の死亡届が、無事に受理されたと報告を受けた。
この件を知る数少ない一人だ。ご苦労様です、と労いの言葉をかけ、一息吐いた。
朝、山積みなっていた竹簡が、ようやく減ってきた。あと数刻もあれば、久々に帰宅できる。
仮眠室でも睡眠出来るが、やはり自分の屋敷でほんのわずかな間だとしても寝れる時間は違う。
ここ数日は、まったく帰れなかったから・・・と思うと、気だるさが身体を襲った。
「 ( 気になることも、ありますしね ) 」
片手を挙げると、傍にいた女官が茶を持ってくる。口に含めば、お茶独自の甘みが口の中に広がった。
「 美味しいですね、ありがとうございます 」
にこ、と少し微笑むだけで、彼女は熟れた果物のように顔を赤らめた。
い、いいえ・・・!と声を上ずらせて、さっと勢い良く壁の端へと身体を引っ込ませる。
・・・これが、普通の反応だと思っている。
そして、その『 武器 』の利用価値を自分は知っている、とも。
ふー・・・と長い息を吐く。けれど、あの娘には何の効果もないのだ。
。細い路地に迷い込んできた、予想外の侵入者の名前。
どんなに極上の笑顔を作っても、絆されることのない娘・・・。
練師さまが言うには、それはすごい勢いで作法を吸収しているらしい。
元々素質があったのでしょうか・・・と彼女は首を傾げていた。歩く姿も、お辞儀する姿も、
習う前の彼女からは想像もつかないくらい美しく、品があるように見えるという。
『 陸遜さまも、一度見にいらしてくださいませ 』
と、言われるが・・・実は、何度か覗いてはいるのだ。
自分が用意した美しい衣を纏って、練師さまに礼儀作法の授業を受けている姿を。
読み書きはできるようだったから、他のことの飲み込みも早かった。につけている侍女の話では、
香や華の本を注文してきては、それを片っ端から読んで自分のものにしているということだった。
練師さまは、自分の知っている礼儀作法だけでは、彼女の知的欲求を満たせないのではないか・・・
と心配しているご様子だし。まさか、次の一手が必要になるほどの器を持っていたとは、と苦笑する。
「 ・・・まさか、軍師にでもなるつもりではないでしょうね 」
独りごちるが、これからの彼女は本当に予想がつかない。
何が・・・彼女の『 心 』を変えたのでしょうか・・・。
殺しなさい!と叫んだ時の、表情。
この世の終わりを見ているかのように、悲しみに満ちていて、見ているのも辛かった。
だから手をかけた・・・自分が見ていたくないから、とは、なんと傲慢な理由だろう。
けれど、彼女は寸前で命を放棄せず、抵抗した。私は、その姿に手の力が一瞬緩む。
練師さまに止められたのは、その時だった・・・。
・・・『 再び 』彼女の前に姿を現すには、時間を要するだろう。
あの日、帰り際の練師さまにこっぴどく怒られた。
城へと戻る彼女を見送りに来た私の頬を叩き、婦女子の首を絞めるとは何事かと怒鳴れたのだ。
『 拱手することはあっても、絞首するなど!彼女の不安を考えたことがおありですか!?
呉の軍師ともあろう方が・・・情けないことですわ! 』
いつも穏やかな彼女が、怒りで震える様など・・・初めて見た。
自分は、任務を忠実にこなそうとしただけだ。
蜀へと嫁いだ孫尚香さまだけでは、布石に弱いかもしれない。だからもう一人、送り込むこととしよう。
指揮権を与えられた私は、実行するに当たっての作戦を練る。
それには、呉の出身であることが第一条件。それぐらいは、相手も調べてくるからだ。
次の条件・・・これが最難関ではあったが、親戚縁者の少ない、いつ亡くなっても良い娘。
親兄弟がおらず、親類との交流も少ない年頃の娘など・・・家族との縁を重んじるこの時代には、
いないのかもしれない・・・と諦めかけていた時だった。
政敵を、主の命令で仕留めた路地で、出逢ったのだ。
ほろ酔い状態で、気持ちよさそうに歩いていた、迷子の子猫に。
「 ( ・・・ちゃんと、謝らなければいけません ) 」
この任務に、彼女の存在は欠かせないのだ。の、本心からの協力が必要だった。
好きでもない・・・ましてや、逢ったこともない男に嫁いでください、と改めて『 お願い 』
しなければいけない。
政略の一環とはいえ、いかに自分が道理に反したことをしようとしているか、わかっている。
なのに、自分は彼女の首に手をかけた。それを・・・今は、酷く後悔している。
謝りたいのは山々だが・・・あんなことがあった以上、の前に姿を現すのは、躊躇われた。
「 ( 私もまだまだ、子供だという証拠ですね ) 」
ふ、と口元が緩んだところで、残りのお茶を飲み干す。
気持ちまで緩んでしまっては、仕事に支障をきたす。
姿は現さなくとも、またこっそりと様子を見に行くとしましょうか・・・。
残りの竹簡の束を見つめて、筆を取った。
屋敷に戻ったはいいが、どうも騒がしい。
いつもなら、帰宅と同時に飛んでくる者たちの姿もない。
首を傾げた時だった。灯を持った従者が、おかえりなさいませ、と駆け寄ってくる。
「 陸遜さまのご到着を、お待ち申し上げておりました 」
「 どうしたというのですか、この騒ぎは一体・・・ 」
「 ・・・それが、 」
陸遜さまの従妹殿の姿が、見えないのです。
付けていた侍女が、夕食の用意を下げている間の、ほんの一瞬だったらしい。
部屋の外にいた護衛が言うには、その間扉が開くことはなかったという。
確かに窓は開けられるが・・・部屋付きの侍女が持つ鍵がないと、開けられないようになっている。
陸家の周囲はそれなりの護衛兵がいるが、彼らの目にもつかなかったので、まだ屋敷の外へは
出ていないのだろう。が、それなりの広さがある。どこに隠れたのか、皆目検討つかないと報告した。
唇を噛みたいのを、必死に堪える。
身分差など気にもせず、あれだけ自分に噛み付いた娘なのだ。大人しくしてしろという方が
無理な話だったのかもしれない。けれど、練師さまの教育を受けて、心変わりしたのでは・・・。
「 ( 軍略以上に、女心というのは複雑です・・・ね ) 」
こっそりと弱音と溜め息を一緒に吐き出すと、控えていた従者に命令を出す。
「 私も出ます。屋敷の警戒を緩めず、の捜索を続けなさい! 」
従者は頭を下げて、踵を返す。
荷物と一緒に馬にくくりつけていた双剣を腰に携えると、私も屋敷の奥を目指して駆け出した。
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