呉からの使者は、予定通り5日後に成都へ着いた。
自分が広間に入った時、既に使者は拱手の姿勢を崩さず、じっと主を待っていたので表情を伺うことは出来なかった。 入室を知らせる銅鑼が響き、その場に居た全員が深く拱手する。諸葛亮殿は殿と一緒に入室した。 殿が腰を下ろし、拱手を解く。膝を突いて下げていた頭をゆっくり上げる使者に、驚きの声が上がった。


「 何でえ、まだ子供じゃねえか! 」


張飛殿の大きすぎる呟きに、諸葛亮殿が吹き出し、関羽殿が窘めるような視線を送り、殿が苦笑した。


「 陸遜殿、翼徳が失礼なことを言った。すまない 」
「 いえ、張飛殿のように驚かれるのも珍しくはありませんので、お気になさらずとも結構です 」


毅然とした張りのある声。嫌味の欠片もない純真な笑顔を浮かべ、彼はにこりと微笑んだ。
その美しい笑みに、他の武将もほうと感心したような吐息が漏れる。
・・・成る程、この堂々とした態度。澄んだ眼差し。この一瞬で、既に他人の心は掴んだと見える。
張飛殿が謝り、すまねえな、いいえ、とんでもございません、なんて会話が繰り返される間も、 私の心は掴まれた者たちよりも一歩後ろに居た。


と陸遜殿のことを知っているのは、私と諸葛亮殿と殿だけだ。
今、この場では逆に、彼にそのことが『 バレていない 』と振舞わなければならない。
・・・ふと、注がれる視線に顔を上げると、じ、と彼がこちらを見ていた( いつの間、に )
考えを見透かされたかと固まった私に、彼はまたもや綺麗な微笑みを浮かべ、視線を殿へと戻した。


「 この度は我が殿・孫権さまより、蜀との同盟確認の使者として遣わされました 」
「 魏との戦が近づいていることは知っている。何としても奴らの侵攻を食い止めなければならぬ。
  その為には、過日に交わした蜀と呉の同盟を強化し、我ら共に民の平和を守ろうぞ 」
「 劉備殿のお言葉、この陸伯言、確かに承りました。我が殿もお喜びになるでしょう 」


恭しく拱手した陸遜殿に、殿は大きく頷いた。


「 まずは、旅の疲れを癒すが良かろう。ここ成都までの道程はさぞ長かったであろうから。
  今回はどのくらい滞在される予定で来られたのであろうか 」
「 そうですね、今のところ4日ほどの予定です 」
「 呉の天才軍師と名高い陸遜殿には、軍議にも参加してもらい助言していただこう。良いな、孔明 」
「 勿論です。よろしくお願い致しますね、陸遜殿 」
「 諸葛亮殿にそのようなお言葉をいただけるとは・・・恐れ多いことです! 」
「 折角だから成都も見学していただきたいが、その前に尚香が逢いたいと言って・・・ああ、趙雲 」
「 は 」


突然指名され、弾かれたように顔を上げる。
殿は少し笑うと、陸遜殿を尚香のいる庭まで案内せよ、と仰った。


「 お気に入りの庭で、貴方と茶を楽しみたいと待っているのだ。短い期間だがゆるりと滞在されよ 」
「 有難きお言葉、恐悦至極にございます 」


拱手した陸遜殿を見て、退室の銅鑼が響いた。衣擦れの音と共に殿の姿は消え、一同は解散となる。
彼は背後に控えていった部下たちにてきぱきと指示を与えると、趙雲殿、と私に駆け寄ってきた。


「 きちんとしたご挨拶が遅くなりまして大変申し訳ございません。陸伯言と申します 」
「 趙子龍と申す・・・こちらこそ、先に挨拶すべきなのに申し訳ない 」
「 いいえ。蜀の将軍である貴殿にお逢い出来て、心より嬉しく思います 」


嬉しそうに微笑む顔に、一点の曇りもない。
真っ直ぐ向けられる憧憬の眼差しを正面受け止められずに、つい目を逸らしてしまう。
誤魔化すかのように、尚香さまの元へとご案内します、と先頭を切って歩き出した。 陸遜殿が小さな包みを手にしたまま、自分のすぐ後ろをついてきているのがわかった。


午後の温かい日差しの中、当たり障りのない会話を交わすが、陸遜殿は非常に優秀な人物であった。
会話の間や話の展開の仕方、相槌の打ち方ひとつをとっても丁寧だった。真剣さも伝わってくる。 人付き合いの手本というものが存在するなら、彼は総じて完璧だと言っても良いほど。
同じ軍師という立場なのに、諸葛亮殿とはまた違う・・・若さ故の実直さが垣間見えて、逆に好感が持てた。 これほどの人物が呉にいたとは。心底感心してしまい、彼が『 不安要素 』だということを忘れそうになった。
間もなく尚香さまの元へと着こうかというところで、私は包みの話題に触れた。


「 これですか?孫権さまから尚香さまへのお土産です。姫様の好きだったお菓子だと伺っています 」
「 それは喜ばれるに違いありませんね。蜀では手に入らないものかもしれない 」
「 恐らくそうでしょう、でなければ私に持たせる訳もありませんし。甘い物がお好きな方ですから 」
「 女性は美味しいものを見つけてくることに長けていますしね。人を喜ばせるものをよくご存知だ。
  病床に伏した際、お見舞いにと高級な蜂蜜を頂いたことがあったな・・・私にではないのですが 」
「 ふふ、趙雲殿が病に倒れるなど想像できません。どなた宛だったのですか? 」


それは・・・と答えようとして、足が止まってしまった。
・・・陸遜殿は知らないのだ。生死の境をさまようほど寝込んでしまったのはだということを。
果たして、その名を出しても良いものだろうか・・・これ程会話しても、の名前は一切出なかったことに 今更気づく。 彼らは『 従兄妹 』なのだ。身内の現状くらい、知りたがるのが普通なのに。
無意識に避けていたのか・・・陸遜殿に会話を誘導され、自然と遠ざけられていたのかはわからない。
足の止まった私の隣に、彼も並んで足を止めた。不思議そうに見つめられているのが解った。


「 ・・・趙雲殿? 」
「 い、いや、すまない。つまらないことを申し上げた、忘れてください 」


会話を打ち切るには無理矢理な言い訳だった。何か言いたげな陸遜殿を、今まで以上に早足で庭へと案内すると、 ではこれで失礼すると言い残してその場を辞した。


「 ( 堂々と言えばよかったのに・・・病床に伏したのは、妻であるだと・・・ ) 」






それも、恋焦がれる陸遜殿・・・貴方を、想って。






尚香さまの喜ぶ声が、庭から聞こえる。久々に同郷の志に逢えて興奮していらっしゃるのだろう。
・・・この場にがいたら、どんなに喜ぶだろう。
でも今、陸遜殿に逢えば今度こそ呉へ帰りたいと願うかもしれない。そう思うとみしりと胸が軋んだ。


をもう手放すことなど出来ない。今は彼女の心が自分へと向けられていなくても、 いつか名実共に夫婦になりたい、彼女を幸せにしたい・・・と願うのは無謀なことのだろうか・・・。
自分からの名を出さないのは、少しでも陸遜殿に彼女を『 想って 』ほしくないから。
こうして嫉妬に駆られる自分と対峙する度に、器の小ささを思い知らされて胸の痛みは倍になるのに。




今夜、このことをに報告するかどうか・・・そう考えると、初めて彼女に逢いたくない、と思った。






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