早朝の、澄んだ空気を吸い込むのは・・・随分久しぶりのように思えた。
息を吐いて目を開ける。誰もいない静かな厨房。今日は私が誰よりも一番乗りだ。
外では雀が鳴いているが、まだ朝靄がかかっている。すぐに太陽が高く昇って、一日が始まる・・・。


飯店で働いていた時は、この時間に起きて仕込みをしていた。
趙家の厨房に入るのは初めてだったけれど、材料や調理器具の保管場所なんて、大抵どこも一緒。
ここかな?と戸棚を開ければ、包丁もあったし、貯蔵されている白菜やお肉も見つけた。
湯を沸かして、調理の用意を進める。包子だけでなく、汁物やお米の用意もしなきゃ。
包子の中に包む肉餡が出来る頃には、厨房に人が集まり出した。
その人垣を掻き分けるようにして・・・現れたのは、真っ青になった玉葉だった。


「 あ、玉葉、おはよう! 」
「 さま・・・これは、一体・・・ 」
「 みんなの朝食よ 」


飯店での仕込みは、早朝に訪れるお客様分からお昼の繁忙期までの分だから、ざっと500食以上の 仕込みをこなす。新米だった頃から一人でやっていることだから、そんなに大変なことではないけれど ・・・。これだけの数の食事があれば、屋敷中の人間の、朝食分くらいにはなるだろう。


「 調理係にお任せくださいませ。屋敷の女主が、そこまでせずとも・・・ 」
「 ・・・ううん。子龍さまが食べたいって仰ってくださったし。自分で作りたかったの 」


そう言ってしまうと、皆の分が『 ついで 』みたいになっちゃうけど・・・。
でも、私がここで気持ちよく過ごせているのは、屋敷の皆のおかげでだもの。
玉葉に説明すると、彼女はふう・・・と息を吐いて、仕方なさそうに微笑んだ。


「 有難うございます、さま。そこまで皆のことを思っていただけるなんて光栄ですわ 」
「 玉葉! 」
「 けれど、調理係の朝の仕事がなくなってしまうのは困りますので・・・。
  邪魔にならないよう、お手伝いだけさせてやって下さいませ 」


はあい、と返事をすると、玉葉の後ろに控えていた調理係と思われる人たちが、 おずおずと部屋に入ってきた。挨拶をして、調理の続きを始めるが・・・さすがは長年お勤めしている人たち。
手際良く、かつ邪魔しない程度に動いてくれるので、予定していた時刻よりも早く支度が整った。












「 そうか・・・では、今朝の食事はが作ってくれたのだな 」
「 はい、皆、驚いておりましたわ。まさか、女主人自ら手料理を振舞ってくれるとは、と 」


子龍さまのお部屋に入ると、そんな会話が聞こえてきた。
調理した後、自分の身だしなみを整える為、今朝の子龍さまのお世話は玉葉にお願いしたのだ。
話題が自分のことだと思うと・・・ちょっと、いやかなり、恥ずかしい・・・。
こほん!と大きく咳払いをして、子龍さま、と声をかけた。


「 おはようございます・・・すみません、今朝は玉葉にお任せしてしまって 」
「 、おはよう。構わないさ、貴女が来る前は彼女にお願いしていたしな 」


しゅるりと音がし、帯を締めた子龍さまが屏風の奥から姿を現した。
そして、私の持つ盆の上の食事を見て、ぱっと瞳が輝いた。


「 美味しそうだ・・・!早速、食事にしよう 」


子龍さまは、私の手からお盆を取ると、そのまま窓辺にある食卓へと移動した。
急かす姿がまるで子供のようで、思わず頬が緩んだ。後ろに控えていた侍女から、自分用のお盆を 受け取って、私も向かいに座った。包子を掴むと、まだ湯気が上がっているほど熱いものだから、 手の内で慌てて転がす。大丈夫ですか?と腰を浮かせた私を制して、ぱくりとかぶりついた。


「 ・・・美味い!うん、これは・・・予想以上に、美味いな・・・ 」
「 よかった!! 」


ちょっと驚いたように、次から次へと口の中へ放り込む姿を見て、胸を撫で下ろす。
本当によかった・・・作るのは、随分久しぶりだから。
傍にいた玉葉や侍女たちに、貴女たちの感想も聞きたいから熱いうちに食べてきて、と退室を促す。
本来だったら、主人の食事が終わるまで・・・と絶対に聞いてくれないが、今回は特別だもの。
手を合わせて頼み込むと、お食事の終わる頃にお伺いします、と玉葉が言って皆を先導してくれた。
( 玉葉には・・・後で、本当に御礼をしなきゃ )


その間も、子龍さまは手を止めずに食べてくれて。
お茶を淹れる頃には、私の食事の倍以上あったお皿を、全て平らげてくれた。


「 ありがとうございます。完食してくださって、とても嬉しいです 」
「 礼を言うのはこちらの方だ。美味しかったよ、 」
「 ( ・・・・・・あ ) 」


振り向いた子龍さまの口元に、お米が一粒ついている・・・ふふ、本当に大きな子供みたい。


「 子龍さま、そのまま・・・動かないで下さいね 」


疑問符を浮かべた彼の頬に手を当てて固定し、反対の手で口元へと手を伸ばした。
とれた、と呟いて開放すると、子龍さまが覗き込んできて、恥ずかしそうに笑った。


「 はは・・・すまない 」
「 いいえ。それだけ一生懸命、食べてくださってことですもの 」






久しぶりに・・・お礼を言われるようなことをしたな、って思うんだ。
自分の料理を食べてくれた人の『 ありがとう 』な気持ち。
お母さんに料理を教わって、お父さんが食べてくれて・・・お礼と言われたことが、とても嬉しくて。
だから打ちひしがれた時も、飯店で働こうって決めことを久しぶりに思い出せた・・・。






「 ・・・の唇にも、何かついてる 」
「 え、ええ!?本当ですか!? 」


や、やだ・・・これじゃ子龍さまのこと、言えやしない。
慌てて袖でふき取ろうとすると、席を立った彼が、ほら見せて、と私の顎に手を当てる。
胸元にあった視線が、真っ直ぐ彼を見つめる。
穏やかな瞳にじっと見つめられるのも、見つめるのも、何だかこそばゆくて瞳を閉じた。
彼の指が、私の唇を拭う。それはとてもゆっくりな動作だったので・・・ちょっと心配になってきた。


「 ( そ・・・そんなに頑固な汚れがつく程、がっついてたのかしら・・・私 ) 」


こっそり片目を開いてみる。子龍さまの微笑みが映るはずなのに・・・視界は、真っ暗だった。
頬を撫でる、さらりとした感触。それが、彼の前髪だと気づいたのは、随分と呆けた後だ。
言葉にならなかった悲鳴が、熱に変わって頭の天辺まで昇った。
彼もまた、私が『 最中 』に瞳を開けるとは思わなかったのか・・・ぱちくりと瞳を開けた 私の視線に狼狽して、あ、その・・・とどもったように、身体を離した。 けれど、すぐ私の顔を真っ直ぐ見つめる。


「 包子・・・美味しかった。また、作ってくれるのを楽しみにしている 」
「 ・・・・・・は・・・は、い・・・・・・ 」


ご馳走様、と窓辺から差し込む朝の光に照らされた子龍さまの微笑みは、神々しいほど美しかった。
席を立った子龍さまは、登城の用意をする為に部屋の奥へと歩いていく。
手伝わなきゃ、追いかけなきゃ・・・と思うけれど、足が、動かない。






口付けの感触の残る唇を押さえたまま、立ち竦んだ私は・・・自分の胸の鼓動に、戸惑っていた。






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