私に身体を預ける彼女の、なんと小さいことか・・・。
その小さな身体を大いに震わせて、は泣いた。
身体中の水分が、すべてなくなってしまうんじゃないかと思うくらい、搾り出すようにして。
蜀に残る、と言った彼女を・・・私は、護りたいと思う。
どんな理由があれ、愛していた陸遜殿より、私を選んでくれた証拠だ。
呉を離れ、蜀に来た明確な理由はわからない。だが、彼女の背景に呉の意図があるとは思えない。
本人もそれを否定したし、全てを話そうとしてくれた。内容よりも、話そうとする姿勢が私は見たかった。
そして、私を選んでくれたを・・・これから大切にするのが、自分の役目だ。
それだけでいい、それだけ、解っていればいい。
背中を摩る手を次第に緩めて、彼女の名を呼んだ。
恥ずかしそうにもぞもぞと顔を上げたの目は、真っ赤に腫れていた。
「 今更かもしれないが、貴女とやり直したいと思っている 」
「 やり直す・・・何を、ですか? 」
「 『 出逢い 』から、かな。私たちは、お互いのことを何も知らないのだ、と今回痛感した。
覚えているか・・・?貴女と出逢ったのもこんな泉の側だった。偶然を装って、初めて顔を合わせた。
一生懸命に手当てしてくれる貴女という人柄に惹かれたつもりだけど、それだけじゃ足りない。
・・・、貴女をもっと知りたい。殿や孔明が貴女に訊ねたような政治的なことではない。
陸家の令嬢してではなく、という個人的なことを、だ・・・聞いてもいいか? 」
「 子龍さま・・・はい、それはもちろん・・・ 」
「 では、右手を出して。初対面の相手と知り合った時は『 自己紹介 』と『 握手 』からだ 」
意図がわからず、不思議そうな顔をしたまま、おずおずと右手を差し出す。
その手を、私は自分の右手で掴む。ぎゅっと握ると、ますます困惑したような表情をした。
「 私は、蜀の趙子龍だ。放浪の末、今は我が殿・劉備殿に仕えている。貴女は? 」
「 ・・・わ・・・た、しは、呉の・・・です。えっと、飯店で働いていました 」
「 ご両親や、兄弟は?呉には、生まれたときからずっと住んでいたのか? 」
「 はい、曽祖父の代から呉にいます。両親は・・・もうずっと前に、亡くなりました。
孤独の身だった私を、飯店の女将さんが引き取ってくれて・・・あ、店では包子を作っていました 」
「 包子か、私の大好物だ!今度作ってくれないか? 」
「 え、ほ、本当ですか!?も、もちろん、喜んで!! 」
ぱっと彼女の瞳が輝く。そのあどけない顔が・・・可愛くて、ふっと微笑む。
顔の近さに照れたのか、頬を染めて、は徐々に俯く。
握り締めていた二人の手を見下ろして、慌てたように手放した( ・・・あ )
・・・けれど。
「 ・・・還ろうか、私たちの屋敷に 」
「 はい、子龍さま・・・ 」
の顔に・・・綿菓子のような柔らかい笑みが、浮かぶ。
膝にいた彼女を抱き上げると、の腕が躊躇いがちに首へと回される。
充分に休息した様子の白龍の手綱をとり、元来た道を辿るが・・・。
往路にはなかった優しい空気が、私たち二人を取り巻いていた。
「 まあ、お二人とも!心配いたしましたよ 」
屋敷の前に着くなり、玉葉が飛び出してきた。の両肩を掴むと、他にどこか悪いところはないのかと
確認するように、彼女の身体を確かめる。だ・・・大丈夫ですよ、玉葉、と呟くに、安心したのか
頷いて、他の侍女を呼ぶと身体を休めさせるよう部屋へと促した。
「 ・・・趙雲さま 」
「 何だ、玉葉 」
「 あれほど奥方様に無理はさせないよう、お願いいたしましたのに。
中身が戻らず、輿だけ戻ってきては、皆が心配いたします! 」
「 すまない・・・だが、おかげで話す機会に恵まれた。私は、彼女を信じてみよう 」
去っていく背中を見守る。あれは・・・私が護るべきものだという、使命感。
そして彼女が私を選んでくれたという『 誇り 』と『 自信 』で、胸がいっぱいだった・・・。
ちらり、と玉葉の視線が私に向けられたので振り向く。私の顔を見た玉葉が笑みを浮かべた。
「 『 良いこと 』がおありになったご様子・・・ようございましたね 」
「 さすがだな。私は、小さい頃から玉葉に隠し事は出来ないようだ 」
「 ほほ、そのように育ててきた、というのもございますが 」
「 ・・・彼女を、これからも頼むぞ 」
「 かしこまりまして 」
拱手し、頭を下げた玉葉の前を通り、自分も屋敷へと入っていく。
おかえりなさいませ、と迎えてくれた屋敷の者たちに声をかけ、自室へと戻った。
扉を閉めて、慣れ親しんだ椅子に腰掛ける。そのまま、窓の外へと目を向けた。
一応・・・私は屋敷の主だから、この部屋の景色が屋敷内では一番良いものだ。
庭師の手入れが行き届いた、いつ見ても整えられた美しい庭。
午後の柔らかな日差しを浴びる穏やかなこの景観を、に見せてやりたい。
冬が来れば雪が積もって一面白くなり、春が来れば花が咲き綻ぶ、屋敷の庭を。
・・・そうして、彼女と年月を重ねていけることが、とても楽しみに思える。
数刻前までは、こんな気持ち、予想もしていなかった。
若き日の逢瀬の思い出とは、また違う・・・もっと重量感があって、それでいて安心感で満ちている。
「 ( これが、婚姻するということか ) 」
そう気づくと、思わず感嘆の溜め息が漏れた。
私たちはまだ『 出逢った 』ばかりだが、いつか名実共に夫婦になれると、信じている。
すべては、の身体が治ってから・・・だな。
彼女との未来を思って、私は瞳を閉じた。
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