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 「 陸家はその昔、孫策殿によって手痛い目に遭っていましてね。
 その一族を背負って立ったのが陸遜殿です。軍師として芽吹いた、若く才能ある陸家の家長 」
 
 
 ふふ、と微笑んで、扇をはためかせる。
 
 
 「 蜀へ『 陸家 』を推したのが間違いでしたね。他の家柄ともかく、名門陸家は調べが付いてしまう。
 再興の為に栄誉が欲しかったか、軍師としての他人の評価を急いたか・・・まだまだ、彼も甘い。
 時間がかかりましたが、貴女が彼の血筋でないのは明白です 」
 「 ・・・・・・・・・ 」
 
 
 頭の中がぐるぐる回ってる・・・色んなことを知りすぎて、私の中ではすぐに消化できない。
 陸、遜・・・伯言に、そんな過去があったなんて。
 ずいぶん若い時に、家長になったということは噂で知っていた。
孫権さまを尊敬しているように見えたけれど、その胸中には計り知れないほど
嵐が吹き荒れた時もあったのだろうか・・・。
 
 
 『  』
 
 
 優しかった彼の声音が、頭の中に蘇る。
 自分を軍師として周囲に認めさせるために、この作戦は絶対に失敗が出来ないのだと言っていた。
 私は、それは若いが故の悩みだと思っていたけれど・・・それだけじゃ、なかったんだね。
 峠で見せた寂しそうな瞳。ねえ、伯言。貴女は、どんな胸中で私を送り出してくれたの?
 陸家の再興はきっと彼の全てだったはず。でもそんな中、私を愛して・・・苦しんでいた・・・?
 
 
 顔を覆っていた手に力が入る。陸遜、という名を聞いただけで、こんなにも胸が熱くなる。
 伯言・・・私、もっと貴方の支えに、力になりたかった。分かり合う時間が少なかったとしても。
 
 
 
 
 ・・・ああ、だめ。今、悩んでも悔やんでも仕方ない。
 今が、そんな時ではないって、わかっているのに・・・!
 
 
 
 
 「 ・・・それで、どうなさるおつもりですか 」
 
 
 ごめんなさいと謝って、土下座でもして、彼の足元に縋れば許してもらえるのだろうか。
 そんなことで済むなら・・・諸葛亮さまはわざわざ私を訪ねて、確認などするはずないのだから。
 
 
 「 私にその『 事実 』を認めさせて、呉へと送り返すか、もしくは始末するおつもりですか 」
 「 おや、随分と物騒な発想ですね・・・そこまで非道な軍略は執ったことはないのですが 」
 
 
 ふうむ、と考え込む素振りをして見せるが、私は張り詰めた気を緩めるつもりはなかった。
 ここで挫けたら・・・伯言の思惑が、無駄になってしまう( ・・・そして、私の決意も )
 今まで焦る場面は他にもいっぱいあった。伯言に出逢った最初の頃も、
子龍さまに初めてお逢いして問い詰められた時も。だけど・・・今は、その非じゃない。
ましてや相手は天下一の軍師。
 諸葛亮さまは目の前の獲物を睨むわけでもなく、ただ穏やかな微笑みを浮かべている。
 
 
 「 陸遜殿が斬った蜀の間者ですが、実は別の国・・・魏の間者でもあったようなのです。
 正直、この婚姻には何の意味もありません。利害が一致している限り、呉との戦は有り得ない 」
 「 ・・・なら、 」
 「 ならば、どうして・・・というなら、子龍殿が望んだから、と言っておきましょう。
 子龍殿の申し出がなければ、貴女を貰い受ける話は断るはずでした 」
 「 ・・・・・・そ、んな 」
 
 
 
 
 
 
 子龍さまが、悪いのではない。それは・・・わかる、わかるけれど。
 
 
 私と伯言は何もせずとも。魂を裂かれるような、あんな苦しみを知らずとも済んだなんて。
 恋人同士のように心を通わせて、呉で幸せに暮らしていたかもしれないのだ・・・。
 
 
 そんな生活は夢、だと思ってた。けれどその夢は・・・本当は、手を伸ばせる距離にあったのだ。
 
 
 
 
 
 
 「 ( ・・・伯言・・・ッ!! ) 」
 
 
 
 
 
 
 誇り高い彼が、両手で顔を覆い泣いていたのを思い出して、悔しさに唇を噛み締める。
 どこかを切ってしまったのか。口の中いっぱいに、血の味が広がった。
 彼は扇をはためかせる。そして徐に、ゆっくりと頭を垂れた。
 
 
 「 ・・・諸葛亮さま? 」
 「 申し訳ありません、殿。先程、私はひとつだけ嘘をつきました。周囲には誰もいない、と。
 けれど私と一緒にこの屋敷にやって来ても、不自然ではない人間が・・・一人、いるのです 」
 
 
 諸葛亮さまと城からやってきたとしても、騒ぎにならない『 人 』。
 それは・・・元から予定していた人間だから、だ。
 そしてこの屋敷に身を置いていても何ら問題ない人物、それは・・・
( 玉葉が慌てていたのは、不在時を狙ったのではく、主人を差し置いて
諸葛亮さまお一人がこの部屋を目指していたから・・・!? )
 
 
 音もなく、入口の傍にあった衝立から人影が現れる。その影に・・・思わず、腰が浮いた。
 血の気が引き、噛んでいた歯の根が合わなくなると次第にがちがちと震えた。
 
 
 
 
 「 処遇は、貴女を求めた『 彼 』にお任せいたしましょう 」
 
 
 
 
 諸葛亮さまの声が、静かに響いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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