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 しがみついた子龍さまの身体も、ぴくりとも動かなくなる。
 呼吸音すら響かせるのも躊躇う。そんな沈黙の中で、私は絶対に彼の背を離れなかった。
 
 
 「・・・、自分が何を言っているか、わかっているのか 」
 
 
 先に音を紡いだのは、子龍さまだった。
 それは警告。引き返すのなら今だ、と言ってくれているのだろう。だからこそ私は迷わずに頷く。
 ・・・自分で何を『 お願い 』しているかわかってる。私は子龍さまの束縛を解いた。
 彼は戸惑うように振り返って、一歩だけ後ろに下がる。
距離をとることで、自分も冷静になろうと努めているのかもしれない。
だって、こくり、と喉が鳴らしたのは・・・子龍さまの方だったから。
 
 
 「 わかっています。その上で、こうしてお願いしております 」
 「 ・・・どうして、急にそんなことを・・・ 」
 「 急ではありません。夫婦ですもの、もう一度子龍さまに抱かれたいと思ったから、では駄目ですか。
 それとも・・・こんなことを女の方から強請るなんて、はしたないとお思いになるのでしたら・・・ 」
 「 思うわけないじゃないか! 」
 
 
 言葉を遮ると、俯いたままの私の身体を抱き締めた。
 力強い両腕に瞳を閉じるが・・・どうして彼の腕が震えているのか、私にはわからなかった。
 
 
 「 子龍さま・・・? 」
 「 好きな人に求められて、聖人君子を気取れるほど私は出来た人間ではないよ・・・けれど 」
 
 
 一度言葉を切って、緊張した吐息が耳を掠めた。
 
 
 「 ・・・後悔、しないか? 」
 
 
 子龍さまは、私の心がまだ伯言に繋がっていることを知っている。
 だから昼間の告白だって、きっと私が受け止められずに困っているだろうと、心配して謝りにきてくれたのだ。
すべては私を想うため。私を・・・愛してくれている、ため。
 
 
 「 ( 裏切りたく、ない ) 」
 
 
 応えたい、この人の愛に。応えるならば・・・断ち切るしかない。
 あの人は陸家に、呉に必要な人間だ、これからも。私が伯言を愛しても、伯言は幸せになれない。
 だからこそ・・・彼が私なんかを愛したばかりに、輝かしい未来を断ち切られてしまうのは私も望まない
( そう何度思っても、何度言い聞かせても・・・私の心は震えて止まないけれど、でも )
 子龍さまは、こんなにも私を愛してくれる。だから私は此処で、蜀で、幸せになってみせる。
 卑怯だと言われても構わない。幸せになりたい、どんな運命の中でも・・・私、は。
 
 
 今、この瞬間、私は子龍さまを愛しているのかわからない。彼を好きだと思う、傍にいたいと思う。
 
 
 ・・・だから、何時ぞやの夜のようにはならない。
 
 
 ぎゅ、と胸元で握った両手をゆるぎない決意だと悟ってか、子龍さまは私の身体を持ち上げた。
 小さな悲鳴を上げて、ようやく顔を上げた私から視線を外して、彼は牀榻へと向かう。
その一歩一歩がこれから起こることを想像させて、駄目だと解っていても無意識に身体が強張った。
 窓飾りから月光が差し込む中、整えられた寝具の上にそっと寝かされた。
 
 
 「 ・・・、っ・・・ 」
 
 
 身震いするほど艶を含んだ、その声。
 
 
 私も、何か発せられたらよかったのに。
 声はただの吐息になって、震える歯の根を伝えてしまいそうだったので、息を呑んで口を閉じる。
 
 
 「 ( き、緊張しちゃだめ!せめて子龍さまに嫌われないように・・・抱いて、もらわなきゃ ) 」
 
 
 彼の手がそっと私の頬を撫で、首筋を指先が伝う。
目を閉じていてもわかる。彼の大きな身体がそっと自分に重なり、耳朶を甘噛みされると、
言い逃れも出来ないほど大きく全身が震えてしまった。
 はっと気づいた時には、もう遅くて。私を抱き締めた子龍さまが、ずるずると隣に身体を横たわらせる。
 
 
 「 ・・・し・・・子龍、さま・・・ 」
 
 
 わ、私・・・また・・・。
 
 
 ああ、もう駄目だ・・・と顔を覆おうとしていた手を捕まえて、彼はうつ伏せのまま自分の方へと引き寄せる。
寝具へと埋めた顔を動かさず、片目だけ持ち上げて彼はクスクスと笑った。
 
 
 「 ・・・もう少し、聖人君子でいることにしようかな 」
 「 ・・・・・・え、 」
 「 今、貴女を抱いたら『 後悔 』するのは・・・私の方だから 」
 
 
 言葉の意味がわからず、きょとんとしていると、苦笑交じりの笑みを浮かべる子龍さま。
 
 
 「 に抱いて欲しいって言われて、本当はすごく嬉しかった。危うく理性を忘れるくらい。
 でも・・・まだ、貴女に嫌われる覚悟が出来てないんだ。すまない 」
 「 し、子龍さまを嫌うはず、ないじゃないですか!どうしてそんな 」
 「 君を愛しているからだ。その気持ち以外に、何もないよ 」
 
 
 彼は身体を起こして牀榻に腰をかける。そして、同じように腰掛けた私の顔に張り付いた髪を取り除くように、
そっと撫でた。半泣き状態だった私の鼻が、すんと鳴った。
 
 
 「 本当に抱いたら、きっと止まらないから。多分、貴女が想像している以上に私は冷酷な男だ 」
 「 ・・・子龍さ、ま 」
 「 だから今は我慢するとしよう。慌てなくても・・・その時が来たら、貴女を抱く。
 が泣いて懇願しても止まらないくらい、溢れるほどの愛で。時間も世界も全てを忘れるくらい 」
 
 
 そう言った子龍さまの瞳が、強い光を帯びていて。
 告白に嘘偽りはないのだと改めて知って・・・頬が熱くなる。
 抱いて、と言われた時の彼も、こんな気持ちだったのかな( や、やっぱり言わなきゃよかった、な )
 恥ずかしそうに俯いた私の頭を、そっと自分の胸元へと押し込める。頭の上に顎を乗せて、愛しさをこめて
優しく抱きすくめられた。
上を向けずに、そのまま彼に甘えるように下を向くと、ずっと繋いだままだった2人の手が目に入った。
 私の視線に気づいた子龍さまは、その手に少しだけ力を入れる。
 
 
 「 ・・・・・・! 」
 
 
 驚いた隙に私の額に口付けし、頭上で微笑んだ気配がした。
 ぽんぽんと顎の下にあった頭を2度撫でて、立ち上がる。
 
 
 「 おやすみ、 」
 「 ・・・お・・・おやすみ、なさいま、せ・・・ 」
 
 
 彼の長い後ろ髪が、背中を泳ぐ。薄雲の様に棚引く様に見惚れている間に、扉が閉まった。
 ・・・は、と口から漏れた吐息は、思いのほど大きくて。逆上せたように牀榻に突っ伏した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「 ( 時間も世界も・・・きっと、伯言のことも・・・ ) 」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 忘れるくらい、貴女を抱く。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 子龍さまは、私と伯言が想い合っているのを知っていても、なお・・・。
 
 
 抱いて欲しいって、すごく勇気と覚悟を持って言った台詞だったのに。
 私、結構本気で抱かれてもいいって思って言ったつもりだったのに・・・どう、したらいいんだろう。
 この上何をしたら、この状況を打破できるんだろう。
 
 
 伯言のことが好き、でも子龍さまのことも愛してる・・・だなんて。
 
 
 
 
 
 
 「 ( ・・・私・・・最低、だ・・・ ) 」
 
 
 
 
 
 
 泣いたって、何も変わらないのに。
 
 
 靄のかかった世界で立ち竦んだ私は、その場に蹲ってただ泣き伏せることしか出来なかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
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