成都に着き、しばらくすると乗っていた輿の揺れが止まった。
首を傾げたところで、尚香さまの声がし、珠簾が上がる。


「 尚香さま・・・? 」
「 、着いたわ。ここが、趙雲の屋敷よ 」


差し伸べられた馬超さまの手に掴まって、輿を降りる。
珠簾の向こうに広がった青い空との境に、色味を押さえた大きな屋根が見える。
中心街より、少し道を外れた場所なのだろう。静かで、ひっそりとしていた。
周囲の景色を観ながら外に出ると、一斉にひれ伏した者たち。その数は、陸家にいた者の数と同じくらいかもしれない。 頭の下げられるのに慣れていない私はぎょっとしていると・・・中心にいた女性が、そっと立ち上がって、 改めて拱手する。


「 遠路遥々、ようこそお越しくださいました。私は、玉葉と申します。
  趙将軍の屋敷を取り仕切り、今後は貴女様のお世話をさせていただくことになりました 」


にこり、と微笑を浮かべた彼女は、私よりも随分年上の女性だった。
お母さん・・・まではいかないけれど、でもそれに近いくらいの年齢。
ふっくらとした輪郭で物腰柔らかそうだが、知性の漂う佇まい・・・。
私は、練師さまに教わった礼儀作法を思い出し、慌ててお辞儀する。


「 ・・・と、申します。どうぞよろしくお願い致します 」
「 さま、お疲れでしょう。まずは、旅の疲れを癒してくださいませ 」


ぱん、とひとつ手を打つ。
すると後ろに控えていた数人の侍女が、頭を低くしたまま、私の両手を取り、屋敷の中へと促された。


「 え・・・・・・あ、あの!!尚香さま、馬超さま!? 」
「 俺たちは此処までだ。近いうちに、趙雲と共に登城した時にでも逢おうぜ! 」
「 またねぇ!! 」


ぶんぶんと両手を振った尚香さま。隣の馬超さまも、片手を上げて別れを告げていた。
数日の間とはいえ・・・彼らは、呉を出てからずっと傍に居てくれた人たちだから、離れるのは正直 寂しいけれど・・・。と、後ろについていた玉葉さんが、大丈夫ですよ、と声をかけてくれた。


「 お二人が仰っていたように、きっとまたすぐにお逢いできますよ 」
「 玉葉さん・・・そ、そうでしょうか 」
「 ええ。それから、どうぞ私のことは『 玉葉 』と。さまは、この屋敷の主も同然なのですから 」
「 ・・・主・・・ 」


呟いてみるが、全然実感が沸かない・・・。
誰かの元に嫁ぐということは、そのお家を支える一本の柱になるということは、理解できるけど。


「 ( 正直・・・これから、誰かの花嫁になることだって、信じられないというのに ) 」


口を噤んだ私を、玉葉が心配そうに覗き込んだのがわかった。
侍女たちの導きで、私は湯殿へと連れて来られた。 玉葉が人を下げ、今まで着ていた物を脱いだ私を湯につける。昔は・・・こうして、誰かも一緒に湯殿に いる、というのが気恥ずかしかったけど、陸家での生活のお陰で、ようやく慣れてきた。


「 ( これからも、こんな生活が続いていくのかなあ・・・ ) 」


私は・・・夫となる人に、色んなものを『 隠して 』生活していかなくてはならないんだ。
本当は、陸家の姫ではないこと。長たる陸伯言を愛したまま、此処に来ていること。






趙雲さまを愛せなかったら・・・私は、ずっと伯言への想いを抱えて、生きていくのだろうか・・・。






「 さまは、趙雲さまにお逢いするのは初めていらっしゃいますか? 」


ふー・・・と長い溜め息が聞こえたのだろう。玉葉の声がした。
慌てて口元を押さえると、どうぞ、私にはご遠慮なさらずに・・・と苦笑する。


「 それは、ご不安でしたね。国を越えて知らない方に嫁ぐのは、勇気の要ることでしょう。
  故郷の為とはいえ・・・よく、ご決断されましたね。さまは、ご立派ですわ 」
「 あの・・・どんな方、なのですか?私、恥ずかしいけれど、全然存じ上げなくて・・・ 」
「 月並みな言い方で恐縮ですがとても良い方ですよ、私たち屋敷の者も大切にしてもらっております。
  劉備さまの信用も厚く、蜀にとってはなくてはならないお方。
  ・・・さまのことは、ご本人たっての希望で、今回の婚儀が成り立ったとか・・・ 」




・・・・・・え・・・・・・?




ぱしゃん、と湯が跳ねた。身を乗り出して、湯殿の淵にいた玉葉に尋ねようとした時、扉が開いた。
拱手した侍女が、素早く玉葉に駆け寄り、耳打ちする。彼女は頷いて、侍女の出て行く姿を見送った。


「 ・・・玉葉・・・? 」
「 さま、噂の趙雲さまが、屋敷にお戻りになられたようですわ 」
「 ・・・・・・!! 」


驚いて、湯の中に鼻先まで浸かった私の様子を見て、彼女はくすくすと笑う。
こっ、この後、趙雲さまに・・・とうとう、お逢いする、のだ・・・!
もう落ち着いていられない。見兼ねた玉葉が、逆上せる前に上がりましょうか、と言ってくれた。
よく洗い干された柔らかい布で、濡れた身体を拭き、香を焚かれた青緑色の絹を纏う。
湯上りだということもあって、化粧は最低限に留めてもらい、簪も少なくしてもらった。
不安げな表情は変わらないまま、支度の整った私を見て、玉葉は相好を崩す。


「 お綺麗ですわ、さま・・・大丈夫です、自信を持ってください 」


ありがとう、と少しだけ笑顔を向けると、彼女は私を案内するように一歩前を歩いていく。
長い裾を引きずって歩くが、廊下には塵ひとつ落ちていない。
廊下から見える庭園には、季節の花が咲いていた。観賞用の、大輪の花こそないが、 よく手入れされているのがわかる。屋敷の中は、柔らかい風の通った静穏な空気に満ちていた。
陸家の屋敷でもそうだったけれど、主人がしっかりした人なのかどうかは、 屋敷の中の雰囲気を見ればわかる。こういうことがわかるようになったのも、 練師さまの『 教育 』の賜物なんだろうなあ・・・。


「 ( どんなに趙雲さまに嫌われたって・・・もう、呉に帰れないんだもの ) 」


尚香さまと馬超さまだって、蜀に慣れるしかないのだと言っていた。
趙雲さまがどんな方かは、わからないけれど・・・好かれる努力はしなきゃ、と思うの。
それが、此処に・・・『 蜀 』にまで嫁いだ、私の『 役目 』だから。


「 ( 伯言・・・私、貴方の役に立つように、頑張るからね ) 」


・・・私たち、愛情で結ばれることはなくても、きっと別のところで繋がっていると信じていいよね?


先に室に入った玉葉が、さまをお連れしました、と伝える。
ああ、と返事をする・・・低い、声( これがきっと、趙雲、さま・・・ )
伯言が握ってくれた、片手をぎゅっと握り締める。怖くない・・・きっと、伯言は傍にいる、から。
廊下で身体を固まらせて待っていた私に、玉葉が扉を開いて入室を促した。


「 失礼致します 」


室に入るなり、拱手した私に近づく足音・・・。下げた視界に、彼の靴のつま先が見えた。


「 よくいらっしゃいました。さ、顔を上げてください・・・殿 」
「 ・・・はい・・・・・・・・・あ、っ 」






陽の光を浴びて、漆黒に光る長い髪。
彼の姿を見た瞬間・・・伯言と行った、あの峠の森に・・・舞い戻ったような感覚に襲われた。






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