子龍さまの愛馬は、あどけない瞳をした白馬だった。
『 白龍 』という名前にふさわしく、優雅だけど雄々しい井出達。
美しい毛並みは、子龍さま自ら手入れされていると・・・玉葉に聞いたことがある。
彼は馬の長い鼻筋を数度撫でてやると、私を抱き上げて、白龍に跨らせた。
病み上がりで上手く力の入らない身体だから何度も傾いたけれど、
白龍は嫌がることなく、落ち着くのを待っていてくれた。
無事に乗れてほっと胸を撫でおろしていると、とん、と背中に当たったのは子龍さまの胸元。
見上げると、にっこりと微笑んで手綱を握った。
「 それでは、参ろうか 」
「 はい・・・あの、どこへ?屋敷ではないのですか?? 」
屋敷から乗ってきた輿は一足先に屋敷に帰してしまった。
身体が辛くないのならと言われて、頷いてしまったけれど・・・どこへ、連れて行かれるのかしら。
「 そんな顔をせずとも、大丈夫だ。貴女を悪いようにはしないから 」
不安そうな表情だったのか、背後の子龍さまが耳元で囁く。
・・・べ、別の意味で固まった私を察したのか、察していないのか、彼は馬の腹を蹴る。
白龍がひと啼きし、ゆっくりと長い脚を動かし始めた。
どのぐらい、歩を進めただろうか・・・。
周囲の木立の表情にも慣れてきた頃、奥に光を見つける。
仄かに緑色に光るものがある・・・何だろうと目を凝らしてみるけれど、予想がつかなった。
無意識に身を乗り出していた身体を、後ろの彼がそっと捕まえて。
「 、降りられるか? 」
ひらりと大地へと着地すると、馬の背にいた私へと両手を伸ばす。
一人で馬上から降りられない私は、前倒しになった身体を趙雲さまの腕の中に預ける。
どさり、と落ちた身体を横抱きされて、下ろされると思ったのに・・・なぜかそのまま、歩き出した。
「 ・・・あ、あの、子龍さま・・・? 」
「 ん?何だ、 」
「 私、自分で歩けますけれど・・・ 」
「 私が抱きたくて抱いているのだ、気にしなくていい。それに、まだ全快ではないだろう。
白龍の手綱を持たなければならないので、片手で抱くから、は私の首に捕まってくれ 」
「 あ、は、はい 」
咄嗟に頷いて言う通りにするけれど、ほ、本当にこれでよいのかしら。
両手を彼の首に回す。僅かに子龍さまの直肌に触れた部分が・・・熱い。
男の人に触れて照れるほど、子供なんかじゃないのに。
それに・・・子龍さまには、抱かれたことだってあるのに・・・どうして、こんな気分になるの。
上った熱を隠すように片手の袖で顔を覆うと、気分が悪いのか?と尋ねられた。
慌てて横に首を振れば、もう少しだから・・・と、歩く速度が少しだけ上がった。
ざ・・・ッ。
「 ・・・・・・あ、っ! 」
光の正体は、葉と葉の間から零れる光を受けた水面の輝きだった。
真上にある太陽の照り返しは私には強すぎて、思わず瞳をそらす。
子竜さまが手綱を放してやると、白龍は慣れた様子で水面に近づき、首をもたげた。
「 よく白龍を連れてくるのだ。この湧水は、傷や疲れを癒す成分が多く含まれているらしい 」
「 そうなのですか? 」
聞き返すと、彼はちょっとだけ肩を竦めて。
「 ・・・多分。というのも、此処は私の秘密の場所、だ。 」
戦の帰り道にたまたま見つけたのだと、教えてくれた。
傷を負った白龍に水を飲ませて帰ると、いつもより治りが早い。
それ以来、子龍さまは人気のないこの泉に、時々息抜きにいらしているらしい。
平たい石の上に腰を下ろすと、膝の上に私を座らせた。
( お尻を冷やさないようにしてくれてるんだろうと思うけど・・・ちょっとはず、かしい・・・ )
子龍さまの端正な顔が、いつもより目と鼻の先にあって( さっきの熱も手伝って )
まともに顔を見られなかった。
「 、此処なら誰にも邪魔されない。私と、貴女の二人きりだ 」
「 ・・・はい 」
喋ってほしい、ということなのだろう。
迷いは捨てなきゃ・・・と開いた口を、ぱふ、と子龍さまの手が塞いだ。
「 ( ・・・・・・え? ) 」
不思議そうな顔をした私に、にっこりと笑った。
「 話の前に、ひとつだけ聞きたいことがあるのだが・・・答えてくれるか? 」
少しだけ、躊躇うように。
頷いた私の腰をぐいっと引き寄せれば、吐息のかかる距離に・・・彼が、居た。
「 は・・・呉に、還りたいか? 」
・・・自分の顔が、歪むのが・・・わかった。
なんて、魅力的な『 言葉 』。その一言で、こんなにも私は心乱れてしまうのだ。
望めば・・・還してもらえるのかと訊ねそうになるのを、ぐっと我慢する。
両袖を口に当てて背を丸めた。涙がはらはらと零れては、膝を濡らしていく。
「 ( 伯言・・・伯言・・・! ) 」
本当は・・・逢いたい。逢えないのは、心が裂けてしまうんじゃないかって思うほど、辛い。
でも私が蜀に居ることが・・・彼の『 幸福 』なのだ。
それが、この作戦を指揮した呉の軍師である、陸家の再興を願う、長としての・・・。
( 私の我侭で、彼の人生を狂わせるようなことがあってはならない )
それに・・・蜀に来ることは『 私 』が望んだことだ。それを、いつだって忘れちゃいけない。
「 ・・・私は貴女を呉に・・・ 」
「 いいえ、いいえ・・・! 」
ぷるぷると弱々しく首を振って、真上の子龍さまを真っ直ぐ見つめる。
彼は、少し驚いたように私を見つめていた。
「 私は呉には還りません。お願いです、此処へ置いてください・・・! 」
「 ・・・その答えで、本当に後悔しないのだな? 」
「 ・・・・・・はい 」
でも・・・今だけは、国を恋しがって泣いてもいいですか・・・。
涙ながらの訴えに、子龍さまは膝の上の私を覆うように包み込んだ。
彼の肩に顔を埋めて、溜まっていた涙を一気に放出する。
風に揺れる樹々の間に嗚咽が木霊した。
頬擦りするように、優しく彼が私を抱き締める。
温かな・・・私を気遣ってくれる彼の『 手 』を取り戻して、その安心感にまた涙が零れた。
「 ( ・・・ごめんなさい、伯言・・・ ) 」
私は、還れない・・・貴方を想うから、こそ。
別れの日からずっと繋いでいた『 伯言の手 』を、今こそ開放する。
どうか、どうか、幸せになって・・・と、精一杯の願いを込めなが、ら・・・・・・。
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