今夜は、約束があった。
山賊討伐から帰って来た馬超が、執務室に顔を出したのだ。
久しぶりにいい酒が手に入ったので、皆には内緒でこっそり楽しもうではないか。
・・・と、白い歯を見せて笑うので断りきれず、酒盛りに付き合うことにした。
屋敷には連絡をしておいた・・・最も、彼女には届かないと思うが。
「 真面目な奴だな、相変わらず。新婚なのだから、もっと屋敷に居ればよいだろう 」
「 そんな新婚を酒の席に招待したのは、どこのどいつだ、馬超 」
「 はっはっは、まあ、そこは気にするな!! 」
馬超の執務室の奥にある私室で、二人で酒瓶の栓を開ける。
安い酒ならではの匂いではない、芳しい高級酒。
用意した杯を傾けながら、久々に親友と飲み交わすこの瞬間は・・・とても貴重に思えた。
ああ、やはり美味い!!と、馬超が喉を鳴らす。そしてまた一献、と酒を注いだ。
「 でも、正直なところ、仕事もあるしな・・・そう、屋敷に篭ってはおれない 」
「 はどうしている?元気にしているか?そろそろ、また顔が見たい気もするが・・・ 」
「 彼女なら熱を出して寝込んでいる。おかげで、看病している侍女が近寄らせてくれないんだ 」
「 何だと、そんなに酷いのか・・・!? 」
驚いた馬超に、頷いてみせる。
趙雲さまに移っては、国の大事があった時に支障が出ましょう、と玉葉からは、面会謝絶の札が出されている。
おかげで、にはあれ以来逢っていないし、私付きの侍女まで部屋には近づけてもらえないものだから、
彼女の様子すらわからない。
「 ・・・お前、に負担をかけるほど励んだってことか 」
「 励んで・・・って、馬超!そんなワケながいだろう!! 」
「 まあまあ、みなまで言うな!あんな可愛い娘を貰えて幸せな奴の惚気なんぞ、犬も食わん 」
「 違う・・・違うんだ、馬超・・・ 」
「 ・・・趙雲? 」
神妙な顔つきに、彼の手も止まる。
一瞬、静寂が室内を満たしたが、それに耐えられないというように、馬超は勢いよく
酒を注ぐと、呑め!と杯を握らされた。
「 ・・・馬超 」
「 岱なら今夜は出払っている。女官もいない此処なら、誰の目も気にせず話せるだろう 」
だから話せと、馬超は杯を煽る。
手元の杯の中には、ほのかな蝋燭の光に灯された自分の顔が映っていた。
頬が扱けたような気がするのは、気のせいじゃない。彼はそれを心配してくれているのだろう。
醜い自分の姿を飲み干すように、杯を空にすると・・・私は、ぽつりと話し始めた。
「 ・・・先程も言った通り、宴の翌日から、が高熱を出したのだ。
玉葉・・・付きの侍女が、すぐに医者を呼んで診せたところ、原因は疲労だというんだ 」
「 まあ、呉と蜀の国境に到着するまでも、長い道程があるからな。旅の疲れもあるんだろう 」
「 そうだな。婚儀までの期間も、気の休まるときなどなかっただろうし・・・。
慣れたと思ったら婚儀だ。見知らぬ武将に囲まれて、の疲労も頂点に達したのだろう 」
もっと、気遣ってやるべきだった・・・と、今では猛省している。
「 本当はついていてやりたいが、玉葉には拒まれるし、私には執務もある。
登城する前にも、帰ってからも見舞いたいが・・・どうやら、ほとんど目を覚まさないらしい。
かろうじて、昼間は意識が戻るらしいので、薬や水分なら摂取できているらしいが・・・ 」
熱は徐々に引いているらしいが、意識の戻る時間が短いので、日々衰弱しているらしい。
食事はできないから、著しい体力の低下が心配されるが、今は薬の効果を待つばかりだという。
ただでさえ、細い身体だった。一夜だけ抱いた、彼女の様子を思い出す。
「 」
割と早い時間に、目が覚めた。それは、隣で何か音がしたからだ。
武人の性分として、気配や音に敏感になっている自分には、微かな物音にも反応する。
腕の中で寝ていたの口が『 何か 』を紡いでいる。
その口元に耳を当てて、音を聞き取ろうとするが・・・一切の空気も漏れていない。
「 、どうしたのだ、一体・・・ 」
首の下に手を回して、身体を起こそうとすれば・・・。
「 ・・・熱い・・・ 」
今まで気づかなかったのが不思議だと思うほど、高熱を纏っていた。
額に手を当てると、自分の温度よりも低いそれが気持ちよかったのだろう。吐息が漏れた。
私は、離れた机に置いてあった夜着で彼女を包み、自分も簡単に衣をつけた。
玉葉を呼ぶ私の声に、彼女は只ならぬ気配を察したのだろう。すぐに駆けつけ、の姿を見るなり、
周囲にいた侍女に医者と彼女の寝室の手配を申し付けた。伸びたの身体を
私は牀榻まで運ぶ。 意識を失ったまま、荒い呼吸を繰り返す姿は、見ていて痛々しかった。
「 」
・・・また、だ。
の唇が、ぱくぱくと動いてる。唇の動きは、ずっと同じだ。
息を吸い込むわけでも、発するわけでもない、その行為は・・・やはり、何かを『 呼んで 』いるのだ。
それが何なのかわからないまま・・・立ち入り禁止を言い渡され、彼女に逢うことは叶わなくなった。
言葉にならなかった彼女の心の悲鳴が、今でも聞こえてくるようで・・・堪らず、耳を塞ぎたくなる。
趙雲・・・と、馬超の心配そうな声がした。そして、思い出したというように彼も言葉を紡ぐ。
「 まあ・・・しばらく時間がかかるだろう。俺たちのように、旅に慣れているわけではない。
国境を越えてからも、は輿の中でずっと泣いていた 」
「 ・・・が? 」
・・・そういえば、彼女が蜀の地を踏んだ時の話を聞いたのは初めてだったことに気づく。
最初、自分が迎えに行くはずだったが、呉へ行っていた間に随分と仕事が溜まってしまっていて。
そんな私を見兼ねた馬超と、どうしても呉に縁の者を迎えに行く!と言い張った尚香さまが、
彼女の迎えに出向いてくださったのだ。
「 あまりに泣くので、どうしようかと思ったぞ。だんだん、周囲も不安がってな 」
「 そうだったのか・・・そんなに、泣いていたとは 」
容易に想像がつく。呉で出逢った時のような顔は、蜀で過ごすようになってからは見ていない。
気落ちしていたり、無理をしていたり・・・どの『 彼女 』も、いつだって不安定だった。
( やはり、呉にいることが、にとって一番幸せだったか・・・ )
「 輿の中で小さく蹲って・・・そうだ、ずっと誰かの『 名 』を呼んでいたんだ 」
・・・その言葉に、弾かれるように顔を上げる。
馬超は驚いて、な、何だよ急に、と声を荒げて、誤魔化すように杯を煽った。
「 馬超・・・その『 名 』を、覚えていないか? 」
心の奥で、小さな竜巻が発生したかのように、轟々と強い風が吹き荒れる。
急な質問に、彼は首を傾げる。一生懸命思い出そうとしてくれたようだが・・・。
悪い、そこまでは覚えていない、と素直に頭を下げた。いや・・・と、私は横に首を振る。
・・・むしろ、とても貴重な『 情報 』をもらった。
「 ありがとう、馬超。実は明日、休みをもらったんだ。
も昼間なら目を覚ますらしいし、明日は彼女の傍に居ようと思う 」
「 そうか、それはいい。折角夫婦になったんだ。顔を合わせなければ、通じるものも通じない。
お前がちゃんとのことを心配しているということを知れば、彼女も安心するだろう 」
「 ああ・・・そうだな 」
休みなら、多めに呑んでも平気だろう?と馬超は、杯に並々と酒を注ぎ始めた。
止める暇もなく、飲み干す羽目になったが・・・今夜は、どんなに呑んでも酔うことはなかった。
嵐が、静まらない。
きっと、が泣く泣く呼んでいた、その『 名 』を持つ『 存在 』のせいだ。
倒れてしまうほど、彼女の胸の中を占有するなんて・・・それではまるで、恋煩いじゃないか。
もしかしては・・・誰かを想っていながら、私へと嫁いだというのか・・・?
( ならば、泣いてばかりだとしても、不思議ではないけれど )
ずきり、と痛んだのは、己の胸の内。その胸の痛みを感じるのは、酷く久しぶりだ。
そして、彼女に感じることはないと思っていた『 痛み 』のはずなのに・・・と驚き、苦笑が零れた。
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