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 「 ・・・何故、ですか? 」
 「 子龍さまを裏切りたくない。もう、あの優しい人に嘘を吐きたくないの 」
 
 
 森で出逢ったあの日の『 私 』を、見初めてくださったと聞いた。
 なのに・・・思い返せば蜀に来てからというものの、私ときたら子龍さまに嘘を吐いてばかり。
 誠実で優しい彼のことだ。婚姻のことだって、呉に帰りたいかと聞いてくれた時だって、
きっとものすごく考えた上で提案をしてくれたに違いない。
 子龍さまは、私の『 全て 』を承知の上で受け入れてくれたというのに、私は・・・。
 
 
 「 私は、何も返せていないんだもの。子龍さまの温情に 」
 「 恩義だけで、危険な場所に留まるというのですか!?此処は戦場になるかもしれないのですよ?
 貴女が危ない目に遭うかもしれないとわかっていて・・・私が、平静でいられるとでも!? 」
 「 伯言・・・でもね、私・・・ 」
 「 愛しています!を、愛しているんです!! 」
 
 
 狂おしいほどに・・・!!
 
 
 そう言って、伯言が苦しそうに眉根を寄せると私の身体を抱き締める。
 今度はみしり、と骨の軋む音がするほど力強く、私の顔が苦しさと痛みに歪んだ。
 
 
 「 ・・・はっ・・・く、げ・・・くるし・・・ッ! 」
 「 趙雲殿にかける情けがあるなら、私にも貴女の情けを与えて下さい!
 私は貴女以外、誰も愛せない。哀れだと思うなら、趙雲殿ではなく私を選んで下さい、!! 」
 
 
 激しい炎に撒かれたように・・・息も、出来ない。
 苦痛に浮かんだ汗を舌先を絡め取られ、そのまま首筋に噛みつかれる。
 声こそ上げなかったものの、絶句したままびくりと身体を震わせたのを、当然彼は見逃さなかった。
 
 
 「 私は、貴女がいい。どんな女性が現れたとしても、貴女だけを愛していく! 」
 「 伯、言・・・聞いて!私・・・、 」
 
 
 私の身体をかき抱く手が熱い。触れる指先には、炎が点っているのだろうかと錯覚してしまう。
 ・・・伯言自身が、炎の化身のような人だ。
 いつだって全力で、自分の中の全てをかけて私を愛してくれる。それが、たまらなく嬉しい。
 他人に必要とされる、愛される歓びを私に教えてくれたのは伯言、貴方なのだから・・・けれど。
 
 
 「 私、は、もう嫌なのッ!国や、政治に利用されて・・・生きていく、のは・・・!! 」
 
 
 孫呉のために、と嫁がされ、孫呉の都合で呼び戻されるのは・・・!
 そう叫ぶと、彼の手がふいに固まって、抱き締める力がじわじわと弱まっていく。
 
 
 「 自分の人生だもの!私は、私自身の手で掴みたい 」
 「 ・・・、しかし私は・・・ 」
 「 伯言の一番の願いは、自分の地位の確立と陸家再興のはず。私の身分じゃ、到底釣り合わない。
 陸家にふさわしい人を奥様にして、幸せになってほしい。伯言の幸せが、私の幸せにもなるの 」
 「 解っていないのは貴女の方です。本当に私の幸せを願うなら・・・、貴方がどうか妻に。
 私は自分の意思で、陸家の再興よりも貴女を選びます。貴女がいなくては幸せになれない 」
 「 伯、言・・・ 」
 
 
 出逢った頃とは、確実に違う。あの頃の彼は、絶対にこんなこと言わなかった。
 だからこそ、真っ直ぐに私を見つめる伯言の瞳には、頑な決意も揺らいでしまいそう。
 ・・・このまま、攫って。伯言の傍にいさせて、と・・・そう、叫んでしまいそうになる。
 それは伯言のためにならないのだと、何度も何度も自分に言い聞かせているの、に・・・ッ!!
 ( だって、だってこんなに嬉しい台詞だなんて、思わなかったんだもの )
 
 
 「 陸将軍、さま! 」
 「 えっ・・・!? 」
 
 
 突然現れた影に、脅えた私は伯言に縋りつく。
 先ほどの間者ですと伸びた背中を撫で、伯言が静かに彼女に尋ねた。
 
 
 「 何事ですか 」
 「 趙将軍がさまの部屋を訪れようとしています。お戻りを 」
 「 ・・・致し方、ないですね 」
 
 
 伯言は私を抱き上げると、立たせるようにそっと床に下ろした。
 
 
 「 5日後、私は蜀に大使としてやってきますが、貴女に逢うことはできないでしょう 」
 「 ・・・うん 」
 「 貴女の、その自分の意思を貫こうとする真っ直ぐな姿勢をも、私は愛しています。
 だから無理強いはしたくないんです・・・でも、これだけは覚えていて下さい 」
 
 
 もう、時間がない。だからこそ万感の想いを込めて、伯言と私は見つめあった。
 
 
 
 
 
 
 「 この陸伯言、生涯・・・貴女だけを想っています。それを、忘れないで 」
 
 
 
 
 
 
 私の返事など待たずに、伯言は間者である侍女に私の手を渡した。
 勢いよく引っ張られる。暗闇の中に連れ込まれ、ようやく慣れた視界もまた闇に覆われていった。
 
 
 「 伯、言・・・っ! 」
 
 
 一度だけ、必死で振り返った瞳に・・・彼が『 綺麗に 』微笑んでいる姿だけが、映った。
 大好きな伯言の、大好きな笑顔。だけど別れはいつも突然で、涙で笑顔が滲んでいく。
闇の中にぼやけた輪郭が、終に消えた。頬にも伝わず、涙だけを点々と置いていくように雫が風に運ばれていく。
 
 
 一緒になれたら、と夢見たこともあった。
 でも夢は、夢で終わるから儚くて美しい。願う度に絶望してた、願う度に自分の運命を呪っていた。
 たとえ孫権さまに結婚を認められても、きっと幸せな結末にならないのは目に見えていたから。
 
 
 
 
 伯言が・・・好き。忘れられない。でも、隣にふさわしいのは・・・私じゃない・・・。
 
 
 
 
 ・・・帰り道も、同じだった。
 どこをどう歩いたのかわからないまま、気がついたら自分の部屋の前に立っていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 放心したまま部屋に入ると、同じように寝着姿の子龍さまが一人、部屋の中で待っていた。
 彼が来てから、まだそう長い時間が経っていないようだった。
 きっと玉葉が用意してくれたのだろう。湯気の立つ茶碗が、子龍さまの前に置いてある。
 ・・・泣いた後だから、きっと目が腫れている・・・。
 そう思って、部屋に入ってからずっと俯いたままだ。絶対に目を合わせないようにしている私の態度に
腹を立てることもなく、ただ彼は心配そうに両肩に触れた。
 
 
 「 湯殿にいたんだって?それにしては、身体が冷えている・・・どこかへ寄ってきたのか? 」
 「 ・・・あ・・・少し、涼みに・・・ 」
 「 そうか。今日は連れまわして疲れさせてしまっただろうから、休む前に謝ろうと思って。
 色々と・・・貴女を、脅かせてすまなかった。どうか許して欲しい 」
 「 子龍さま・・・ 」
 「 今夜はゆっくりお休み。それじゃ 」
 
 
 ぽん、と私の頭に手を置くとひと撫でして、私の横をすり抜けていく。
 部屋を去っていこうとするその背中に・・・私は、無我夢中でしがみついた。
 
 
 「 ?一体、どうし・・・ 」
 「 ・・・・・・お願いがあります。子龍、さま 」
 
 
 声が震えている。背中越しに伝わる緊張感。
 慌てて振り返ろうとする彼を制して、その広い背に埋めた。
 
 
 
 
 
 
 本当は怖い、怖い・・・だ、けど・・・。
 私の中の『 伯言 』を断ち切るには、もう、この方法しか・・・・!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「 ・・・私を・・・抱いて、ください・・・ 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 彼の夜着を握ったてのひらが、真っ白になっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
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