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 もう・・・だめ、だ・・・。
 意識が暗闇に溶ける。本気で、諦めかけた時だった。
 
 
 
 
 
 
 どん・・・ッ!と衝撃が身体を襲った。
 床に放り出されるようにして転がると、突如肺を酸素が満たして、たまらず咽た。
 
 
 「 お止め下さいませ!いくら何でも・・・無茶苦茶ですわ、陸遜さまッ! 」
 「 ・・・・・・・・・・・・ 」
 「 お願いです。少し彼女と話しをさせてください・・・大丈夫ですか? 」
 
 
 背中を撫でる手が、温かい。
 顔を上げると、手の温度と同じように、優しい温もりを湛えた眼差しがあった。
 
 
 「 さま・・・ですね?もう、苦しくはございませんか? 」
 「 あ・・・へ、平気で、す・・・」
 
 
 よかった、と肩の力を抜いた彼女は、本気で心配してくれたのだろう。
 そんな私たちの様子を見ていた彼が無言で退室するのを、目で追って。
 籐の椅子に座らせた私と目線を合わせるように、片膝をついた。
 まだ涙目の私に、彼女は申し訳なさそうに頭を下げる。
 
 
 「 申し訳ございません・・・お辛い思いをさせてしまいました 」
 「 いえ、そんな・・・私の方こそ、助けて頂いてありがとうございました。あの・・・ 」
 「 申し遅れました。私は練師、と申します 」
 「 練師・・・さまが、謝る必要は・・・ 」
 「 いえ、孫権さまの同じ臣下である陸遜の不手際を謝るのは、私の役目にございます 」
 
 
 もう一度、頭を下げた彼女に、私は呆気にとられた。
 さま、という敬称はなんとなく・・・彼女の纏う雰囲気に合わせて付けた、けれど。
 り、陸遜の・・・・・・って、え?
 
 
 「 まさか・・・孫権さまの、お傍に控えていらっしゃるという・・・ 」
 「 はい。多分、今さまが想像した通りの、者ですわ 」
 
 
 ・・・目眩がした( 今度は、酸素不足なんかじゃなくて )
 たぶん、練師さまはさっき彼が言っていた『 作法の講師 』で連れていらしたのだと思うけれど。
 自分の住んでる国の皇后さまにも近しい女性に、どこの誰が教えを請うっていうのよ・・・。
 なのに・・・私、片膝をつかせてる!?慌てて私も床に降りようとすれば、お気になさらず、と
止められ、おろおろと彷徨う私の両手をぎゅっと握った。
 
 
 「 呉のためとはいえ、さまには・・・謝ることしか、出来ません・・・。
 私の力では、貴女を助けることが出来ない・・・ 」
 「 練師さま・・・ 」
 「 申し訳ございません・・・申し訳ございません、どうか、お許しくださいませ 」
 
 
 美しい顔が歪み、それを両手で覆って泣く練師さまを見て、私は悟った。
 ああ、私に残された道は・・・これしかないのだ。
 王の傍仕えである練師さまでさえ、私を助けられないのだと、仰るのだから。
 ここから、死んで抜ける勇気もない私には、彼の言いなりに生きるしか・・・。
 
 
 
 
 もう涙は出なかった。
 
 
 けれど・・・今まで感じたのことのないくらいの、虚無感が。
 ものすごい早さで、私の中を満たしていくのが・・・わかった・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「 私は、蜀の劉備殿に嫁いだ、孫尚香さま付きの女官でした 」
 
 
 気持ちも落ち着いた頃、練師さまが語り出した。
 
 
 「 尚香さまが嫁がれた後、孫権さまに見初めて頂いたのです 」
 「 そうなんですか・・・ 」
 「 ええ、だからさまには申し訳ないのですが・・・。
 陸遜さまからこのお話を頂戴した時、最初は喜んでしまいました 」
 
 
 政治に関わることがない分、国のために、私にも出来ることがあるのだと知って・・・。
 そう呟いた練師さまは、心底嬉しそうだった。その姿が、両親を亡くした時の自分と重なる。
 
 
 私にしか出来ないこと。なんて、魅力的な言葉なんだろう。それは、自分の存在意義なのだ。
 他者から認められて、嬉しくない人間なんていない。
 お墓の前でそう言われたから・・・私だって、今、生きてる。
 
 
 考え込むように黙った私に、彼女が慌てて謝る。
 
 
 「 あ、の・・・ごめんなさい。さまに、こんなお話は失礼でしたわね 」
 「 ・・・いえ、いいんです・・・ 」
 
 
 でも・・・と練師さまは言うけど、今のは本当の気持ちだ。
 
 
 あの日、私は確かに死んだのかもしれないけれど、実際は生きている。
 悔しいけれど、陸遜・・・『 さま 』は( そう呼ぶのは、本当に不本意だけど )
 いつだって・・・『 選択権 』を、私に委ねていたのではないだろうか。
 だって、本気で死のうと思えば、食事をしないことも、舌を噛み切ることだって出来たのに。
 こうして生きているのは、私自身が、それを選ばなかったからだ。
 死にたくなかった。私はまだ、生きたいのだ。
 
 
 それを認めたら・・・す、と心の中が晴れ渡った。
 
 
 
 
 
 
 ・・・なんだ、認めたくなかっただけなんだわ。私には、生きる『 意思 』があることを。
 
 
 
 
 
 
 「 ・・・練師さま 」
 「 はい、なんでしょう 」
 
 
 両手を膝において、頭を下げる。彼女が、飛び上がらんばかりの勢いで驚いているのがわかった。
 
 
 「 ご指導のほど、よろしくお願い致します 」
 「 ・・・さま 」
 
 
 私の選択肢は、これしかないんだ・・・けれど、今、それを私自身の意思で、選ぶ。
 お辞儀した頭の向こうで、彼女も姿勢を正したようだ。
 
 
 「 こちらこそ、よろしくお願い致します 」
 
 
 
 
 さらさらと音を立てて、黒髪が彼女の肩を零れ落ちる音がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
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