あ・・・たた、か、い・・・・・・
優しい温もりに全身を包まれて、私は背を丸める。天にも昇る心地ってきっとこのこと。
温かい、気持ちいい・・・ずっとずっと、このままでいたい・・・。
『 ・・・此処です 』
・・・伯言?
目の前で、私を抱き締めているのは、伯言だった。優しい瞳、きゅと上がった唇が美しい。
彼の背中に両腕を回して、抱き締める。力強い抱擁・・・夢でも、嬉しい・・・。
ああ、伯言・・・逢いたかった、逢いたかったよ!本当は私、別れてからずっと後悔してた!
貴方の愛に応えられなかったことを。私の想い、何一つ伝えられなかったことを。
好きも、愛してるも、ありがとうも・・・さよならさえ、まともに言えなかった。
『 愛してますよ、・・・貴女を、心から 』
『 伯言、私も・・・私も、だよ。伯言、大好き・・・!! 』
帰りたい・・・呉に、貴方の腕の中に。
どうして、私は伯言の腕を振り払えたのだろう。こんなに後悔するくらいなら、いっそあの時、
彼に抱かれていれば良かったのだ。彼も、私を心の奥底から求めてくれたというのに・・・!
『 伯言・・・伯言っ!! 』
もう何処にもいかないで・・・私の、私の傍に、居て・・・!
・・・伯言・・・逢いたいよ・・・伯言、はく、げ・・・・・・・・・・・・
「 ・・・・・・、、 」
伯言の声が・・・『 誰か 』の声に、重なっていく・・・。
彼よりも低い、その声に。導かれるようにして、私はゆっくりと瞳を開く。
「 ・・・私が、わかるか・・・? 」
「 ・・・・・・し・・・りゅ、さま・・・ 」
「 よかった・・・喉が、乾いただろう。口を開けてごらん 」
唇に当たられた、湿った布。言われるがまま開けた口元に、そっと漏斗を差し込まれた。
ほんの少量の水で、身体の隅々まで生き返るようだった・・・。
ゆっくり、少しずつ、何度も休憩を挟みながら、漏斗に入っていた水を飲み干す。
根気良く付き合ってくださった子龍さまが、安堵したように溜め息を吐いた。
「 ・・・少し、落ち着いた? 」
こく、と頷くと、彼は嬉しそうに目を細めた。
何日ぶりだろう・・・と、ふと思う。自分が意識を失ってから、どのくらい経ったのかすら
わからないけれど、子龍さまにはとても久しぶりに逢ったような気がする。
「 ( そうだ・・・私・・・ ) 」
手で、下腹部を擦る。それに気づいた子龍さまが、お腹が空いたのだろう、と勘違いしたらしい。
今、滋養のつくものを持ってくるように言うから、と部屋を飛び出して行った。
玉葉を呼ぶ声が、廊下に木霊している。その姿はとっても微笑ましかったけれど・・・残念ながら、そうじゃない。
・・・下腹部の痛みは、すでに消えている。あれからどのくらい経ったかはわからないけれど、
彼の顔を久しぶりだと思うほどの時間は経過しているのだろう。
高熱で、感覚が麻痺しているせいもある。どこもかしこも、今までとは変わらないように思える、けれど・・・。
それでも痛むのは、外傷ではなく・・・もっと、見えない部分。
途端に胸が苦しくなって、うっと呻き声が漏れた。戻ってきた子龍さまが、駆け寄る。
「 急にどうした、大丈夫か!? 」
「 し・・・子龍、さま・・・ぁ、ァッ! 」
胸倉を掻き毟っていた両手を掴むと、暴れてしまいそうな衝動を抑えるように私に覆いかぶさる。
重さはまったく感じなかった。こつん、と子龍さまの額と、私の額が、合わさる。
「 落ち着いて、。大丈夫、私に合わせてゆっくり呼吸するんだ・・・そう 」
至近距離で囁かれる。低い声が、乾いた心に染み渡っていくよう・・・。
発狂しそうな意識を必死に抑えて、彼の呼吸を感じ取る。最初は、酷く震えていた。
が・・・少しずつ『 呼吸する 』ことを、身体が思い出したかのように、力が抜けていく。
震える指先を絡める。指先から、額から伝わる子龍さまの体温が・・・凍った意識を、溶かしていくよう。
は・・・と吐息を吐いて、ようやく顔を上げれば、彼は慈愛に満ちた瞳で、私を見つめていた。
「 ・・・どう?少しは楽になった? 」
「 は・・・い・・・ 」
「 よかった。でも、まだ休んでいなければいけないよ。の身体は、まだ絶対安静が必要なんだ。
ここ数日・・・貴女をに逢えず、心配したよ。玉葉にも、落ち着くまでは近づくなと言われていてね。
我慢できずに、今日は傍にいたが・・・私も顔を出せずに申し訳なかった。不安にさせたね 」
「 ・・・そんな・・・子龍、さま・・・私こそ、妻、として・・・ 」
不十分で・・・務めも果たせずに、こうしてすぐに倒れてしまうなんて。
こんなんじゃ、私、何の為に呉から蜀へ来たのかわからない( あの手を、振り払ってまで )
けれど彼は左右に首を振ると、絡めていた指先をそっと握った。
「 いいんだ、。そんなことは、私とっては些細なことに過ぎない 」
「 でも・・・ 」
「 でも、じゃないよ。今はとにかく、一刻も早く体調を整えること・・・いいね? 」
「 ・・・はい、申し訳、ありません・・・ 」
謝らなくていいのに・・・と、子供の頭を撫でるような。優しい手。
長い前髪の向こうに、綺麗な微笑みを浮かべる子龍さま。顔が熱いのは高熱のせいだけじゃない。
はた、と気づいた彼も、あ、ああ、すまないな・・・と照れたように相好を崩して、
乗せていた身体を起き上がらせた。そして、思いついた、とばかりに呟いた。
「 病が治ったら、買い物にでも出かけよう。成都の町を、見せてあげたい 」
呉の街とは違うだろうから、見るものはたくさんあると思うよ。
せっかくだから、市場でも見に行こう。よく行く、饅頭の美味い店があるんだ。
何か欲しいものはないか、質の良い布や装具も・・・・・・・・・・・・?
・・・ああ、子龍さまが呼んでいる。そう思うのに、手も口もぴくりとも動かない。
まるでどこもかしこも石になってしまったみたい。
瞼もいつの間にか落ちていて、すぐ近くで彼の息遣いだけが聞こえた。
「 今は・・・おやすみ。治ったら『 聞いて欲しいこと 』と『 聞かせて欲しいこと 』があるんだ 」
そう聞こえたのを最後に、意識が眠りの海を漂い始める。
ちゃぽん、と音を立てて沈むのがわかって、私は全てを預けた・・・。
『 』
海に潜れば、伯言の声がまた脳内に響く。私の意識は、海の中で彼に寄り添う。
・・・いつまでも『 此処 』にいちゃいけないんだって、わかってる・・・。
子龍さまは、私を大切に思ってくださるのに( それが私自身を愛しているのではなく、
妻という立場にいるだけだから、だとしても )彼の瞳を、まっすぐに見つめ返すことができない。
でも、もう少しだけ・・・伯言との思い出に浸って、生きていたい。
彼を心から追い出す勇気が、今の私にはないのだ・・・。
伯言の『 幻 』に抱かれながら、溢れる涙を閉じ込めるように・・・瞳を、閉じた。
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