普通なら、婚約発表をして婚礼の準備期間の後に結婚するが、事情が事情なだけに
今回は特別だ。
式典自体は、私が蜀に入って、数日後すぐに執り行われることになった。
呉からの花嫁は、政略のために遣わされた友好の証。
それは、お互いの国が暗黙の了解で交わした約束のはずだった。
国境を越えてしまえば低遇されても仕方ないと思っていたのに・・・蜀は、破格の待遇で待っていた。
そんな私が、趙雲さまのお屋敷に慣れるまで、そう時間はかからなかった・・・。
蜀の国主である劉備さまが自ら用意してくれたという花嫁衣裳に身を包む。
着付けを手伝っていた玉葉が染まった頬に手を置いて、ほう・・・と溜め息を吐いた。
「 趙雲さまの元に勤めて、随分と経ちましたけれど・・・今までで一番感動しておりますわ。
こんな素敵な花嫁さまを迎えて、立派なお式を挙げて下さるなんて・・・ 」
感極まったように涙ぐむ玉葉を宥めていると、失礼、と扉の向こうから声がした。
投げかけられた視線にこく、と頷いて見せると、侍女が扉へと駆け寄る。入ってくる沓の音がした。
衝立から、そっと覗いた長い影がにこりと微笑む。
「 お迎えにあがりました、殿 」
いつもは下ろしている長い黒髪を高い位置でまとめ、やはり婚礼用の衣装に身を包んだ趙雲さまは、
平時より美しさが増していた。武人の持つ、独特の無骨さを全く感じさせない。逆に、艶やかだ。
どこぞの王侯貴族ではないかと思わせるくらい堂々とした態度が、また魅力的で・・・。
今まで数度彼と顔をあわせているはずの私も・・・思わず、言葉が出ないほど見惚れてしまっていた。
そんな趙雲さまが、部屋の奥にいた私と玉葉の様子に苦笑する。
慌てて拱手しようとした私を制して、玉葉の肩を慰めるようにぽんぽんと叩いた。
「 玉葉は少し涙脆いところがあるからな。貴女にも、苦労かけるかもしれませんが・・・ 」
「 いいえ、そんなことありません。とってもよくして下さいます 」
「 そう言ってもらえると、私も嬉しい。そうだ、殿・・・いや、 」
敬称が外れるのは当たり前のことなのに、心臓が跳ねる。
緊張しないで、というように、彼は少し首を振った。
「 拱手は、必要ない。むしろ、もっと毅然としていて構わないのだよ 」
「 趙雲さま・・・いえ、でもそれは・・・ 」
「 ・・・子龍、と 」
「 ・・・え、 」
「 今後は、字で呼んでくれ。貴女は私の妻なのだから 」
照れたように笑ったけれど・・・私は、笑い返すことが出来なかった。
・・・やりとりが全く同じ、で。
胸にささった、思い出の『 欠片 』が棘となって・・・疼く。
咄嗟に俯くと、簪が音を立てて、曇った顔を上手に隠してくれた。
口を噤んでしまった私を心配してか、掌に重なる子龍さまの温かい手。はっと顔を上げた。
「 行こうか。皆、に逢えるのを楽しみにしていたみたいだから 」
はい、と答えた私は、ようやく笑えたと思う。ほっとしたような子龍さまの面持ちを見て、確信する。
彼の大きな手のひらに引かれて、蜀の人々が待つ会場への扉をくぐる。
自然と、反対の手のひらの拳に力が入った。震えるつま先を一歩、また一歩と進ませる。
この扉をくぐって・・・その先に待つのは、どんな未来なのだろうか。
けれど・・・自信を、持たなきゃ。
私の『 選択 』は、間違っていない。決して・・・間違ってなど、いないのだから。
「 そなたが陸家の殿か。蜀へ、よくぞ嫁いでこられた 」
面を上げることを許され、礼を解いた私に近づく大きな人影があった。
豪華絢爛、ではないが、質の良い衣に身を包んだこの人が・・・。
「 勿体無いお言葉でございます、劉備さま 」
蜀の国主・劉備玄徳・・・その人だった。彼は目元を細めて、繁々と私を眺めているようだった。
驚いたような顔をしていると、殿ったら!と元気な女性の声がどこからか聞こえた。
と、突然背中から抱き締めるような衝撃があって、簪についていた玉飾りが大きく揺れる。
びっくりして声も上げられずにいると、耳飾りの揺れる音に混じる、聞き覚えのある声。
「 殿ったら、失礼でしょう?そんなに女性を、まじまじと見つめるだなんて! 」
「 ああ、そうだな。いや、あの堅物の趙雲自ら望んだ女性だというので、思わず見惚れてしまったよ。
なるほど、凛としていて美しい。だが、尚香の言うとおりだな・・・非礼をお詫びする、殿 」
「 いいえ・・・尚香、さま? 」
「 そうよ、!久しぶりね、逢いたかったわ 」
背後から抱き締めていた腕を解いて、正装した尚香さまがうふふ、と嬉しそうに微笑んだ。
華に似せた、美しい髪飾りを乗せて、着物の裾を翻す。そして、ちょこんと劉備さまの横に座った。
談笑しながら、彼女は劉備さまの杯に酒を注ぐ。そんな彼女に礼を言って、二人は微笑みあう。
年齢は離れていても、仲睦まじい2人の姿に・・・ふと、思い出す。
尚香さまは、劉備さまの奥方様なのだろうか。だとしたら・・・。
「 ( ・・・・・・『 尚香 』さま、って・・・もしかして ) 」
私はそこで、ようやく気がついたのだ。何度か耳にしていたその名前。
彼女の『 名前 』を初めて聞いたのは・・・あの方の口からだったことを。
「 孫権さまの、妹君の・・・ 」
蜀へと嫁いだ・・・最初の、花嫁。
呆けた私を見て、あら、と尚香さまは口元に手を当てる。そして瞳を細めて優しく尋ねた。
「 練師は、元気?権兄様とは、相変わらず仲が良いのかしら 」
「 はい・・・礼儀作法を教えていただきました 」
「 ・・・そう。私も、練師が側近で居てくれて、本当によかったって思ってるわ 」
華がほころぶように。ふわりと笑った顔は、どこか呉を懐かしんでいるように見えて、胸が痛んだ。
そんな彼女の肩に優しく置かれた手は、劉備さまのものだった。
彼を見上げて微笑んだ彼女は・・・とても、幸せそうだった。愛し、寄り添う夫婦の姿。
・・・尚香さまは、劉備さまの元に嫁いで、心底幸せなのだ。それが、政略結婚の末だったとしても。
ふっと心の中に、何か穴が開いたような・・・どこか、虚ろな空気が自分を覆うのが解った。
「 」
ふと子龍さまに声をかけられ振り向けば、離れた場所に座っていた彼の周囲に人が集まっている。
近づこうとするものの、彼を囲む人のあまりの数の多さに
怖気づいて躊躇っていると、彼は苦笑する。
大丈夫、取って喰われやしないから・・・と、固まった私を手招きした。
その中に、見知った顔を見つけて、私はその人の名を呼んだ。
「 馬超さま! 」
「 よう、!花嫁姿のお前は、格段に美しいな・・・なあ趙雲、やっぱり俺に譲ってくれないか 」
「 おめぇってヤツはよォ・・・どうしてそう、節操がないんだ! 」
「 まあまあ、張飛殿。馬超殿はこういう人だと思って、諦めた方が賢いですよ 」
「 丞相の言うとおりだ、翼徳 」
ははは・・・と笑いが起こって、何のことやらさっぱりわかっていない私は、首を傾げる。
そんな私へ、渦中の一人が白扇を揺らめかせ、頭を垂れた。
「 殿、よくいらっしゃいましたね。私は、諸葛亮孔明と申す者。蜀の軍師を務めております 」
「 諸葛亮さま・・・ご高名は、呉でもお聞きしております 」
それは恐悦至極、と諸葛亮さまは柔らかい笑みを浮かべた。
・・・伯言とは、随分印象の違う『 軍師 』さまだなって思う。伯言の仕事している姿を見たことが
あるワケではないけれど、何だかずっと落ち着いていて、オトナなヒトに見える。
( こういうところに・・・もしかしたら、彼は悩んでいたのかもしれないな・・・ )
「 、皆を紹介しよう。劉備さまに、共に仕える仲間だ・・・張飛殿に、関羽殿。
馬超には・・・国境まで迎えに行ってもらったから知っているな。変なことをされなかったか? 」
「 おい、趙雲!俺がそこまで無節操に手を出すと思って・・・ 」
「 嘘おっしゃい!この私の前で、そんな言い訳がまかり通ると思っているの!? 」
「 何!?それは誠か、尚香!? 」
尚香さまや劉備さままで混ざって・・・宴は、盛り上がりを見せる。
お酒の力を借りて、誰もが顔を赤くして、高らかに笑い声を上げていた。
隣の子龍さまに合わせて、私も笑う。
笑って笑って・・・笑った『 つもり 』だったのに、涙が出そうだった。
もう・・・後には引けない。
その思いだけが、無理して作った笑顔の下で、悲鳴を上げている。
伯言のことを忘れて、此処で、蜀の人々に囲まれて・・・私、幸せにならなきゃ( 今度、こそ )
間違ってない、間違ってないと、呪文のように、何度も心の中で繰り返すのに。
必死に作り笑いを浮かべて、子龍さまの隣で笑って見せていた私を。
冷静に見つめる・・・静かな『 視線 』が、2つあった。
29
back index next
|
|
|