『 音 』に顔を上げるのは、今日何度目だろう。


その度に隣で玉葉が笑うのだ。手元の針は全く思うように進まず、完成された玉葉の刺繍と自分のを 見比べると、元々開いている差が更に歴然で泣きたくなる。ぶす、と膨れた私を宥めるように玉葉が声をかけてきた。


「 ですから、趙雲さまにお願いすればよろしかったのに 」
「 で、でも、最近お仕事でお忙しそうなのに、子供みたいな我侭・・・言えるわけないじゃない 」


とうとう諦めて、針の穴に通していた糸を抜いて刺繍を片付け始める。
ぱたり、と裁縫道具の箱を閉じると小さな吐息が零れた。
玉葉も同じように片付けて、すぐに温かいお茶を私の前に差し出してくれた。


「 けれど、趙雲さまはさまにもっと我侭を言って欲しそうに見えますけどねえ 」


いつもはのんびりとした成都の街だけど、今日からちょっとしたお祭りが始まるらしい。
おかげで朝から街中に太鼓の音が響いていて、とても何かに集中できるような気配ではない。
屋敷のみんなも遊びに行くのだろう・・・どこか浮き足立っていて、いつもと変わらないのは玉葉くらい。


蜀に来て随分と経ったけれど、一度も屋敷の外に出たことがない。
体力も回復したし、そろそろ歩き回ってみたいけど・・・というか、元々『 街育ち 』だから、こんな風に 屋敷の中に篭ったままじっとしているのは性に合わなくて。
一応、子龍さまに伺ってから外に出ようと思うんだけど・・・ここのところ忙しいのか、城からの帰りも遅く、 とても『 お願い 』できる雰囲気ではなかったのだ。






いつだったっか・・・子龍さまが成都の町並みを見せてくださると約束してくれたから。
その約束を信じて、私、、もう少し待ってみようかなって思うんだ。


( だってどうせなら、子龍さまと、い、一緒に・・・歩きたい、し・・・ )






「 失礼いたします。さまに、趙雲さまから竹簡が届いております 」


部屋に入ってきた馴染みの侍女から玉葉が竹簡を受け取る。私はそれを開いて・・・吹き出した。
玉葉に渡すと、よいのですか?と戸惑いながらも受け取り、趙雲さまの『 言葉 』に彼女も苦笑した。


「 さすがは趙雲さま・・・さまの『 お願い 』は、お見通しでございましたか 」




・・・その竹簡には、子龍さまの字で。
何時ぞやの約束通り街を案内したいので、待ち合わせ場所に来るように、と綴られていた。


















指定された待ち合わせ場所は、屋敷からそんなに離れていないという。
場所を教えてくれれば、私一人で行けると言ったけれど・・・玉葉は絶対に護衛をつけると言ってきかなかった ( 良家の子女だと思われているせいかもしれないけど・・・実は違うなんて言えないし )


「 趙雲さまと合流するまでの間ですから・・・頼みましたよ 」


そう言って、護衛をしてくれる白髪の兵士に強く頷いて見せた。
今日は街を歩き回るので、いつもの裾の長い衣装ではなく動きやすい袍に着替えた私も、 よろしくお願いします、と護衛兵に頭を下げる。 すると、彼は慌てたように更に低く叩頭するので堪らず苦笑した。


「 では、行って参ります! 」


玄関の戸が開く。目の前に広がる成都の姿に、駆け出したい衝動をぐっと抑える。
見送る玉葉を振り返り、大きく手を振って。私は賑やかな街へと繰り出した。
・・・子龍さまとの待ち合わせ場所は、成都で有名な茶店だという。
若い恋人たちが集う流行の茶店だって教えてくれたのは、玉葉ではなく顔馴染みの若い侍女だった。
恋仲が出来たら皆が一度は行ってみたい人気の場所です、という言葉に・・・て、照れてしまう・・・。


「 ( 恋人、かあ・・・ ) 」


子龍さまは『 恋人 』なんじゃなくて、もう『 夫婦 』なんだけど、な。


でも・・・あの日彼『 出逢い 』からやり直したい、って言ってくれた。
私たちに必要なのは時間なのかも。紆余曲折したけれど、これから時間をかけて『 夫婦 』になる。
2人知り合ったのがこんな切欠であったとしても・・・縁合って一緒になったんだもの。






私の素性を知っても気遣ってくれた子龍さま。嫌いにならないでいてくれた子龍さま。


そんな彼のことなら・・・私、これからも信じて生きていけると思うんだ・・・。






・・・伯言の時とは違う。身も心も妬き焦がす激しい炎はない。
その代わり、と言ってはおかしいけれど・・・子龍さまを『 想う 』と心のどこかがほわりと温かくなる。
足元を柔らかく照らす陽の光に安らぎを感じて、伝う温かさに身を委ねたくなる。
子龍さまの名前を呟くと、涙が出そうになって、それから・・・それから、幸せだな、って思うんだ・・・。


今、此処で過ごすそんな『 毎日 』を心から愛しく思う・・・私が、在る。






「 もうすぐですぞ、さま 」


護衛兵の彼が指差す、色彩鮮やかな屋根の館。
お祭り用に装飾された街中でも一際目立っている・・・子龍さまは、もう待っていらっしゃるかしら。
足早になっていくのは子龍さまを待たせたくないからか、それとも逢いたいという気持ちのせいか。
逸る気持ちに、私はとうとう走り出す。さま!?と驚いた様子の声が背後から聞こえた。
頬が上気してくるのも押さえられず、無我夢中で一直線に茶店を目指した。






・・・だから、気づくはずもなかったのだ。


浮き足立った私を、そっと見守る姿があった・・・その事実に。






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