お祭りの間は閉めていたんでね、と笑う老夫婦が営む呉服屋さんは中に入るともの凄く広かった。
壁沿いに並んだ奥行きのある棚には、所狭しと反物が陳列されている。
ぽかんと見上げたままの私を、子龍さまが呼んだ。


「 最後の買い物は、ここでの衣装を作って帰ろうと思う 」
「 私の、ですか? 」
「 そうだ。の衣装は、すべて呉から持ってきたものだったろう?
  蜀で作った着物姿の貴女も、見てみたいと思っていたから・・・私から、贈らせてくれないか? 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 ?・・・嫌だった、か? 」
「 ・・・いえ、そんなことは・・・ 」


呉から持ってきた衣装は、すべて伯言が選んでくれたものだった。
貴女によく似合います、と自分で選んだ衣装で私を着飾っては、目を細めて褒めてくれてくれたっけ。
だから、着ている間はまだ『 呉 』の人間であるような気がしていたのに。


「 ( こうして・・・少しずつ、蜀の人間になっていくのね、きっと ) 」


心配そうに覗き込んできた子龍さまに、無理矢理作った笑顔を向ける。


「 ・・・是非、お願いします 」


と言うと、ほっとしたように彼が笑った。
普通、大きな屋敷では呉服屋さんの方がやってきて、採寸だったり生地を選んだりするのだけど。
これだけ生地の選択肢があれば、確かにこちらから出向いて正解なのかもしれない。
私だけを個室に入り、おばあさんが採寸を始める。


「 子龍さまには、私らの方こそ大変お世話になっていましてねえ。
  いつもこちらから行きますよ、というのに、私らに負担がかかるからとわざわざいらして下さるの 」
「 そうなんですか・・・ 」
「 その子龍さまが、こんなに可愛らしいお嫁さんをもらっただなんて、私らも嬉しいですよ。
  さ、どんな色がお好きですかね?お若い方だから、はっきりした色が映えるかしら・・・ 」


笑顔に皺を深くしたおばあさんが、棚からいくつかの反物を取り出す。
私の襟元に当ててみては、うーんと唸ってみたり、遠くから見てみたり・・・。
すべての反物の場所を覚えているのだろう。部屋の奥からも、まるで宝箱のように出してくる。
それぞれ織り方や柄の違う反物を当てながら楽しく会話してても・・・当の私は、どこか上の空だ。






夜に、伯言が訪ねて来る。逢えて嬉しかった・・・だけどそんなこと、本当に可能なのだろうか。
いくら彼の頭が良くて、武人の心得があるとしても、将軍家に忍び込むのは危険すぎる。
子龍さまに見つかったら・・・今度こそ、彼も私もどうなるか。


・・・ううん、私なんかどうなってもいい。


呉の花嫁として嫁いだはずの私が、陸家とは何の関わりがないことは、とうにばれているのだ。
( そしてその事実を、伯言が知らないことが一番危険なのだ )
その上不法侵入が判り、陸家を・・・ひいては呉を脅かすことになれば、どうしたらいいのだろう。






鏡に映った私の顔は、青ざめていた。色鮮やかな着物を纏って映えるはずの顔色が、翳っていく。
採寸と共に着物を仮縫いしていたおばあさんも、私が纏う暗い雰囲気に気づいたのか。
どうしましたか?という問いに、泣きそうな顔を上げた時・・・扉が叩かれた。


「 、入ってもいいかい? 」
「 あ・・・はい、子龍さま、どうぞ 」


小さな個室に入ってきた子龍さまは、仮縫い状態の私を見て、瞬間、頬を染める。
そして、小さな声で一言呟いた。


「 うん・・・綺麗だ 」


・・・その言葉に、堪らなく胸が締め付けられて。
只でさえ罪悪感でいっぱいだった私は、堪えきれずに涙を溢れさせた。
突然泣き出した私に、二人がとても驚いているのがわかった。
ああ、ダメだって、ば・・・こんな所で泣いたりしちゃ。仮縫いの反物なんだもの、汚しちゃいけない。
何より・・・これじゃ、子龍さまが泣かせたように思われちゃう。


ぱたん、と扉の閉まる音がした。気を利かせて、おばあさんが席を外してくれたのだろう。
二人きりになると、子龍さまがしゃくり上げるように泣く私へと手を伸ばした。


「 ・・・どうして泣くの? 」
「 し、りゅ・・・・さま・・・わ、私・・・綺麗、なんかじゃな、ひっく・・・ 」
「 そんなことないよ。貴女は綺麗だ。貴女ほど美しい人を、私は今まで見たことない 」
「 そんな・・・嬉しい、っ、お言葉を、かけ、てもらえるほ、どっ、綺麗、じゃ・・・ 」
「 ううん、は綺麗だよ。誰よりも綺麗で、純粋だ・・・だから、人一倍傷つきやすい 」
「 ・・・子龍、さま・・・ 」


頬を伝う涙を拭ってくれていたが、程なく指をひっこめた彼は、代わりにそっと唇を寄せる。
私はその場から動くことも、拒むことなく・・・流されるまま、受け止めた。
涙筋に当たられていた唇が、やがて自分のものと重なる。
何度角度を変えても触れるだけの口付けは、奥まで踏み込むことなく、どこまでも優しかった。
子龍さまらしい、口付けだと思った。そしてそれは、弱って震える心をさらに甘く痺れさせる・・・。


「 、私は貴女が好きだ 」


唇だけを離し、両頬を押さえたまま子龍さまが囁いた。


「 国間のことや、が陸家の令嬢であろうと、平民であろうと・・・この想いは変わらない。
  峠で傷の手当てをしてくれた時、優しい子だと思った。蜀で傷つく貴女を見て、護りたいと思った。
  ただ一人の男として、そんな貴女を愛してる。だから・・・もう一度、誓わせて欲しい 」


何度も拭った涙のせいで、かさかさになった私の手をそっととる。
その場に跪いた彼は、手の甲に口づけ、いつぞやのように頭を垂れた。


「 この趙子龍・・・殿を妻に向かえ、この先の道を共に歩むことをお約束致します 」
「 ・・・子龍さま、それは、 」
「 貴女の『 心 』を手に入れるまでは、と思っていたが我慢できなくなってしまった。
  すまない・・・この告白が、を困らせることになることは、十分解っているのだけど 」


そのまま項垂れた子龍さまに、首を振って否定することが今の私にはできなかった。
あの日のように・・・ありがとうございます、とても嬉しいですと言って差し上げたら、子龍さまの不安を取り除いて上げられるのに。 謝らなければいけないのは・・・私の方だ。


「 ( ごめんなさい・・・本当にごめんなさい、子龍さま・・・ ) 」






ずっと知りたかった、子龍さまの気持ち。


私も『 好き 』だと告げたかった・・・ほんの、一時前までは・・・。






口にしてしまえば、何かが脆く崩れてしまうような気がして。
ただ泣いてばかりの私を責めることもせずに、立ち上がった彼はずっと私を抱き締めていた。






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