見張るような、輝かしく立派な鎧。人目で、蜀の武将だとわかるその男は、動きを 止めた輿の中へと入ってきた。そして、小さくなっている私へと手を伸ばして、 腕を引き寄せた。


「 きゃああッ!? 」
「 馬超、乱暴よ!怖がってるじゃないの!! 」
「 はあ、あのなあ・・・ま、とりあえず、ちょっとこっちへ来い。
  いつまでも輿に乗って泣いていると、聞いている俺もジメジメして敵わん 」


涙に震える私の身体を持ち上げると、輿から降ろした。
そのまま・・・多分、自分の馬なのだろう・・・大きな馬の背に放り投げて、自分も素早く跨る。


「 隊列は、ゆっくりで構わない。次の宿で落ち合おうぞ 」


はッ!と掛け声がして、馬が走り出す。その怖さは知っているから、私は思わずしがみついた。
彼は少し笑って、そんな私の肩を抱き、身体を安定させてくれる。
しばらくすると、単騎だった足音に、もうひとつ蹄の音が重なった。
( 後ろから・・・誰かが、追って来ている・・・? )
動くのは怖かったけれど、僅かに身体を傾けると、彼の肩越しに蹄の主を見つけた。
簡素だが、これまた美しい彫り物の入った銀の胸当て。この人も、蜀の武将・・・なのだろうか。
そのまま顔を上げると、ふと目があった。並んだその人が女性だと知って、驚く。
口を開けたままの私に、彼女はにっこり微笑んだ。が、途端に私の肩を抱いた彼に噛み付いた。


「 馬超!あんたって男は・・・! 」
「 そろそろ誰もが耐えられないと思ったから、俺は行動に移したまでです・・・あんたの泣声にな 」 「 ・・・私? 」


馬超、と呼ばれた彼は、馬の速度を緩める。
同時に、後ろから追ってきていた馬も速度を抑えて、私たちの乗る馬の隣に並んだ。


「 ・・・見てみろよ 」


促された視線の先には、広大な山々が広がっていた。山の間に堕ちて行こうとしている、真っ赤な夕陽。 雲ひとつない空には、少しずつ夜の帳が降りてきている。近からず、遠からずの距離に廬があった。 今夜はあそこに逗留するのだろうか。到着する頃には、松明に火が灯り出すのだろう。
蜀と呉は、国こそ違えど言葉も生活様式も一緒。だから、動揺する必要はないのだけれど・・・。


でも、此処には、呉の風は吹かない。あの日・・・伯言と、峠で感じたような、風は・・・。


彼が蜀の方角を、寂しそうな瞳で見ていたのを思い出して・・・胸の中が、焦がれるように熱くなる。


「 ここは蜀だ。お前は、呉から嫁ぎに来たのだろう?ならば、この国に慣れてもらうしかないのだ。
  泣きたい気持ちはわかる。そりゃあ、故郷を離れれば誰でも寂しい。
  だが、泣いてばかりいては目玉が溶けてしまうぞ・・・こんなに大きく、愛らしい瞳なのに 」
「 ・・・・・・・・・へ? 」
「 あのねえ・・・彼女は、趙雲の奥さんになる人なのよ、口説いてどうするの 」
「 このくらいは、俺にとっては挨拶代わりです 」


はあ・・・とわざとらしく溜め息を吐いて、彼女が馬を寄せてきた。
そして、泣き腫らした私の顔を見つめて、優しく微笑む。


「 貴女の泣き声にね、輿を担ぐ者が動揺してしまうの。まるで攫って来ちゃったみたいだって 」
「 ・・・いえ、そんなつもりは・・・ 」
「 蜀は貴女を悪いようにはしないわ。私も嫁いだ時は、知らない人ばかりで不安だった。
  でも、殿やみんなに出逢えて、今は本当に良かったと思うのよ。
  呉から来てくれた貴女にも、ここを好きになってもらいたいわ 」
「 ・・・・・・はい 」
「 お名前は? 」
「 、です 」
「 私は尚香、こちらは馬超。蜀の劉備さまより、丁重にお迎えするようにと仰せつかりました 」
「 ・・・ありがとう、ございます 」
「 元気を出して、ね。成都に着いたら、式典やらで忙しくなるもの! 」


尚香、というその名に何かひっかかったが、濁った頭の中で、閃くものはなかった。
それよりも、式典、という言葉のほうが残った。
そうだ・・・早速、蜀の首都である成都につけば、趙雲さまとの婚儀が待っているのだ。
途端に、ぶわりと浮かんだ涙に、私を膝に乗せていた馬超さまが身体を固まらせたのが解った。


「 今日くらいは、泣いても仕方ないわよ。・・・さ、今夜の宿へと、向かいましょうか 」


尚香さまが諭すように言い、馬の脚を進めた。
溜め息を吐き、馬超さまが軽く私を引き寄せる。胸に抱き入れて、子供をあやすように背中を叩いた。 何気ない・・・その接し方が、とても優しくて。
しがみついて泣き出した私をしっかり抱えたまま、彼も馬の腹を蹴った。


「 ば、ちょう、さま・・・すみません・・・ 」
「 なあに、気にするな。俺も故郷を離れて、蜀に来ている。お前の気持ちは、わかっているつもりだ 」
「 ・・・そう、なのですか? 」
「 ああ。ただ違うのは、俺は従兄弟と来ているから、一人ではない。
  お前も、趙雲が気に入れば、故郷のことは今ほど気にならなくなるだろう 」
「 だと・・・いいんですけれど・・・ 」


ふ、と視線を遠くへやると、いきなり顎を掴まれた。
驚いた瞳で馬超さまを見つめれば、彼はにやっと唇の端を持ち上げる。


「 ま、趙雲が気に入らなければ、俺がもらってやる!安心して、蜀へ来い!! 」


会話を聞いていた尚香さまが、何度も言うけど趙雲の花嫁さんなんだからね!と後ろを振り返って 声を上げた。だけど、その顔は笑っていた。私も、2人の表情に釣られて、ようやく警戒を解いた。 笑顔になった私を見て、2人は顔を見合わせて、嬉しそうに微笑んでいた。






それから、幾度と昼と夜を繰り返し・・・とうとう、蜀の首都・成都へと到着したのである。






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