子龍、さま・・・と呟いた声は、か細く消えていった。
彼は入口に立ったまま動かない。その傍らを諸葛亮さまはすり抜けるようにして、部屋を出て行った。
し・・・ん、と物音一つなく、静寂だけが部屋を満たした・・・そして。




先に動いたのは、彼の方だった。




いきなり動いたかと思えば、凍り固まった私の前に立ち、両肩を掴まれた。
そのまま牀榻へと押し倒される。悲鳴ひとつ上げられなかった。 咄嗟に身体を丸めた私の襟刳りを掴まれ、肩が露になったのがわかる。 久々の外気に触れて、あっという間に冷えていった。


「 し、りゅう、さまッ・・・! 」


ようやく出た声で、彼の名を呼ぶけれど・・・応えは、なかった。
表情を伺おうとしても、長い前髪が邪魔をして全く見えない。
そんな彼は無理矢理帯に手をかけて、着物を脱がしにかかる。 反射的に身体を捻るがおかまいなしだ。 瞳から涙だけが零れていく。『 恐怖 』に身体が、心が、大袈裟なほどがくがくと震えた。


「 ( ・・・はく、げん・・・!! ) 」


・・・きっと・・・こういう時のために、あの日伯言は私を抱いたのだ。
気の乗らない時でも、相手を受け入れられるような身体にするために。
そうでなければ『 快感 』を覚えてしまった身体が反応しないわけがない。
今は恐怖しかなくとも、その先にある快楽を知っている。否応無しに肌が粟立った。


だけど・・・いつもの彼とはとは打って変わって、荒々しく、乱暴な手つき。
訴えては見るものの、非は私にある。正面から彼の瞳を見つめられるほどの勇気はなかった。


「 ( は、く、げん・・・伯言、伯言、伯言・・・ッッ!! ) 」


私は・・・子龍さまの、妻、だ。彼が私を抱くのに何の問題もない。
彼に抱かれることは、当然だと思わなきゃいけない・・・いけない、の、に。






この手は・・・子龍さまは、伯言、じゃない・・・!!






初夜の時は・・・ただ『 己 』を封じるのに必死だった。
受け入れなきゃいけないと、何度も何度も自分に言い聞かせて目を瞑って耐えられた。
・・・ううん、耐えるというより自我を放棄していた、と言った方が正しい。 子龍さまの腕に抱かれる自分は『 私 』ではないと思い込んで・・・ 熱夜が過ぎるのを、ひたすら待っていた。


「 ( ・・・怖い、ッ! ) 」


身体をまさぐる手が怖い。のしかかる身体の重みが、耳元をくすぐる息遣いが怖い。
この前、呼吸困難で身体を覆われた時はこんな恐怖、全く感じなかったのに、どうし、て、どうして!
・・・怖い!怖いよおっ!!伯言、助けてッ、伯言ッ!!


「 し・・・りゅ、さま・・・、やッ・・・い、やァッ!! 」


腰を縛っていた紐が、勢いよく解かれる。しゅるる、と音を立てて羽のように床に静かに落ちた。
耳朶を噛んでいた唇がそのまま首筋に埋もれて、鎖骨へと噛り付く。
あっという間に露になった胸元を吸い上げられ、悲鳴に似た声が上がった。
痛みの方が強いのに、それでも身体中の血が波打った。快楽の予感に、顔に熱が集中する。
束縛を逃れようと暴れても、武人に押さえつけられては、適うはずもないのは伯言の時に解っている。 それでも抵抗するが、離す気は毛頭ないらしい。ぎり、と手首を締め上げられれば、骨まできしんだ。
身体中を強く撫でる手が、あっという間に下腹部に移動していく。 子龍さまの指が『 入り口 』を撫でると水音がした・・・盗み見た彼は、自嘲気味に笑っていた。 皮肉そうに持ち上げていた唇を見て、背筋が凍る思いだった ( いや・・・絶対、卑猥な女だって、今、思われた・・・ )


混乱と、恐怖と、羞恥と、快楽がぐるぐると入り混じって。
つぷ、と音もなく『 入り口 』に指先が挿入した時、自分の中で何かが弾けたように瞳を見開いた。


頭の中が真っ白になる・・・何も、考えられなくなってしまっ、た。






そして、終に・・・私は口にしてしまった、のだ・・・。




















「 ・・・・・・伯言、ッ・・・・・・!!! 」




















涙が、止まる。はっと気づいた時には・・・もう遅い。
恐る恐る彼を見上げる。深く俯いた子龍さまが肩を落ち込ませ、少しだけ震えていた。
長い前髪が小刻みに揺れている・・・それが怒りなのか、悲しみからなのか、私にはわからなかった。
ただ・・・ひと回り小さくなったような彼に、堪らず声をかける。


「 し・・・子、龍さま・・・ 」
「 ・・・・・・見ないで、くれ・・・・・・ 」


耳を澄ませなければ聞き逃してしまいそうなほど、小さな、小さな、嘆願の声。
私は、肌蹴た胸元を隠しながらも身体を起こす。
伺うように彼を覗き込もうとするが、前髪の奥の表情は終始決して見せなかった。


「 ・・・今の私を・・・どうか、見ないでくれ、・・・ 」
「 子龍、さま、わた、し・・・ 」
「 何も言うな、何も見るな・・・しばらく、一人にしてくれ! 」


そう言って、子龍さまは牀榻から降りると部屋を飛び出していく。


「 子龍さま・・・子龍さまあッ!! 」


咄嗟に伸ばした腕は、何も掴めなかった。
あっという間に消えてしまった彼の背中。誰もいなくなった部屋に、ぽつんと一人取り残されて。
・・・さっきまでの熱が、まるで嘘のよう。
けれど、嘘じゃない・・・嘘でであればよいと、心の底から思うのに。


だって、そうしたら・・・子龍さまはまたこの部屋にやってきてくれて、私に笑いかけてくれる。
ただいまと微笑みながら、優しく手を差し伸べて・・・。




「 ( でも・・・もうそんな瞬間は、二度とないんだ・・・ ) 」




胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。


こんな・・・こんな事態にならないよう、細心の注意を払っていたつもりだったのに。
彼の優しさを、私を大切にしたいと思ってくれる『 真心 』を。
踏みにじりたくないと、心底そう思っていたから、こそ、私、は・・・!






拠り所であった『 手 』を失くして、私は一人、牀榻に突っ伏した。






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